その他 (芸能人の腕時計)











ルミノックス





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ルミノックス(Luminox)は、腕時計のメーカー。アメリカ海軍SEAL部隊などにも正式採用されている本格的なミリタリーウォッチを製造する。

1989年アメリカ合衆国・ニュージャージー州で創業。ルミノックスはラテン語で「明るい夜」という意味で、もともとは特殊軍用時計として開発された。世界で最も厳格な基準といわれる米軍仕様書MILスペック(MIL-46374F)をクリアし、すべての米軍隊の仕様書に準拠した製品群を開発している。

ルミノックス社の時計の特徴としては、ルミノックスの文字盤などに採用されている独創的な発光システムであるルミナイトシステムがある。ルミナイトシステムは、発光性化合物企業であるスイスMB-Microtec社によって開発された自己発光型イルミネーションシステムである。トリチウムガスを充填したマイクロガスカプセルは、通常の発光型腕時計と比較して100倍の光度を、昼夜を問わず25年以上も持続させる。蛍光体に放射性物質を採用しているが、一般に時計に用いられている固体状の蛍光塗料と異なり、常温でガス状の(空気より軽い)トリチウムを採用しカプセルに封入してあるので、万一カプセルが破損しても、上空に拡散し人体への影響はない。

真贋鑑定に文字盤のT25表記を用いる向きがあるが、この表記は発光ガスカプセルに用いているトリチウムが日本国内の基準値に適合しているかどうかを現すもので、真贋鑑定に用いるのは適切ではない。放射線の基準値が甘い中国や東南アジアではT25表記のないものが出回っており、並行輸入品としてネットショップを中心に市場で出回ることが多々ある。

外部リンク[編集]
公式サイト(日本語)
公式サイト(英語)




カテゴリ: 腕時計
ミリタリーウォッチメーカー
アメリカ合衆国の時計メーカー



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ロレックス





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この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2010年11月)

ロレックス
Rolex SA


種類
Privately held company

本社所在地
スイスの旗 スイス
ジュネーヴ

設立
1905年

業種
精密機器

事業内容
時計

代表者
Gian Riccardo Marini (CEO)

従業員数
2800人[1]

外部リンク
rolex.com
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ロレックス




日本ロレックス本社
ロレックス(Rolex)は、スイスの腕時計メーカーである。1905年にドイツ人のハンス・ウィルスドルフがロンドンで創業した。

現在は「ウォッチ」に分類される腕時計を主たる商品としている(時計業界では、腕時計や懐中時計を「ウォッチ」、置時計や壁時計などを「クロック」としている)。全ての部品を自社製造しているマニュファクチュールであり、なおかつその大部分でクロノメーター認定を受けている[2]。

20世紀初頭に時計商社としてイギリスで創業したが、当時は時計関税が高額だったため以後漸次スイスに拠点を移し、その過程でメーカー化した。懐中時計が主流であった当時、早くから腕時計の利便性に着目し[3]、別会社である「オイスター社」が開発し、それまでの腕時計と比較して防水性が格段に高い「オイスターケース」を実用化、自動巻き機構「パーペチュアル機構」や日付が午前零時頃に一瞬で切り替わる「デイトジャスト機構」を発明、腕時計で初めてクロノメーターの認定を受けた。



目次 [非表示]
1 ブランド
2 略歴 2.1 ウィルスドルフ&デイビス→ロレックス・ジュネーヴ
2.2 ジャン・エグラー→ロレックス・ビール
2.3 ロレックス・ルロクル
2.4 ロレックス全般

3 秘密主義とデマ
4 北米モデル
5 主要な製品 5.1 ドレス系オイスターモデル
5.2 スポーツ系オイスターモデル
5.3 ノンオイスターモデル

6 ボンド・ウォッチ
7 オフィチーネ・パネライ
8 オイスターケース
9 スポンサー
10 脚注
11 外部リンク


ブランド[ソースを編集]
ロレックス (Rolex)主要ブランド。本項で説明する。チュードル (Tudor)元々は元本国イギリスでの販売拡大を狙って発売され、名前はかつてのイギリス王家チューダー家にちなむ。トレードマークもチューダー家と同じ薔薇であり、初期のモデルは文字盤に薔薇が描かれていた(現在は盾のマーク)。一時期日本でも正規販売されていたが、現在は正規代理店の取り扱いはない(但し、時計のオーバーホールは日本ロレックスで受け付けてくれる)。汎用ムーヴメントであるETA(エタ)社製のムーブメントを使用し、ケースはロレックス製の物を使用している(但し、材質はロレックスの物と比べると若干品質的に劣る素材が使われている)。当初は本家ロレックスに似たモデルを多く販売していたが、現在は独自のデザインによるモデルを主に販売している。
略歴[ソースを編集]

ロレックス自身が正式に明らかにしておらず不明な部分が多々ある。一般に知られるのは以下の通りである。

ウィルスドルフ&デイビス→ロレックス・ジュネーヴ[ソースを編集]
1881年3月22日 - 創業者ハンス・ウィルスドルフ (Hans Wilsdorf) がドイツのバイエルン州クルムバッハに誕生。
1900年 - ハンス・ウィルスドルフがスイスのラ・ショー゠ド゠フォンにあるクリオ・コンテンに入社、イギリスへ時計を輸出する仕事に就いた。
1903年 - ハンス・ウィルスドルフがイギリスのロンドンに移った[4]。
1905年 - ロンドンのハットンガーデン86番地に義兄弟デイビスとともにウィルスドルフ&デイビスを設立、当初は時計商社であり、ジャン・エグラーの機械を輸入して時計を製造販売した。
1907年 - スイスのラ・ショー゠ド゠フォン、レオポルド通りロバート9番地に事務所を開設。
1915年11月15日 - ウィルスドルフがドイツ語の名称であり1914年に始まった第一次世界大戦の影響からイギリス向けの輸出に支障があるためロレックス・ウォッチカンパニー'に社名変更した。
1920年1月27日 - スイスのジュネーヴ、マルシェ通り18番地にモントレ・ロレックス (Montres Rolex S.A.) 設立。
1931年 - 技術部長のエミール・ボレが自動巻のパーペチュアル機構を発明。
1933年 - パーペチュアル機構の特許を取得。
1960年 - ハンス・ウィルスドルフ死去。

ジャン・エグラー→ロレックス・ビール[ソースを編集]
1878年 - 創業者ジャン・エグラー (Jean Aegler) がスイスのビールに時計製造工房を設立した。
1881年 - ビールのレープベルクに工場を建設しマニュファクチュールとなった。
1891年 - ジャン・エグラーが死去し、妻のマリア・エグラーが跡を継ぎ、ジャンの子オットー・エグラーとヘルマン・エグラー兄弟が輔佐した。
1896年 - ヘルマン・エグラーがアンクル式脱進機を採用した小型エボーシュを作成した。
1902年 - アンクル式脱進機を搭載した女性用腕時計の量産を開始した。
1910年3月22日 - 腕時計として世界で初めてスイス時計製造協会のクロノメーター認定に合格。
1912年 - イギリス植民地への輸出業務をビールに移転。ジャン・エグラーがロレックス・ウォッチ・エグラーSA (Rolex Watch Co Aegler S.A.) に社名変更した。
1915年11月15日 - エグラーSA・ロレックス・ウォッチカンパニーに社名を変更した。
1914年 - 本社をスイスのビールに移転した。
1926年 - グリュエンへのムーブメント供給を始めた。
1936年 - マニュファクチュール・デ・モントレ・ロレックス・エグラーに社名を変更し、ロレックス向けの専業となった。エミール・ボレが経営に参画した。
1944年 - ヘルマン・エグラーが死去し、ヘルマン・エグラーの姪エマ・ローザの長男エミール・ボレが跡を継いだ。
1963年 - ロレックス・ビールとなった。
1967年 - エミール・ボレ死去し、子のハリー・ボレが跡を継いだ。現在でもボレ家が経営し、ベルン州立銀行が信託を受けて監督している。
1972年 - グリュエンの工場を買収した。

ロレックス・ルロクル[ソースを編集]
1968年 - ロレックス・ジュネーヴとロレックス・ビールが共同で設立した。

ロレックス全般[ソースを編集]
1908年7月2日 - 欧州のどこの国の言葉で読んでも同じ発音になるように考えられた造語「ロレックス」をラ・ショー゠ド゠フォンで商標登録。
1926年 - 王冠のトレードマークを使い始める。
1926年10月28日 - オイスターケースの特許を申請。
1927年 - この年からダイアル、ケース、ムーブメントの全てにロレックスの銘が入る。メルセデス・グライツが遠泳でドーバー海峡を横断、その際ロレックスオイスターを使用し世界の注目を集めた。
1927年9月21日 - 捻じ込み式竜頭の特許を取得。
1943年 - この頃チュードルブランドが登場する。
1945年 - デイトジャスト機構の特許を取得。デイトジャストとデイトを発売。
1953年 - エクスプローラー(I)発売。サブマリーナー発売。
1954年 - GMTマスター発売。
1960年1月23日 - 特殊モデルがアメリカ海軍の深海潜水艇バチスカーフ、トリエステの外側に取り付けられ、世界一深いマリアナ海溝チャレンジャー海淵最深部に到達した。
1961年 - コスモグラフ・デイトナ発売。
1971年 - シードウェラー発売。エクスプローラーII発売。
1972年 - オイスタークォーツ発売。
1983年 - GMTマスターII発売。
1992年 - ヨットマスター発売。
2008年 - ディープシー発売。デイデイトII発売。
2009年 - デイトジャストII発売。
2009年 -ディープシーの「DEEP SEA」表記が商標権侵害に当たると日本の時計メーカーエルジンに提訴され、敗訴。
2012年 - スカイドゥエラー発売。
2013年 - F1の公式計時を開始。

秘密主義とデマ[ソースを編集]

ロレックスは営利企業ではあるが、「ハンス・ウィルスドルフ財団」という基金をベースにしている財団法人組織であって実態を公にする義務がなく、社内資料をほとんど公にはしていない(それでも、近年は以前と比べて格段に多くの情報が公開されるようになっている)。そのため、その人気と相俟って世間には多くのデマが流布している。以下はその一例。
創業者はルース・ハイドフェルド創業者は「ハンス・ウィルスドルフ」(Hans Wilsdorf) )である。ロレックスは1908年にスイスに移ったこの年はスイスで商標を初登録した年である。スイス移転は上記略歴のように単純に「何年」と言えるようなものではない。ラインホルト・メスナーがエベレスト単独無酸素登頂を達成した時にエクスプローラーIIを使用したロレックスがメスナーを使って宣伝した事実はあるし使用はしたかも知れないが、実際にエベレスト単独無酸素登頂時に使用されたのはオイスタークォーツである。クォーツは試作のみで量産していない1970年代後半から1990年代にかけてオイスタークォーツを量産し、一時は生産の1割がクォーツだった。また、現行モデルにおいてもドレスウォッチの「チェリーニ」シリーズにはクォーツモデルがある。
北米モデル[ソースを編集]

多くの時計ブランドと同じで、アメリカが自国時計産業保護を行っていた時期にはケースやムーブメント部品を輸出し、現地代理店と共同で組み立て工場を設立し、北米で生産をした(セカンドライン参照)。

この時期のモデルは本国のものに比べてカラーバリエーションが豊富である。また、カナダのイートン百貨店とその代理店が資本的に深い結びつきを持っていたため、同百貨店の勤続25周年モデルやオリジナルブランド「ソーラー」の一部モデルを生産行っていた。文字盤にはロレックスの表記はなく「アクアキング」「ソーラー」「レーサー」等モデル名のみが書かれていたが、ケースやムーブメントにロレックスの物を使用していた(ソーラー全てがロレックスへの生産委託ではなく、一部はウィットナーが製作した)。

この様なモデルは他にもあるが、代理店契約解消、時間の経過、イートン百貨店自体の身売り等様々な要因でその全容解明は非常に困難である。

一部ショップで「リダン」と偽ってダイヤル変造し、単なる一般モデルを「北米向け」と称して販売していた。

主要な製品[ソースを編集]

ドレス系オイスターモデル[ソースを編集]
バブルバック (Bubble Back) 自動巻の機械にはローターがあるため、その草創期かなり厚さがあり、ぷっくりと泡状に膨らんだ形状の裏蓋を使用して収納しており、その形状からこう呼ばれていた。1930年代から1950年代の製品がこれに当てはまり、後には膨らみが小さくなったセミバブル形状になり、1960年代になると消滅した。カバード バブルバックのベルト取り付け部をカバーしたモデルの俗称。フーデット、スカーデットとも称する。バイスロイ (Viceroy) 特徴的なケース形状のモデル。プレシジョン (Precision) 英語で「精密」の意味だが特に高精度の機械を搭載しているわけではない。ロレックスの場合、クロノメーターを取得していないモデルの場合にこの言葉を文字盤に記載する例があった。エアキング (Air-King) 時針分針秒針の三針式、直径34mm、ノンデイトで最もシンプルなモデル。長らくノンクロノメーターで廉価版モデルの位置づけであったが、現行モデルは全ての製品がクロノメーターの認定を受けている。ペットネームとしては1940年代から続く現在のロレックス最古のモデルで、ケース素材にステンレスを用いている。2016年に40mmの116900が出てくるまでは、同社の製品の中でもっとも廉価なものであった。エアキングデイト (Air-King Date) エアキングにカレンダーを装備したモデル。1950年代後半から1970年代頃迄販売されたが極めて数が少ない。オイスター・パーペチュアル・デイト (Oyster Perpetual Date ) 1945年発売。三針式、直径34mmで、3時の位置に日付のあるモデル。前出のエアキングのデイト付に相当する。風防に日付を拡大するためのサイクロプスレンズがついている。現行モデルでは全ての製品がクロノメーターの認定を受けている。同様に日付を搭載するデイトジャストとの違いは、本来深夜12時を回ると瞬時に日付が変わる機構を搭載しているか否かによるものであったが、1970年代からデイトジャストと同様のキャリバーを搭載しているため、両者の違いはケースの大きさだけになった。ケースには主にステンレスが用いられるが、一部に貴金属を用いたモデルがある。オイスター・パーペチュアル (Oyster Perpetual) 三針式、直径36mm。日付機能なし。後述のデイトジャストの日付なしモデルに相当する。現行モデルは全ての製品がクロノメーターの認定を受けている。2015年に39mmが登場した。デイトジャスト (Datejust )




デイトジャスト(クォーツ)1945年11月発売。午前0時を境に日付が一瞬で替わる「デイトジャスト機能」が有名だが、1957年にCal.1036を搭載するまで日付の瞬間切り替え機構は搭載していなかった。1970年代からオイスター・パーペチュアル・デイトも瞬間切り替えとなり差はなくなっている。ロレックスでは一番販売個数が多いフラッグシップモデルで、ロレックスが考案・もしくは改良した最新機構は優先してこのモデルに搭載されることが多い。防水性に優れたステンレスをくり抜いた「オイスターケース」、自動巻き機構である「パーペチュアル機能」、午前0時に日付が一瞬で替わる「デイトジャスト機能」を同時に搭載した初めての時計。三針式、3時の位置に日付のあるモデルで、直径36mm。ボーイズサイズ(直径31㎜)やレディースサイズ(直径26㎜)もある。日付部分を約2.5倍の大きさに拡大する「サイクロプスレンズ」が付いており、現行モデルは全製品がクロノメーター認定を受けている。ケースはステンレスの他に、ホワイトゴールドやイエローゴールド、ピンクゴールド(ロレックスでは「エバーローズゴールド」と呼んでいる)等の貴金属も多く用いられる。文字盤のバリエーションもバータイプ、ローマ数字タイプ、ダイヤモンド入りタイプなど数多く、近年は花柄の文字盤も制作された。素材と文字盤の組み合わせは百種類以上にも及ぶ。現行Ref.116234他、Cal.3135。また1990年代まではクォーツ式の物も生産されていた(Ref.17013他、cal.5035)。自動巻き式とはケース(クォーツ式は角ばった形をしている)やブレスレットの形状が異なる。現行モデルではヒゲゼンマイはパラクロム製になっているが、レディースの一部モデルにシリコン製ヒゲゼンマイが搭載されているモデルがある。デイトジャストII (Datejust II ) 2009年発売。デイトジャストのケース径を一回り大きい直径41mmとしたモデル。ムーヴメントに耐衝撃機構「パラフレックス」を搭載している。デイデイト (Daydate) 三針式、3時の位置に日付があり、12時の位置に曜日表示があるモデル。直径36mm。デイト、デイトジャストと同様に日付にはサイクロプスレンズがついている。ケース及びブレスレットにはすべて貴金属をもちいており、文字盤に宝石がはまっているモデルもあり同社の製品中で一般にもっとも高価なプレステージモデルである。デイトジャスト同様、僅かながらクォーツ式のモデルもある(Ref.19018他、cal.5055)。現行モデルはすべての製品がクロノメーターの認定を受けている。デイデイトII (Daydate II) デイデイトのケース径を一回り大きい直径41mmとしたモデル。スカイドゥエラー (Sky-Dweller) GMTマスターIIの上位機種で、GMT機能の他に年次カレンダーを装備している。ベゼルを回転させることによって時針・分針、GMT、カレンダーの操作を切り替えることができる。デイデイトと同様、貴金属モデルのみの展開。
スポーツ系オイスターモデル[ソースを編集]
ターノグラフ (Turn-O-Graph) 元々はデイトジャストのバリエーションのひとつで、10分毎の記載のある両方向回転式ベゼルを持ち、現在のスポーツ系ロレックス一連のデザインの原型とも言えるモデル。ターノグラフ以前は「サンダーバード」という名前で呼ばれていた。2013年に製造終了。エクスプローラーI (Explorer I) 1953年発売。三針式、日付なし、黒文字盤の同社のスポーツモデルのさきがけとなった製品。初期型はRef.6150。その後Ref.1016、Cal.1560、ハック機能付きのRef.1016、Cal.1570に移行し1989年に一旦製造中止となったが、翌1990年にRef.14270、Cal.3000として文字盤のデザインを一新して再発売され、2001年よりRef.114270、Cal.3130に移行し、2010年に現行モデルであるRef.214270、Cal.3132にモデルチェンジされた。直径39mmで、クロノメーター認定取得。エドモンド・ヒラリーのエベレスト初登頂時に用いられたとする資料が多いが、実際にその時使用されていたかどうかは定かではない。ヒラリーはその後広告に使われ、このモデルも探検家用モデルとして有名になった。後述する1960年頃の一部のモデルを除き蛍光塗料によって針や文字盤表示が塗られており、暗いところでも時間の確認が容易である。通常のモデルと同じデザインと素材でありながらノンクロノメーターを一回り小さなボーイズサイズケースに収めたモデルも極限られた市場向けに少数販売された。エクスプローラーデイト (Explorer Date) 1960年ごろ北米市場限定発売。当時のエアキング及びパーペチュアルデイトに酷似したデザインの黒・白・金色文字盤でステンレスやコンビのケースを使用したカレンダー付きモデル。極少数だけ販売され、好事家に幻と言われるほど稀少である。ノンクロノメーター。エクスプローラーII (Explorer II) 1971年発売。時針分針秒針24時間針の四針式、3時の位置に日付のあるモデル。初期型はRef.1655、Cal.1575。1988年Ref.16550に、1991年Ref.16570、Cal.3185に、2011年にRef.1655のデザインに倣った最新型のRef.216570、Cal.3187に移行した。直径42ミリ。洞窟探検家用とされ、日光が遮られ昼夜の区別がつかない場所でも24時間針によって昼夜を判断できる。この24時間針は当初は単純に24時間表示をするだけのものだったが、現行モデルは24時間針を単独操作することが可能で、第2時間帯を示すことができ、その結果後述の「GMTマスターII」に近い機能を持つようになった。現行モデルは全製品クロノメーター認定を受けている。ラインホルト・メスナーが1980年にエベレスト単独無酸素登頂を達成した時に使われたとする資料が多いが、実際にこの時使われていたのはオイスタークォーツである。サブマリーナー (Submariner)




サブマリーナー1953年発売。三針式、逆回転防止ベゼルを有するモデル。直径40mm。デイト機能付(Ref.116610LN他)とデイト機能無(Ref.114060)の2つのモデルがあり、日付ありのものにはサイクロプスレンズがついている。素材でもステンレス製、一部にゴールドを使ったコンビモデル、オールゴールドモデルなどバリエーションも豊富。潜水作業用の時計で防水性能が他のモデルと比べて高く(サブマリーナ以外は大体100m防水)、初期製品はRef.6536、Cal.1030で100m防水であったがその後200mに強化され、現行モデルでは300m防水になっている。その後ノンデイト・ノンクロノメーターのRef.5513が約25年間製造されるロングセラーとなり、1962年にデイト付のRef.1680が登場。その後、Ref.16800、Ref.168000を経て、1989年にRef.16610、Cal.3135にモデルチェンジして、これも20年以上製造されるロングセラーモデルとなった。2010年に現行モデルとなるRef.116610LN、Cal.3135(パラクロムヒゲゼンマイ搭載型)にモデルチェンジした。逆回転防止ベゼルは逆時計周りにのみ操作可能なべぜルで、潜水作業中に残酸素時間を簡単に測定できるようになっている。現行モデルはノンデイト、デイトともにクロノメーター認定を受けている。ジェームス・ボンドが映画「007」シリーズの中で愛用していることでも有名で、現在のロレックス・スポーツモデルでの一番人気モデルとなっている。シードゥエラー (Sea-Dweller) 1971年発売。サブマリーナーの派生モデルでヘリウムガスを抜くためのバルブがケースの9時位置につき飽和潜水に対応している。初期型は防水性能610mのRef.1665、Cal.1575。直径40mm。三針式で回転ベゼルを有する。日付はあるが破損の危険性を減らすためサイクロプスレンズはついていない。1980年に防水能力が1220mのRef.16600、Cal.3135に移行したが、ディープシーの発売により2008年にいったん生産が打ち切られた。その後、2014年にニューモデル(Ref.116600)として生産再開された。すべての製品がクロノメーター認定を受けている。ディープシー (Deep-Sea) 2008年発売。シードウェラーの防水性能を強化したモデル。Ref.116660。直径44mm。防水性能は3900m。サイズも大型化された。クロノメーター認定を受けている。デイト機能が搭載されているが、サイクロプスレンズは搭載されていない。オイスタークォーツ (Oyster Quartz) 1972年発売。1990年代まで販売されたクォーツモデルで、一時は生産の1割を占めていた。ラインホルト・メスナーが1980年にエベレスト単独無酸素登頂を達成した時に使われた。デイトジャストと比べ、角ばって厚みのあるケース形状をしており、ロレックス特有の「フラッシュフィット」を用いないブレスを採用している。GMTマスター (GMT Master) 1954年発売。時針分針秒針24時間針の四針式、昼夜を区別する特徴的な2色又は単色の両方向回転ベゼルを有するモデルで、当時世界最大の航空会社であったパンアメリカン航空(PANAM)の協力を得て共同開発された。初期型はRef.6542。3時の位置に日付があり、サイクロプスレンズがついている。全製品クロノメーター認定を受けている。初期モデルのみ5気圧、以降現行モデルまで10気圧防水となっている。メイン時間帯を短針+文字盤、第2時間帯を24時間針+指定した時間帯に合わせてセットした回転ベゼルで同時に表示する。本来は航空用時計として開発され、非公式ながらNASAのアポロ計画の際一部米空軍出身の飛行士の私物として宇宙に行ったり、人類初の音速突破を果たしたパイロットチャック・イェーガー米空軍退役少将が現役当時からずっと愛用しているなど魅力的な逸話は多い。回転ベゼルにより他の時間帯の時間を容易に読めるため、仕事上時差の問題を抱えることの多い国際線旅客機のパイロットやビジネスマンにも使用されている。赤青ベゼルのモデルを石原裕次郎やチェ・ゲバラが愛用していたのはつとに有名である。2000年に生産終了。GMTマスターII (GMT Master II) 1983年発売。GMTマスターの短針のみ1時間単位で動かす機能が追加された上位機種で第3の時間帯も容易に管理できるようになった。コスモグラフ・デイトナ (Cosmograph Daytona)




デイトナ1961年発売。ロレックス唯一のクロノグラフモデル。これ以前コスモグラフはムーンフェイズ機能を持つモデルの名称であった。「コスモグラフ」という名称が物語る通り当初はアメリカのアポロ計画の為に開発された物だが、NASAの選定の際にオメガの『スピードマスター』、ロンジンのクロノグラフモデルとNASA公認腕時計の座を争い、最終的にオメガ・スピードマスターの前に破れ去ってしまった。その後はカーレース用のモデルとして宣伝された。初期型はRef.6241、Cal.72B。以前はバルジュー(現エタ)の手巻きキャリバー72を改造したキャリバー72Bやキャリバー727を搭載していた。俗称「エキゾチック・ダイヤル[5]」と呼ばれたダイヤルデザインのモデルがポール・ニューマンに愛用され「ポール・ニューマン・モデル」とも呼ばれて1本約1000万円前後という高価格にて取引されている。1988年からゼニスとモバードが共同開発した『エル・プリメロ』を大幅に改造したCal.4030を積み自動巻き化されたRef.16520に、2000年には自社製自動巻キャリバーCal.4130となったRef.116520に移行した。ゴールドとのコンビモデルや金無垢・プラチナモデル、ダイアモンド・宝石をちりばめたモデルなど種類は豊富。現行モデルはすべての製品がクロノメーター検定を受けている。タキメーターがベゼルに刻印(現行モデルはプリントされている物もある)されていることにより、カーレースの初速性能や工場での生産数を計りやすいという特徴を持っている。サーキットであるフロリダ州のデイトナ・インターナショナル・スピードウェイと関連すると思われるが命名の理由は明らかでない。しかしロレックスは1991年からデイトナ24時間レースのスポンサーとなり、優勝した旨を裏蓋に刻印したデイトナを優勝チームのドライバー3名+補欠1名に提供している。また、2013年からF1の公式計時を開始した関係で、近年はF1と絡めた広告展開を行っている。




ヨットマスターヨットマスター (Yacht-Master) 1992年発売。回転式ベゼルを持ち、サブマリーナーのドレスアップ版としての位置づけを持つモデル。すべてのモデルに貴金属ケースや文字盤が採用されているが、防水性能は10気圧防水にとどまる。スポーツ系ロレックスのモデルでは唯一、メンズ、ボーイズ、レディースの3種類の大きさを持つモデル(現在はレディースモデルは製造終了)。ミルガウス (Milgauss) 三針式、日付機能無で、ケース内に収められた軟鉄製の帯磁ケースでムーヴメントを保護しており、1000ガウスの耐磁性能を備えたモデル(ミルガウスの『ミル』はフランス語で「1000」の意味)。初期型は稲妻形の秒針を備えRef.6541、Cal.1066。後に稲妻型の針は通常の直線針に変更され、1980年代末に一度生産が打ち切られたが、2008年に再び稲妻型の針を付けて復活した。
ノンオイスターモデル[ソースを編集]
プリンス (Prince) 1920年代から1930年代に販売された角形モデル。ケースは長方形で2ダイヤルを持ち上ダイヤルが時分を表示し下ダイヤルが秒を表示するいわゆるドクターズウォッチ。高精度の機械を積んでいる。近年復刻版Ref.5440を発売するが、ムーブメントは新設計のcal.7040を搭載している。現行版はクロノメーター認定取得。プリンセス (Princess) プリンスのレディース版。チェリーニ (Cellini) オイスターケースを使わず現行モデルは日常防水の薄型ドレスモデル。クォーツモデルもある。チェリニウム (Cellinium) チェリーニのプラチナケースモデル。カメレオン ベルトを簡単に交換できるレディースウォッチ。非常に小型の手巻きムーブメント「Cal.1400」を搭載。現在は革ベルトのみの販売。
ボンド・ウォッチ[ソースを編集]

イアン・フレミング原作のスパイ小説「007」シリーズでは、主役のジェームズ・ボンドがロレックス・オイスターを愛用している。映画でも秘密兵器として数々の作品にサブマリーナが登場しており、ボンド・ウォッチとして一部の収集家に人気がある。映画の中では数多くの改造が施された武器として使用されていることが多い。ショーン・コネリーが出演した作品では『Ref.6538』、ジョージ・レーゼンビーの出演作品ではクロノグラフの『Ref.6238』(コスモグラフ・デイトナの前身モデル)、ロジャー・ムーア、ティモシー・ダルトンの出演作品では『Ref.5513』が使われている。ピアース・ブロスナンが主役に抜擢された作品以降はライバル会社であるオメガとスポンサー提携をしたため、同社の『シーマスター』、ダニエル・クレイグの出演作品では、『シーマスター・プラネットオーシャン』が使用されている。それ以外にもセイコーのTVウォッチ、ハミルトン・パルサー、ブライトリング等ロレックス以外の腕時計も使用されている。

オフィチーネ・パネライ[ソースを編集]

イタリアの軍用時計、オフィチーネ・パネライのラジオミールの機械とケースを製造・提供していた。他社の時計のためにロレックスがムーブメントやケースを公式に供給したのはこれ一例のみである。ただし上記のとおりアメリカの法的な事情により、北米支社が現地生産していたことがある。

オイスターケース[ソースを編集]

オイスターケースの製造は、資本関係がない外部メーカーに生産委託をしている。ある日そのメーカーの工場に武装した強盗団が押し入り、多数のケースを強奪した。

当時、ロレックスの外部への生産委託についてスイスの時計業界では公然と囁かれていたものの、情報を公開しないロレックスの体質のため(いわゆる「ロレックス神話」)、世間では「ケースまで自社で生産している」と噂されていた。

なお、この強盗団のリーダーはスイスでも有数の名門高級時計ムーブメント企業ジャケ(現ラ・ジュウ・ペレ)の経営者の夫で、偽物を製作販売しようとして忍び込んで起こした事件である。この事件に関わった従業員は当時のジャケから全員が退職している。 2012年 ラ・ジュウ・ペレはシチズンによって買収された。

スポンサー[ソースを編集]

ロレックスは全米オープンや全英オープン、マスターズといった男子メジャーゴルフ選手権やライダーカップ(欧州開催のみ、アメリカ開催はオメガが公式計時)、F1、ル・マン24時間レース、デイトナ24時間レース、全豪オープン・ウィンブルドン選手権・ATPワールドツアー・ファイナルなどのATPワールドツアー・WTAツアーのオフィシャルタイムキーパーを担当している。

またロレックスはウィーン・フィル、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーも支援している。

脚注[ソースを編集]
1.^ “Montres Rolex S.A.”. Funding Universe (2008年8月18日). 2009年12月16日閲覧。
2.^ ただし元々スイスの時計産業は分業化が進んでおり、クォーツショック以前でも自社一貫生産をするメーカーのほうが少数派であった。
3.^ 初期には懐中時計も生産した。
4.^ クリオ・コンテンによる異動とも言われるが定かではない。
5.^ Ref.6239、Ref.6241、Ref.6262、Ref.6263、Ref.6264など。

外部リンク[ソースを編集]
公式ウェブサイト




カテゴリ: 腕時計
懐中時計
スイスの時計メーカー
ジュネーヴの企業






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パテック・フィリップ





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創業者の一人、アントニ・パテック




パテック・フィリップの複雑腕時計




カラトラバ
パテック・フィリップ(Patek Philippe)とは、スイスの高級時計メーカーである。1839年に2人のポーランド人アントニ・パテックとフランチシェック・チャペックによって創業された。

ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲとともに世界三大高級時計メーカーの一つとして数えられることが多い[1]。日本においては、その中でもパテック・フィリップは頭一つ抜け出た存在という認識も一部ある[1]。

過去にはカルティエ、ティファニー、ギュブラン(Guberin )、ゴンドーロ・ラブリオ等宝石店向けに製品を納入していた。

かつては多くの製品がジュネーヴシールの認証を受けていたが、現在は自社独自の認証マークである「パテック・フィリップ・シール」に切り替わった[1][注釈 1]。

世界一高価な腕時計を販売するマニュファクチュールとしても知られている。



目次 [非表示]
1 ブランド戦略
2 著名なユーザー
3 歴史 3.1 創業者の生い立ち
3.2 創業期
3.3 名声の確立
3.4 事業の拡大
3.5 スターン兄弟による買収
3.6 会社の再建
3.7 機械式時計の復興

4 著名な製品一覧 4.1 Ref.96
4.2 Ref.130
4.3 Ref.1450
4.4 Ref.1518
4.5 Ref.1527
4.6 Ref.1526
4.7 Ref.1593
4.8 Ref.2451
4.9 Ref.2526
4.10 Ref.2499
4.11 キャリバー89

5 注釈
6 出典
7 参考文献
8 外部リンク


ブランド戦略[編集]

どんなに古い自社時計についても修理することができる「永久修理」を宣伝しているため、「パテック・フィリップの時計は一生もの」というブランドイメージを構築することに成功している。しかし、保証期間(通常2年間)が過ぎた時計については、当然のことながら有料修理であり、またオリジナル部品を長期にわたって保持することを保証するものではない。そのため、オリジナル部品の在庫がなくなった時点以降はオリジナル部品を使った修復ではなく、その時どきで製造可能な代替部品を使ってのメンテナンスとなる。その場合、必要な代替部品を新たに製造するコストは個々のユーザーの負担となり、時計の購入価格を大きく超える修理代金を請求されるケースも多い。

また、パテック・フィリップはオークションで古い自社時計を高値で買い戻すことによって、「パテック・フィリップの時計の中古市場価値を保たせる」というビジネス戦略をとっている。その結果、上記の「パテック・フィリップの時計は一生もの」というブランドイメージの宣伝にも役立っている。

著名なユーザー[編集]

製作記念台帳に全ての購入者を記録しており[2]、その中にはヴィクトリア女王[3][2]、エリーザベト王妃[2]、アインシュタイン[3]、ヴィルヘルム1世[3]、ワーグナー[3][2]、チャイコフスキー[3][2]、フルトヴェングラー[3]、トルストイ[3][2]、プーシキン[3]、ウォルト・ディズニー[3][2]、クラーク・ゲーブル[3]等の名前がある。

特に1851年に、英国ヴィクトリア女王がブローチ型懐中時計を購入したことにより、パテック・フィリップの名声が一躍広まった[4]。

歴史[編集]

創業者の生い立ち[編集]
1811年4月4日 - 創業者フランティシェック・チャペック (František Čapek ) 、ボヘミアの現在はヤロミェジ (Jaroměř ) の一部であるセモニツェ (Semonice ) 村に産まれた。後に時計職人としてワルシャワに移住し、フランチシェック・チャペック (Franciszek Czapek ) とポーランド風に改名。
1812年7月12日 - 創業者アントニ・パテック (Antoni Patek ) 、「プラヴジツ (Prawdzic ) 紋章」を持つポーランド貴族(シュラフタ)の子としてポーランド、ルブリン市近郊のピャスキ・ルテルスキェ (Piaski Luterskie ) に産まれた。
1821年頃 - パテック、10歳の時両親とともにワルシャワへ移った。
1828年 - パテック、16歳でポーランド陸軍に入隊、「第1騎馬ライフル連隊」に配属。
1830年 - パテックとチャペック、ポーランド人によるロシア支配に対する反乱11月蜂起に参加した。パテックは、ロシア軍との戦闘における活躍により少尉に昇進、「8月1日旅団」の副官に昇格。1831年にはその功績が認められポーランド軍最高の栄誉である「ヴィルトゥーティ・ミリターリ勲章」 (Virtuti Militari ) を授与された。

同時期、チャペックはポーランド人の民兵組織である「ポーランド国民衛兵」の兵士としてワルシャワでロシア軍を相手に戦った。
1832年 - パテック、ロシア軍が制圧したポーランドから脱出。このときポーランド軍がその脱出ルート上に設置した5箇所の集結地点のうちの1つ、ミュンヘン近郊のバンベルクにあったポーランド軍陣地の司令官に任命された。

フランスへ亡命後しばらくは亡命ポーランド軍将校としてフランス側につき各地を転戦した。その後、軍を退役しアミアンに定住し植字工となった。

創業期[編集]
1835年頃 - パテックとチャペック、スイスのジュネーヴに移住する。その後、パリへ旅に出て得た経験から高級懐中時計の販売を始めた。
1839年5月1日 - パテックとチャペックは共同で事業を開始することで同意し、同郷であるポーランド人時計製造業者のヴァヴジニェツ・ゴストコフスキ、ヴィンセンティ・ゴストコフスキ、ヴワディワフ・バンドゥルスキの財政援助を得て「Patek, Czapek & Cie」を創業、これより1850年ごろまでポーランドの歴史と文化に関連したデザインの懐中時計をオーダーメイドで製造した。
1843年5月29日 - アントニ・パテック、ジュネーヴ市民となり、アントワーヌ・パテック(Antonine Patek)とフランス風に改名。
1844年 - パテック、自社製品をパリの博覧会に出品するためパリに赴き、ジャン・アドリアン・フィリップ(Jean Adrien Philippe)と出会った。フィリップが発明した「リューズ巻き上げ、時刻合わせ」の機構に感銘を受け、意気投合した。
1845年5月1日 - フィリップが入社、社名を「Patek & Cie」に変更。自社初の懐中ミニッツリピーターを製作。フランツ・リスト、シャーロット・ブロンテ、レフ・トルストイが懐中時計を購入。
1845年5月17日 - 創業者チャペック、「Patek & Cie」から去る。その後チャペックはポーランド、フランスで時計を製造したが、1869年頃に会社を清算し、その後の消息は不明。彼の名を冠したブランドは2011年にバーゼルで復興され、2014年にヌーシャテルに移転して2015年から複雑時計の発売を開始している。

名声の確立[編集]
1849年 - アメリカのティファニーに懐中時計供給を始めた。
1851年1月11日 - 社名を「Patek & Cie」から「Patek & Philippe Cie」に変更。
1851年 - ロンドン万国博覧会に出品、ヴィクトリア女王がリューズ巻上げ・時刻合わせ式の18金ペンダントウォッチを購入。
1854年 - 本社が現在地Quai General Guisanに移った。
1867年6月26日 - ローマ教皇ピウス9世が18金懐中クォーターリピーター[5]を購入。裏蓋には教皇の紋章と両側に月桂樹が七宝で描かれている。
1877年5月1日 - 創業者パテック死去。
1877年 - ピョートル・チャイコフスキーがルイ15世スタイルの懐中クォーターリピーターを購入。
1878年 - ティファニーがアメリカ製工作機械を備えた自社のジュネーブの時計ムーブメント製造工場をパテックフィリップに売却[6](この影響で、この年代近辺では全く同じムーブメントでありながら、Tiffany製の物とPatek製の物が市場に流通している)。
1891年1月 - ジャン・フィリップが経営を息子のジョセフ・エミール・フィリップに譲る。
1894年1月5日 - ジャン・フィリップ死去。

事業の拡大[編集]
1895年頃 - マリ・キュリーがジュネーヴ芸術協会からペンダントウォッチを授与された。
1907年 - ジョセフ・エミール・フィリップ死去、その息子アドリアン・フィリップが会社の経営を引き継いだ。
1908年 - 現在の本社ビルが完成。
1915年 - アルベルト・アインシュタインが懐中時計を購入。
1927年4月6日 - パッカードの創業者の一人ジェームズ・ウォード・パッカード (James Ward Packard ) に「パッカードウォッチ」を12,815スイスフランで売却。

スターン兄弟による買収[編集]
1929年 - 世界大恐慌の影響で経営が悪化し、文字盤製造業者のジャン・スターン (Jean Stern ) とシャルル・スターン (Charles Stern ) 兄弟が資本参加した。
1932年6月14日 - スターン兄弟が会社を買収。 現在の社名である「Patek Philippe S.A.」に変更。

アドリアン・フィリップが経営から退き、ジャン・フィスター (Jean Pfister ) が社長に就任。ドレスウォッチの傑作Ref.96を発売。高級腕時計の代名詞となるカラトラバを発売。
1933年1月19日 - ヘンリー・グレーブス・ジュニア (Henry Graves Jr. ) からティファニーを通じて「史上一番複雑な時計」を受注し24機能の複雑時計「グレーブス・ウォッチ」を製作、60,000スイスフランで売却した。

会社の再建[編集]
1948年 - エレクトロニクス部門設立。
1949年5月15日 - ジャイロマックス・テンプの特許取得。スイス特許番号261431。
1951年12月31日 - ジャイロマックス・テンプの特許取得。スイス特許番号280067。
1956年 - 全電気式クォーツ時計を製作。
1958年 - ジャン・フィスターが退職、シャルル・スターンの息子で1936年以来ニューヨーク支店長だったアンリ・スターンが社長に就任。
1968年 - 「エリプス」シリーズ発売。最初のモデルはRef.3548。
1976年 - ジェラルド・ジェンタデザインによる「ノーチラス」シリーズ発売。最初のモデルはRef.3700/1。
1978年 - アンリ・スターンの息子フィリップ・スターンが社長就任。
1988年 - 「パッカード・ウォッチ」を買い戻した。

機械式時計の復興[編集]
1989年 - 「キャリバー89」を発表。
1993年 - 「ゴンドーロ」シリーズ発売。最初のモデルはRef.4824。
1999年12月 - サザビーズ・オークションにて「グレーブス・ウォッチ」が1個の時計としては史上最高値の11,002,500ドルで落札された。
2000年10月5日 - 西暦2000年を記念し21機能、パーツ数1118個の複雑時計「スターキャリバー2000」が発表された。ハーフハンター・ケース、ダブル・フェイス・ポケットウォッチ。ケース素材違いの4個が1セットで価格は7,500,000ドル。毎年1セットずつ5セットが製造された。
2002年4月 - アンティコルム・オークションにてルイ・コティエが考案した方式の1949年製ワールドタイムが腕時計としては史上最高値、当時の日本円で約4億8000万円で落札された。
2009年 - フィリップ・スターンの息子ティエリー・スターンが社長に就任。
2010年5月11日 - クリスティーズがスイスのジュネーヴで開いた腕時計のオークションで、1943年にワンオフで製作されたカレンダー・クロノグラフRef.1527が、競売に出された黄金の腕時計として史上最高値、腕時計全体でも歴代2位の約626万スイスフラン(約5億2200万円)で落札された。

著名な製品一覧[編集]

Ref.96[編集]

1932年に発売されたカラトラバモデル。デヴィッド・ペニーのデザイン。パテック・フィリップの製品の中でも特にデザインが優れていることで著名なロングセラーである[2]。バウハウスのシンプルなデザイン哲学に基づいて文字盤やケースなどはデザインされており、スモールセコンドを配したシンプルな3針モデル。Ref.ナンバーから日本では「クンロク」「キュウロク[2]」の愛称で呼ばれている。キャリバーは時代に応じてCal.12、Cal.12-120、Cal.12-400、Cal.27-AM400などが使用されている。一般には1967年まで生産されたことになっているが、現在では、製造番号から1971年頃までは生産されていたことが判明している。ケース径32mm。初代Ref.96が販売中止された後もCal.215をφ31mmケースに入れたRef.3796、1995年発売でCal.215をφ33mmケースに入れたRef.5096、2004年バーゼルフェアで発表されCal.215をφ37mmケースに入れたRef.5196など96のデザインを引き継いだ時計が販売され続けている。

Ref.130[編集]

シンプルな2レジスタークロノグラフ。直径33mm。キャリバーはCal.13。

Ref.1450[編集]

21×35mmの角形時計。帽子をかぶったような特徴的なケース形状から「トップハット」と俗称される。キャリバーはCal.9-90。

Ref.1518[編集]

パーペチュアルカレンダー、ムーンフェイズ、クロノグラフ機能を持つφ35mmの複雑時計。キャリバーは13Q。1941年から1954年までに281個が製造された。2010年5月11日のクリスティーズオークションで競売に出された黄金の腕時計として史上最高値、腕時計全体でも歴代2位の約626万スイスフラン(約5億2200万円)で落札された旨報道されたがこれはRef.1527の間違いである。

Ref.1527[編集]

Ref.1518に似ているが、ラグが長く曲がり、右側面がほんの少しではあるがリューズガード様になっているワンオフ品である。2010年5月11日のクリスティーズオークションで競売に出された黄金の腕時計として史上最高値、腕時計全体でも歴代2位の約626万スイスフラン(約5億2200万円)で落札された[7][8]。

Ref.1526[編集]

Ref.1518からクロノグラフを省略した型。キャリバーはCal.12-120Q。1942年から1952年までに210個が製造された。

Ref.1593[編集]

22×32mmの角形時計。「フレアード」と俗称される。キャリバーはCal.9-90。

Ref.2451[編集]

二重構造のケースで防塵構造を実現し、アウターケースは、パテック・フィリップでは珍しいスクリューバック方式を採用。ケースの素材にはイエローゴールド、ピンクゴールド、プラチナのメジャーな素材以外に、パテック・フィリップにおいては極めて珍しいステンレス鋼のモデルがある。ケースはφ30mm。キャリバーは手巻きのCal.10-200。

Ref.2526[編集]

強い日差しにも焼けないよう白七宝製文字盤を使用していることから、カメラの熱帯仕様にちなんで「トロピカル」と俗称されている。ケースはφ35mm。キャリバーはCal.12-600AT。

Ref.2499[編集]

Ref.1518の後継で、ケースデザインが近代化された。φ38mm。派生型を含め1950年から1985年までに349[注釈 2]製造された。1960年にクロノグラフのプッシュボタンが角型から丸型に変更された。1978年以降はサファイアクリスタルに変更されたRef.2499/100である。特殊な派生型としてインテグラルケースに収められたRef.2499/101が4個以下存在する。

キャリバー89[編集]

創業150周年を記念して製作された33機能の複雑時計。基本計算、基本設計は1980年に開始され、作動する試作品は1988年7月、製品は1989年4月に完成した。直径88.2mm、ガラスを除いた厚み36.55mm、ガラスを含んだ厚み44.07mm、ケースのみの重量500g、総重量1,100g。1278個のパーツが洋銀製プレート3枚に4層になって組まれている。126石。ガラス、ディスクはサファイア・クリスタル製。文字盤は14金に銀蒸着が施してある。

18金イエローゴールドケースに収められた試作品の他18金イエローゴールド、18金ローズゴールド、18金ホワイトゴールド、プラチナのケース素材違いで4個が製作され、1989年4月9日のアンティコルム・オークションにイエローゴールドモデルが出品されて4,500,000スイスフランで落札された。2004年4月のアンティコルム・オークションにも出品され、6,600,000スイスフランで落札されている。試作品はパテックフィリップミュージアムにある。

注釈[編集]

1.^ 「世界で唯一、すべての製品がジュネーヴシールの認証を受けているブランド」はロジェ・デュブイの存在から明らかに誤りである。またジュネーヴシールが制定される前から時計を製造しており、過去には認証を受けていない製品がある。
2.^ うちプラチナケースが2個。

出典[編集]

1.^ a b c 『腕時計一生もの』p.210。
2.^ a b c d e f g h i 『腕時計 男のグッズ100シリーズ1』p.18-19。
3.^ a b c d e f g h i j 「至高の時計メーカー パテック フィリップ」(パテック フィリップ大図鑑 p.4 図上 1998年10月5日)。
4.^ 「至高の時計メーカー パテック フィリップ」(パテック フィリップ大図鑑 P4 1998年10月5日)
5.^ ケースNo.27033。
6.^ John Loring 『Tiffany timepieces』 ISBN 0-8109-5592-X 、P.18〜21
7.^ PHILIPPE Complicated Wrist Watch
8.^ クリスティーズのウェブサイト。

参考文献[編集]
ワールドフォトプレス編『腕時計 男のグッズ100シリーズ1』光文社文庫 ISBN 4-334-70494-8
並木浩一『腕時計一生もの』光文社新書 ISBN 4-334-03148-X

外部リンク[編集]
公式ウェブサイト




カテゴリ: 懐中時計
腕時計
スイスの時計メーカー
皇室御用達の業者





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フランク・ミュラー





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曖昧さ回避 アメリカンコミックの原作者・ライターおよび映画監督のFrank Millerについては「フランク・ミラー」を、日本で活躍したイギリス人英語教師については「フランク・ミュラー (英語教師)」をご覧ください。





メーカーロゴ




フランク・ミュラー




フランク・ミュラーウォッチランド本社




ムーブメント




腕時計デッサン1




腕時計デッサン2
フランク・ミュラー(Franck Muller )とは、
1.“ブレゲの再来”と称されるスイスの時計師( 1958年7月11日(58歳))
2.1.が創業した腕時計メーカー、およびそのブランド

である。



目次 [非表示]
1 経歴
2 メーカー 2.1 ブランド

3 主な製品
4 脚注
5 参考資料
6 外部リンク


経歴[編集]

スイス、ヌーシャテル州ラ・ショー=ド=フォンでスイス人の父とイタリア人の母の間に生まれ、10代の頃から骨董品や古い機械式時計に魅せられた。

1975年、ジュネーブ時計学校(Ecole d'horlogerie de Genève )に入学、3年以内に履修する単位を1年で修得し、卒業前からその[どれ?]卓越した技術が注目された[誰によって?]。当時は卒業時にロレックスが1本分のパーツを与えて自分で組み上げるというのが卒業検定のひとつとして存在したが、そのパーツにモジュールを追加し、永久カレンダーにした(他にも数多くの時計師がそのモジュールを製作しており、彼だけが非常に優れていたわけではない)。同じ部屋で共に学んでいたアントワーヌ・プレジウソとともに首席[何の?]で卒業した。

卒業後は主にオーダーメイドでの時計製作で自己資金を貯め、製作場所はパン工房の2階を改築して行っていた。

独立時計師アカデミー会員となり、スヴェン・アンデルセンのもとでコレクターや博物館から依頼されたパテック・フィリップなどの数多くのマスターピースの修復作業を行う一方で独自の創作活動も続け、毎年のように複雑時計を発表している。スイスのジュネーヴ在住。

メーカー[編集]

1991年11月、ジュエラーかつケースメーカーだったヴァルタン・シルマケスと意気投合しテクノウォッチを設立、フランク・ミュラーブランド製品の製造を始めた。当初は全数自社制作で高級時計メーカーとして知られるようになったが、1994年からベースムーヴメントにエタ製品も使用している。また、一部にはクオーツムーブメントも使用している。

1998年にフランク・ミュラー・ウォッチランドに社名変更し、S.I.H.H.(ジュネーブサロン)を離脱して独自の時計展示会W.P.H.H.(The World Presentation of Haute Horlogerie )を開催した。現在はピエール・クンツ、ヴァルタンの息子サスーンが設立したクストス、イギリスの宝飾品メーカーバックス&ストラウスを初めとする複数のブランドを所持するフランク・ミュラーウォッチランドグループとして運営している。それに伴い、アカデミーからは脱退した。

だが企業としての急激な拡張のためにフランク自身が経営に関わらざるを得なくなった結果、組織内で不協和音が生じ、2003年にシルマケスとフランクとの確執が生じたが2006年に和解にこぎつけた。現在ではシルマケスがCEOとなり、開発チームを二つに分けることによりフランクが時計開発に専念できるようになっている。

特徴としては複雑時計の他に、アンティーク腕時計に用いられていた「ビザン数字」を用いた文字盤、曲線を帯びた樽型の「トノー・カーベックス」などの独創的なケースなどが挙げられる。この他に「ラウンド・ヴィンテージ」などのように古典的なブレゲ数字を用いた時計もラインアップしている。このように、アンティーク時計の修理で培った知識と技術に基づくデザインを自作に取り入れている。ただし、商品が非常に高額にもかかわらず、独立系であるために人員・部品に限りがあることを理由として並行輸入品のオーバーホールを認めないなどの問題が指摘されている。

現在では、iPhoneのケースや宝飾品の製作、日本における結婚式のプロデュース(フランク・ミュラー ウェディングデスク)なども行っている。日本において「フランク三浦」と商標を争い敗訴した。

ブランド[編集]

フランク・ミュラーの他に展開しているブランドは以下の通りである。
ピエール・クンツ:専らレトログラードの時計を製造している。
ヨーロピアン・カンパニー・ウォッチ:アール・デコ様式による腕時計を製造。
バックス&ストラウス(英語版):1789年創業のロンドンのダイヤモンドメーカー。フランク・ミュラーとのコラボレーションにより、ダイヤモンドを組み合わせた腕時計を製造。
マーティン・ブラウン:同名のドイツの時計師(1964年カールスルーエ生まれ)による時計ブランド。2000年に参加するが、ブラウン自身は翌年にグループを去り、「アントワーヌ・マーティン」、「N・B・イェーガー」という2つのブランドを展開している。天文学が好きなブラウンの趣味を反映し、日の出、日の入りなど天文現象を表示した時計を製造している。
ロドルフ:1989年創業の複雑時計製造メーカー。2005年にグループへ加入。
バルトレー:1930年創業のフランスの時計メーカー。2007年にグループへ加入。
クストス:バルタン・シルマケスの息子サスーン・シルマケスとアントニオ・テラノヴァが2005年に創業。トノー型の複雑時計を手がける。
フランク ミュラー フューチャー フォーム:トレードマークのビザン数字をあしらった国産の家具、食器、テーブルクロスなどを手がける。
ロベルト・カヴァリ バイ フランク・ミュラー:コラボ腕時計ブランド。2015年より、ミスズを販売代理店として、日本でも発売開始となる[1]。

主な製品[編集]
フランク・ミュラー初のトゥールビヨン腕時計(1986年) - 新構造のトゥールビヨン、ジャンピングアワー機能付き、レギュレーター・タイプ文字盤。
フリーオシレーション・トゥールビヨン、ミニッツリピーター(1987年) - トゥールビヨンとミニッツリピーター機能を持つ。ムーブメントのパーツにはエンパイア・スタイルの装飾が施され、スケルトン加工の文字盤を通じてその姿を見ることができる。設計に2年掛かり、数百個のパーツが使用された。
リバース・トゥールビヨン、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダー(1989年) - 1点製作。研究に2年、数百個のパーツが使用された。
スプリットセコンド・クロノグラフ、トゥールビヨン(1990年) - 1点製作。設計に16か月掛かり、数百個のパーツが使用された。
ミニッツリピーター、ワールドタイム(1990年)
ダブルフェイス・モノプッシャー・クロノグラフ、ワールドタイム(1991年) - 表側の文字盤は通常の時、分、秒を表示し回転ベゼルの位置によって第二タイムゾーンが表示される。裏側に配された二つ目の文字盤はパルスメーター。
キャリバー92(1992年) - 1点製作。グランドおよびプチソヌリー、ミニッツリピーター。2100年までプログラムされたパーペチュアルカレンダーは日付と曜日、レトログラード式の12か月名と各月の均時差を表示し、閏年の周期、24時間、ムーンフェイズ、さらに時計内部の温度表示計を備えている。プラチナ950のブロックを加工したエンパイア・スタイルのケースに収められている。
トゥールビヨン、スピリットセコンド・クロノグラフ、パーペチュアルカレンダー(1992年) - 1点製作。最も複雑とされる3大機構を統合した複雑時計。完成まで14ヶ月かかった。
ダブルフェイス・クロノグラフ(1992年) - 表側の文字盤は時、分、秒表示とタキメーター・スケール、裏側の文字盤はテレメーター、パルスメーター、タキメーターの各機能が配置されている。特許を取得した。
キャリバー93(1993年) - スプリットセコンド・クロノグラフ、ミニッツリピーター、日付と曜日、レトログラード式の12か月と各月の均時差を表示するパーペチュアルカレンダー、閏年の周期、24時間、ムーンフェイズ、時計内部の温度表示計を統合する。
リピーター作動インジケーター付きミニッツリピーター(1993年) - 特許を取得した。文字盤のレトログラード針によってリピーター機能の作動状況が一目で分かる。
ダブル・ジャンピングアワー、カレンダー(1994年) - 文字盤上の12時の位置に設けられた小窓とその下のダイヤルによって二つのタイムゾーンの時刻を表示。2つの時刻表示は60分経過すると同時にジャンプする。6時位置にはスモールセコンド、デイト表示。特許登録されている。
クロノグラフ、レトログラード式月別均時差表示付きパーペチュアルカレンダー(1994年) - クロノグラフ、パーペチュアルカレンダー、レトログラード式の針で12か月名を表示。この針で1月から6月に特に顕著な差が現れる均時差表示を加える。
キャリバー94(1994年) - 作動インジケーター付きミニッツリピーター、レトログラード式月別均時差表示付きパーペチュアルカレンダー、フランク・ミュラー特許のトゥールビヨン、レトログラード秒針、時計内部の温度表示針などの多岐にわたる複雑機構をコンパクトなサイズで実現した。1点製作。プラチナ950のブロックから作り出され、時計全体で350個を超えるパーツを使用している。研究開発には3年以上が費やされた。
ミニッツリピーター、レトログラード式月別均時差表示付きパーペチュアルカレンダー、トゥールビヨン(1995年) - フランク・ミュラー特許のトゥールビヨンと、フランク・ミュラー特許の作動インジケーター付きのミニッツリピーター、レトログラード式月別均時差表示付きパーペチュアルカレンダー機能を持つ複雑時計。
キャリバー95(1995年) - フランク・ミュラー特許のトゥールビヨン、スプリットセコンド・クロノグラフ、センター時針・分針、秒針・日付と曜日、レトログラード式12か月名と各月の均時差を表示するパーペチュアルカレンダー、閏年の周期表示、24時間ムーンフェイズ、時計内部の温度表示などの機能を備えている。1点製作。ダブルフェイス。
キャリバー96(1996年) - 完全にダブルフェイスになった腕時計の両面にミニッツリピーターを配した世界初のモデル。それぞれに独立したミニッツリピーターが搭載され、使用者が選んだ都市や地域の時刻を時・15分・分単位で打ち鳴らす。
ミニッツリピーター、インペリアル・トゥールビヨン(1996年) - 1995年に発表したこのモデルに再び取組み、ラウンド型以外の時計で初めて作動インジケーター付きミニッツリピーターをトゥールビヨンに組み合わせる。トゥールビヨンを裏返しにし、ミニッツリピーターの作動機構を交錯させ、これらの文字盤に開けられた窓から見えるようにした。
マスターバンカー(1996年) - 1個の自動巻きムーブメントで3つの異なるタイムゾーンを時針と分針で表示する機構を備えている。各時刻の調整や設定はリュウズひとつで行える。特許登録されている。フランクの友人の銀行家の要望がきっかけで誕生した。
キャリバー97(1997年) - 1点製作。グランドソヌリ、プチソヌリー、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダーが一体化されている。
エンデュランス24自動巻きスピリットセコンド・クロノグラフ(1997年) - 世界で初めて24時間表示の自動巻きムーブメントでスプリットセコンド・クロノグラフを実現。1997年にオフィシャル・タイムキーパーに選ばれたル・マン24時間レースのイメージを現す。
RMQPCR(1997年) - ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダー、モノプレッシャースピリットセコンド・クロノグラフ、ダブルフェイス・クロノグラフを1個の腕時計に集約し、世界初となる。
世界最小のトゥールビヨン・ムーブメント(1998年) - 直径19.15mmという世界最小のトゥールビヨン・ムーブメントの開発に成功し世界記録を樹立する。ムーブメントは全体にダイヤモンドをセットした卵のようなフォルムのような宝飾時計の心臓部に組み込まれ、卵の上面に配されたガラスを通して時・分を読み取ることができる。
マスターシティー(1998年) - 小窓に表示されるジャンピングアワーによって第二タイムゾーンの時刻や世界の14都市を選択できる機能が読み取れる世界初の腕時計。
キャリバー98(1998年) - 1点製作された完全なダブルフェイス・ウォッチ。一方の文字盤には全面ダイヤが敷き詰められ、針がなく、1枚の回転ディスクによって時刻が表示される。もう一方の文字盤は、フランク・ミュラー独自の発明によるルーレットが配される。グランドソヌリ、プチソヌリー、ミニッツリピーターの機能も組み込まれている。
マスターバンカー・クロノグラフ(1999年) - 独立して時刻を設定できる3つのタイムゾーン表示機能と、時間計測が可能なクロノグラフ機能が統合されている。マスターバンカー機能を作動させる部分にはまったく接触せずに、クロノグラフ機能を使用する複雑時計。
キャリバー99(1999年) - 1点製作。プラチナ製の完全ダブルフェイス・ウォッチ。一方の文字盤には、ダブルミステリーとして現在特許登録されている発明が組み込まれている。針を用いずに2枚の回転ディスクによって時間と分をそれぞれ読み取る初の機構。グランドソヌリ、プチソヌリー、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダー機能を組み込む。
ヴェガス(1999年) - リュウズに同軸に組み込まれたプッシュボタンを押すとルーレット用の針を動かすことができる。このボタンから指を離すと針が止まる。ルーレット機能に加え、文字盤では通常の時針を表示する。
キャリバー2000(2000年) - すべての表示がレトログラード方式という1点製作の完全ダブルフェイス・ウォッチを初めて発表。一方の文字盤では時、分、秒の各表示、もう一方の文字盤では曜日と日付がレトログラードで表示される。他にパーペチュアルカレンダー、グランドソヌリ、プチソヌリー、ミニッツリピーターが組み込まれている。
ロングアイランド・ビーレトロ・セコンド(2000年) - 秒を2つレトログラード針によって表示する。第一の秒針は0から30秒までを、第二の秒針は30から60秒まで表示する。
トゥールビヨン・レボリューション(2002年) - 左側のボタンを押すことでトゥールビヨン・ケージがサファイア・クリスタルの風防の近くまで上がり、その細部まで見ることができる。
トゥールビヨン・レボリューション2(2003年) - ケージを水平と垂直の2方向に回転させることで、より地球の重力により生ずる制度の誤差を補正する。トゥールビヨンの回転と連動した2つのレトログラード針がそれぞれ8分、60秒を表示する。
クレイジー・アワーズ(2003年) - 文字盤の数字は一見ランダムに配列されている[2]。
トゥールビヨン・レボリューション3(2004年) - 世界初の三重軸式トゥールビヨン。お互いに垂直になるように固定された3つの軸を中心に3つのゲージが回転する。
クレイジー・アワーズトゥールビヨン(2004年) - クレイジー・アワーズにトゥールビヨン機構を組み込んだ。
エテルニタス(2006年) - トゥールビヨンにフランク・ミュラーをデザインしたブリッジを持ち、パーペチュアルカレンダーとも異なるグレゴリオ暦の400年周期を自動表示するエターナルカレンダー、1000年に1日しか修正の必要がないムーンフェイズ、レトログラード・デイト、曜日、月名表示、デイ&ナイトと組み合わせた24時間表示、均時差表示、スピリットセコンド・クロノグラフ、マスターバンカーを搭載。
エテルニタス・メガ4(2007年) - エテルニタスにグランドソヌリとプチソヌリ、ミニッツリピーター機能を搭載した複雑時計。マイクロローターにより8日巻きを実現。シースルーバック。
ヴァンガード(2014年) - 従来のトノー・カーベックスと異なり、ストラップを直接ケースへ挿入させることでラグを無くした。さらに、ビザン数字ではなく独自に設計した立体的なアラビア数字を文字盤に用いている。

<ケース形状別コレクション>
トノウ・カーベックス
ロングアイランド
ラウンド
コンキスタドール コンキスタドールコルテス
コンキスタドールグランプリ

マスタースクエア
アールデコ
ギャレ
ハートトゥハート
インフィニティー

<デザイン別コレクション>
カサブランカ
カラードリームス
サンセット
レリーフ

<機能別コレクション>
マスターバンカー
クレイジーアワーズ
ヴェガス
シークレットアワーズ

脚注[編集]
1.^ スイス高級時計が普及価格帯に参入! 日本市場に寄せる期待とは!? 超高級ブランドがコラボレーション、マイナビニュース、2015年12月9日、2015年12月9日閲覧
2.^ 実際にはランダムではなく8、1、6、11、4、9、2、7、12、5、10、3で1時間経過により5目盛りずつジャンプする。

参考資料[編集]
「永久保存版【別冊付録】フランク・ミュラー完全読本」、『時計Begin 2012 AUTUMN』、2012年9月10日発売

外部リンク[編集]
公式ウェブサイト
フランク・ミュラー 革新が生んだ比類なき個性 - Web Magazine OPENERS
時計師フランク・ミュラーの軌跡 - Gressive

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ブルガリ





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ブルガリ
Bulgari S.p.A.

Bulgari logo.svg

業種
奢侈品

設立
1884年

創業者
ソティリオ・ブルガリ

本部
イタリアの旗 イタリア ローマ

代表者等
マイケル・バーク

製品
時計、宝石、アクセサリー、香水、化粧品

売上高
€10.6億(2010年)

所有者
LVMH

従業員数
3,815人(2010年)

ウェブサイト
bulgari.com
テンプレートを表示


ブルガリ(Bulgari /BVLGARI )は、ギリシャ系イタリア人のソティリオ・ブルガリが1884年にイタリアのローマに創業した高級宝飾品ブランドである。フランスの企業グループであるLVMHに属する。(※後述)

企業としての商号は、「J」「W」「U」がなく、かつ小文字もなかった古代アルファベットの表記法により「BVLGARI」と表記される。



目次 [非表示]
1 概要
2 沿革
3 香水 3.1 香水一覧

4 脚注
5 外部リンク


概要[編集]

元は高級宝飾店として開業したが、1977年から腕時計の製造も始めた。2000年代以降は、香水やメガネフレーム、レザーアイテム(ハンドバッグや財布)なども取り扱っており、リゾート・ホテルの経営にも乗り出している。宝飾品、時計、バッグなどにみられるヘビの頭部をあしらった意匠などがブランドアイコンとされる。

1970年代にニューヨークに海外1号店を出店。現在は世界中に150ほどの直営店があり、日本では東京都千代田区紀尾井町に本店がある。日本全国では40店舗ほどあり、2007年には銀座でレストランやバーも備えたブルガリ最大の旗艦店となる銀座タワー店が完成した[1]。2012年には大阪の阪急うめだ本店に、世界初となるインストアカフェを併設した店舗をオープンした。

2011年3月に創業家とLVMHとの株式交換が行われ、会社がLVMH傘下に入ると同時に、ブルガリ創業家がLVMHの株式の一部を保有する形となった[2]。これに伴い、かねてよりルイ・ヴィトン、クリスチャン・ディオール、ならびにフェンディなどの要職を歴任してきたマイケル・バークがLVMHより赴任[3]。翌2012年2月をもって、創業家以外で初のCEOに就任している[4]。

なおLVMHグループ入りの際には、LVMHによる買収ではなく株式交換の形をとっており、LVMHのブルガリ株式保有分をブルガリ家が株式交換で入手したLVMH株と交換することを申し入れることができるという条項が付けられている。

沿革[編集]





ブルガリのネックレス1884年 - 創業。宝飾店をローマ・システィーナ通りにオープン。
1970年代 - 米ニューヨークに海外1号店を出店。
1991年 - 日本進出。ブルガリ・ジャパン設立。
1995年 - イタリア証券取引所に上場。
2004年 - ホテル事業に進出。ブルガリホテル・ミラノオープン。
2011年 - 創業家による株式交換によりLVMH傘下に入る。

香水[編集]

1993年に、ブルガリが最初の香水「オ・パフメ」(のちにオ・パフメ・オーテヴェールと改名)を発表した。「緑茶の香り」として茶の湯の世界を表現したものとされ、これがヒットしたため、本格的に香水事業に乗り出すようになった。メンズ・レディースともに、多様な商品を展開している。

日本での輸入総代理店はブルーベル・ジャパンで、ブルガリの各店舗のほか、全国デパートのフレグランスコーナーの「カフェ・ド・パルファム」で購入可能。

香水一覧[編集]





ブルガリの香水




ミラノのブルガリ・ショップメンズアクアシリーズ プールオム(AQVA pour homme)プールオム マリン(AQVA pour homme)プールオム トニック(AQVA pour homme Toniq)プールオム マリン トニック(AQVA pour homme marine Toniq)
ブルー プールオム(BLV pour homme)
ブルガリ プールオム(BVLGARI pour homme) ブルガリ プールオム エクストレーム( - extreme)ブルガリ プールオム ソワール( - soir)
ブルガリ マン(BVLGARI man)
レディースオ・パフメ(Eau Parfumee)シリーズ オーテヴェール( - au the vert)エクストレーム( - extreme / オーテヴェールの濃縮版)オーテルージュ( - au the rouge)オーテブラン( - au the blanc)
ブルーシリーズ ブルーブルーIIブルー オードエテ(2010年夏季限定品)
オムニアシリーズ オムニアアメジストクリスタングリーンジェイドコーラル
ジャスミンシリーズ ヴェールノワールモンジャスミンノワール
ブルガリ プールファム
ブルガリ ローズエッセンシャル
男女兼用ブルガリ プチママン
ブルガリ ブラック
製造中止ブルガリ オーフレッシュ(eau fraiche / プールファムのライト版)
日本展開なしブルガリ ブルー ノッテ プールオム/プールファム

など。

脚注[編集]

[ヘルプ]

1.^ 2007年11月30日 日経トレンディ[1]
2.^ 『仏LVMHがブルガリ買収を正式発表』 2011年3月7日 Fashionsnap.com
3.^ 『新生ブルガリの"敏腕"CEOが初来日 銀座タワー5周年』 2012年11月9日 Fashionsnap.com
4.^ 『3世紀にわたるブルガリジュエリーを一堂に展示、「イタリア至高の輝き展」10日から』 2012年11月9日 AFPBB News

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、ブルガリに関連するカテゴリがあります。
Bvlgari
Bulgari - Facebook
Bulgari (@bulgariofficial) - Twitter
Bulgari - 公式YouTubeチャンネル
BVLGARI (bulgariofficial) - Instagram
東京国立博物館 - 展示 表慶館 「アート オブ ブルガリ  130年にわたるイタリアの美の至宝」

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ベル&ロス





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創業年
1992年

創業者
カルロス・A・ロシロ、ブルーノ・ベラミッシュ

Siège social
フランス・パリ

Activité(s)
horlogerie

Site Web
www.bellross.com

Bell & Ross (ベル&ロス)は、カルロス・A・ロシロ(Carlos A. Rosillo )とブルーノ・ベラミッシュ(Bruno Belamich )により1992年に設立された高級腕時計ブランド。 本社はフランス・パリにあり、腕時計は全てスイス製。

現在もカルロス・A・ロシロがCEOを務め、ブルーノ・ベラミッシュが全てのクリエーションを統括するクリエイティブ・ディレクターを務める。

「視認性」「機能性」「信頼性」「高精度」の4つの基本原理を掲げ、「形は機能に従う」という信念のもとプロフェッショナルに向けた時計づくりを行う。

ロゴは腕時計の形をしており、創業者2人の名前と、ブランドに関わる様々な才能、スタッフ、マスター・ウォッチメーカー、プロフェッショナル・ユーザーを意味している。

航空計器にインスパイアされて誕生した「BR 01」(ビー・アール・ゼロワン)や「BR 03」(ビー・アール・ゼロスリー)などが有名。

ブランド概要[編集]

2人は高校時代から親友であり、時計収集が趣味であった。時計メーカー設立前、カルロスは投資銀行に勤め、ブルーノはアートの分野で活躍した。しかし1990年に二人は再会し、時計に対する情熱から腕時計メーカーを設立した。

ブルーノがジンの時計のテイストが大変気に入っていたため設立後時計メーカーに関する助言を仰ぐため2人はドイツにヘルムート・ジン社長を訪ね、ヘルムート・ジンは二人の熱意に共感して「Bell&Ross by SINN」という形で時計製作を提案。1991年にジンから発表されたこの時計から世界のマーケットに進出した。

1998年に初のベル&ロスブランドとして「ヴィンテージ」を発表し、同時期にシャネルと資本提携をする。以後、独自のコンセプト「形は機能に従う」という機能美をテーマにした時計を発表している。2002年にはジンから独立してラ・ショー=ド=フォンに工場を設立した。

2005年に発表された角型の「BR01」は、ラルフ・ローレンが一目惚れし自社の広告ビジュアルに大々的に使用するなど、視認性と機能美からファッション業界、軍関係に支持された。

ウィキメディア・コモンズには、ベル&ロスに関連するカテゴリがあります。

外部リンク[編集]
Bell & Ross 公式サイト
The Watch Quote: Bell & Ross History




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セイコーホールディングス





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曖昧さ回避 「SEIKO」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「SEIKO (曖昧さ回避)」をご覧ください。


曖昧さ回避 「セイコー」はこの項目へ転送されています。北海道を中心に展開するCVSについては「セイコーマート」をご覧ください。

セイコーホールディングス株式会社
Seiko Holdings Corporation

Seiko logo.svg
Ginza-WAKO 2012.JPG
銀座和光(旧・服部時計店、セイコーホールディングスの登記上の本店)


種類
株式会社

機関設計
監査役会設置会社

市場情報

東証1部 8050
1949年5月上場


略称
セイコーHD

本社所在地
日本の旗 日本
〒104-8110
東京都中央区銀座一丁目26番1号

本店所在地
〒104-8129
東京都中央区銀座四丁目5番11号
(登記上の本店・銀座和光内)

設立
1917年10月29日(1881年創業)

業種
精密機器

代表者
服部真二(代表取締役会長兼グループCEO)
中村吉伸(代表取締役社長)

資本金
100億円(2016年3月31日現在)

発行済株式総数
2億702万1,309株(2016年3月31日現在)

売上高
連結:2,967億5百万円
単体:119億84百万円
(2016年3月期)

営業利益
連結:133億7百万円
単体:40億91百万円
(2016年3月期)

経常利益
連結:118億79百万円
単体:43億93百万円
(2016年3月期)

純利益
連結:121億42百万円
単体:33億70百万円
(2016年3月期)

純資産
連結:1,026億92百万円
単体:549億64百万円
(2016年3月31日現在)

総資産
連結:3,291億15百万円
単体:1,471億45百万円
(2016年3月31日現在)

従業員数
連結:1万3,437名
単体:128名
(2016年3月31日現在)

決算期
3月31日

会計監査人
有限責任あずさ監査法人

主要株主
三光起業株式会社 11.4%
服部悦子 8.7%
服部真二 5.5%
第一生命保険 4.3%
服部秀生 3.9%
服部洪尚 1.7%
MSCO CUSTOMER SECURITIES 1.6%
CHASE MANHATTAN BANK GTS CLIENTS ACCOUNT ESCROW 1.3%
(2016年3月31日現在)

主要部門
ウオッチ事業、電子デバイス事業、システムソリューション事業

主要子会社
事業子会社(SHDグループ) を参照

外部リンク
http://www.seiko.co.jp/
テンプレートを表示

セイコーホールディングス株式会社(英称:Seiko Holdings Corporation)は、東京都中央区に本社を置くセイコーグループの中心会社である。ブランド名はSEIKOの他複数を保有しており、高級・宝飾腕時計としてCREDOR、セカンドラインとしてデフュージョンブランドALBAをはじめ、ALBAの上級ファッションブランドウォッチであるWIRED、ライセンスウォッチブランドアニエスベーなどを展開している。



目次 [非表示]
1 概要
2 沿革
3 セイコーグループ 3.1 グループ概要
3.2 事業子会社(SHDグループ)
3.3 経営

4 歴代社長
5 腕時計の製品・ブランド 5.1 自社ブランド
5.2 ライセンスブランド
5.3 販売終了した過去のブランド

6 CM 6.1 日本最初のラジオCM(時報)
6.2 日本最初のテレビCM 6.2.1 内容


7 提供番組
8 広告出演者
9 関連項目
10 参照
11 外部リンク


概要[編集]

日本初の腕時計、世界初のクオーツウオッチを製品化し、現在も時計関連で著名な企業である。オリンピックなどの世界大会などで公式スポンサー、オフィシャルタイマーとしてたびたび参加している。

日本テレビ開局日の1953年(昭和28年)8月28日に前身会社である当時の精工舎が日本最初のテレビCMである正午の時報を放映させた。

戦前・戦後から後楽園球場(1937年(昭和12年) - 1987年(昭和62年))、東京ドーム(1988年(昭和63年) - )、明治神宮野球場(1980年(昭和55年) - )と球場のスポンサーになったのを日切りに、スポーツ競技場のタイマーも製作している。

創業以来継続的に、スポーツイベントに計時支援を行っている。世界的に計時支援は、共同出資の別会社に自社ブランドの看板をもたせて支援させる方式(スイス時計メーカー出資のスイスタイミング社など)が普及しているが、セイコーはグループ内の部署に支援させて技術開発も行うスタイルを維持している。

ちなみに、同社グループの広告・カタログに掲載される時計が示す時刻は、アナログ式が10時8分42秒、デジタル式が10時8分59秒を基準としている。

沿革[編集]
1881年(明治14年)12月 - 服部金太郎が服部時計店を創業し、中古時計を買い取り修繕して売り出す事業を開始。
1892年(明治25年)3月 - 時計工場である精工舎を設立し、国産クロックの製造を開始して、精工舎で製造した国産クロックの販売を服部時計店で始める。
1896年(明治29年) - 同社初の懐中時計「タイムキーパー20型」を発売(発売を1894年(明治27年)、または1895年(明治28年)とする異説もある。)。
1917年(大正6年)10月29日 - 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店(英文:K. Hattori & Co., Ltd.)となる。
1937年(昭和12年)9月 - 工場精工舎のウオッチ部門が分離独立し、株式会社第二精工舎(現在のセイコーインスツル株式会社)となる。
1947年(昭和22年)4月 - 小売部門を分離し、株式会社和光設立。
1949年(昭和24年)5月 - 東京証券取引所上場。
1959年(昭和34年)5月 - 株式会社第二精工舎の諏訪工場が分離独立し、株式会社諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン株式会社)となる。
1964年(昭和39年)10月 - 東京オリンピック公式計時。
1969年(昭和44年)12月 - 世界初のアナログクォーツウォッチ アストロン 35SQ[1](諏訪精工舎製)を発売。
1970年(昭和45年)11月 - 工場精工舎を分離し、株式会社精工舎を設立。
1972年(昭和47年)2月 - 札幌オリンピック公式計時担当。
1979年(昭和54年) - 廉価版腕時計ALBAを発売。
1983年(昭和58年)8月 - 社名を株式会社服部セイコー(英文:Hattori Seiko Co., Ltd)とする。
1990年(平成2年) - 英文社名をSeiko Corporationとする。
1992年(平成4年)7月 - バルセロナオリンピック公式計時担当。
1994年(平成6年)2月 - リレハンメルオリンピック公式計時担当。
1996年(平成8年)1月 - 株式会社セイコーオプティカルプロダクツを設立し、眼鏡事業を分社。セイコークロック株式会社とセイコープレシジョン株式会社を設立。
1996年(平成8年)3月 - 精工舎のクロック事業をセイコークロックに、その他の精密・情報事業をセイコープレシジョンに営業譲渡し、精工舎を分割する。
1997年(平成9年)7月 - 社名をセイコー株式会社とする。
1998年(平成10年)2月 - 長野オリンピック公式計時担当。
2000年(平成12年)6月 - ALBAのプレミアムファッションブランドモデルWIREDが発売。
2001年(平成13年)7月 - セイコーウオッチ株式会社を設立し、ウオッチ事業を分社。事業子会社の「セイコーウォッチ」、「セイコークロック」、「セイコープレシジョン」、「セイコーオプティカルプロダクツ」等を統括する持株会社となる。
2002年(平成14年)2月 - ソルトレイクシティオリンピック公式計時担当。
2007年(平成19年)7月 - 社名をセイコーホールディングス株式会社(英文:Seiko Holdings Corporation)に変更。
2009年(平成21年)10月1日 - セイコーインスツルを完全子会社化。
2012年(平成24年)6月 - セイコースポーツライフのゴルフ事業(S-YARD)および電気シェーバー(取り替え刃を含む)事業を、それぞれ中国ダイレクトリンク(中国系企業)および泉精器製作所に事業譲渡。

セイコーグループ[編集]

グループ概要[編集]

セイコーホールディングスは、セイコーインスツル株式会社(SII)、セイコーエプソン株式会社(EPSON)とともにセイコーグループ中核3社といわれていた。中核3社とその子会社が、腕時計事業を中心に協力関係にあり、セイコーグループを構成する。セイコーインスツルとセイコーエプソンは、服部時計店(現セイコーホールディングス)の製造部門であった精工舎を源流とする。両社は、服部家が大株主になっていたが、セイコーホールディングスとの直接の資本関係は薄く、セイコーホールディングスの子会社ではなかった。いわゆる「兄弟企業」であった。

セイコーホールディングスは、服部時計店の時代から、腕時計の開発・設計・製造をセイコーインスツル(SII、旧 セイコー電子工業(第二精工舎))とセイコーエプソン(EPSON、旧 諏訪精工舎)とに委託しており、店(販売営業部門)と工場(製造開発部門)という関係だった。
セイコーインスツル株式会社電子デバイス、情報・通信機器、電子辞書等現在もセイコーインスツルは、国内および海外の子会社(盛岡セイコー工業など)でセイコーウオッチ向け腕時計の一貫生産および材料・部品の製造を行っている。ずっと服部家を大株主とする非上場企業であったが、2009年(平成21年)10月1日をもってセイコーホールディングスの完全子会社、セイコーホールディングスグループ(SHDグループ)の一員となった。千葉市美浜区にあるSII幕張本社ビル(2014年に売却[2]、現在は賃貸)には「SII」のロゴが掲げられていたが、2015年より「SEIKO」ロゴに変更された。セイコーエプソン株式会社プリンタ等電子デバイス(2013年3月31日現在、セイコーホールディングスの出資は3.97%のみ)一般的に「エプソン」と呼ばれているが、前身の「第二精工舎」や「諏訪精工舎」時代からの流れで、今も「セイコー」を名乗っている。昔は本社(長野県諏訪市)のビルにEPSONというロゴとSEIKOというロゴが入っていたが、数年前にSEIKOがはずされた。一部の工場にはSEIKOのロゴが残っている。現在もエプソンはセイコーウオッチ向け腕時計の開発と製造を行っている。電子機器・情報関連機器メーカーとして発展を遂げており、売上高や株式時価総額など企業規模はセイコーホールディングスの10倍近くである。2003年(平成15年)の株式公開(東証上場)後も服部家の個人および資産管理会社が同社の大株主であり、経営に対して一定の影響力を有している[3]。2011年度まで同社の副会長ポストには服部家出身者がついていた。
事業子会社(SHDグループ)[編集]

セイコーホールディングス株式会社は、2001年(平成13年)から持株会社制に移行しており、各事業は事業子会社が行っている。
ウオッチ事業(腕時計) セイコーウオッチ株式会社(腕時計のマーケティング)
セイコーネクステージ株式会社(ALBAブランドおよび著名ブランドのライセンスウオッチの企画・販売)
セイコーインスツル株式会社(旧第二精工舎、腕時計完成品およびムーブメントの製造) 盛岡セイコー工業株式会社

セイコーサービスセンター株式会社(腕時計の修理・部品販売))
株式会社クロノス(時計・宝飾・眼鏡の小売)

クロック事業(置時計) セイコークロック株式会社(旧精工舎)

電子デバイス事業 セイコープレシジョン株式会社(旧精工舎、電子デバイス、プリンターなど)
セイコーNPC株式会社(半導体)
セイコーインスツル株式会社(メカトロニクス、電子デバイス、情報システム機器、科学機器など) エスエスアイ・セミコンダクタ株式会社(アナログ半導体製品の開発・製造・販売。日本政策投資銀行との共同出資、SIIの持分は60%)


システムリューション事業 セイコーソリューションズ株式会社(システムリューション、および車載用通信モジュールの製造)

眼鏡事業 セイコーオプティカルプロダクツ株式会社(セイコーグループとペンタックスグループの眼鏡レンズ販売事業を統合。2004年(平成16年)1月1日設立。SEIKOおよびPENTAXの両ブランドを活用した商品展開を行っている)

その他の事業 株式会社和光(高級装飾品等の小売)
セイコータイムシステム株式会社(設備時計、スポーツ計時計測機器など)
株式会社オハラ(光学ガラス、東証1部 5218、持分法適用関連会社、セイコーホールディングスが41.11%の議決権を所有)
京橋起業株式会社(不動産賃貸、有価証券の所有・管理)
株式会社白河エステート(不動産賃貸、有価証券の所有・管理)
ヒューマンキャピタル株式会社(SHDグループ各社に対する事務代行サービスと人材派遣)


経営[編集]

創業当初は、服部一族による家業経営が行われてきた[4]。セイコー創業者は服部時計店を興した服部金太郎であり、時計製造の精工舎も起業した。長男の玄三が二代目社長で、懐中時計や腕時計を製造する別会社の第二精工舎を発足。二男の正次が三代目社長を務め、四代目社長に玄三の長男の謙太郎、五代目社長に二男の礼次郎が就いた。

六代目社長は吉村司郎であり、服部一族以外の人が社長に就いた。七代目は関本昌弘、八代目は井上仲七、九代目は村野晃一である。

2006年(平成18年)、電子部品会社・セイコーインスツルの会長兼社長代行を務めていた服部純市(謙太郎の長男)が取締役会の緊急動議で解任された。

2010年(平成22年)までに、労働組合の調査などで、名誉会長である礼次郎と取締役の鵜浦典子(2002年(平成14年)より和光取締役、2007年(平成19年)よりセイコー取締役)が和光本館周辺に新たに店を出す「和光スクエア構想」を単独で進めるために、多額の不動産を取得していたことが発覚する。これを背任として、労組は経営陣に対する株主代表訴訟の手続きに入った。経営側も実態を調査し、社外取締役・原田明夫(元検事総長)が「刑事事件、民事事件の事件になりかねない」と判断、2010年(平成22年)4月30日の取締役会で緊急動議を発動。その場で礼次郎、鵜浦を和光の役職から解任すると同時に、「両氏の専横を止められなかった」として村野晃一をセイコーホールディングス会長兼社長の役職から解任。後任に謙太郎の次男で礼次郎の養子である副社長の服部真二が昇格、村野の解任と自身の新社長就任を自ら発表した。これらについて産経新聞は、「オーナー一族による会社の私物化が、上場企業としての企業統治(ガバナンス)をマヒさせた」[5]と報じた。労働組合「セイコーグループユニオン」に対してパワーハラスメントや左遷人事の訴えがあり、組合長の中村昇造は「退職や鬱病になった被害者は報告されただけで50人を超える」としている[5]。

歴代社長[編集]

歴代の社長(含・服部時計店、服部セイコー、セイコー社長)[6]


代数

氏名

在任期間

出身校

その他

初代 服部金太郎 1881年 - 1934年 青雲堂 創業者。貴族院勅選議員
第2代 服部玄三 1934年 - 1946年 東京高等商業学校(現・一橋大学) 創業者金太郎の長男
第3代 服部正次 1946年 - 1974年 慶應義塾大学経済学部 創業者金太郎の次男。経団連理事・藍綬褒章受章
第4代 服部謙太郎 1974年 慶應義塾大学経済学部 2代目社長玄三の長男
経済史学者、1950〜1951年慶應義塾大学経済学部副手、1951〜1953年同助教授
社長退任後は取締役会長(1987年 死去まで)
第5代 服部禮次郎 1974年 - 1987年 慶應義塾大学経済学部 2代目社長玄三の次男。社長退任後、第9代目まで会長。10代目から名誉会長(2013年 死去まで)
第6代 吉村司郎 1987年 - 1991年 慶應義塾大学経済学部 -
第7代 関本昌弘 1991年 - 1999年 慶應義塾大学法学部 -
第8代 井上仲七 1999年 - 2001年 慶應義塾大学経済学部 -
第9代 村野晃一 2001年 - 2010年 慶應義塾大学経済学部 -
第10代 服部真二 2010年 - 2012年 慶應義塾大学経済学部 4代目社長謙太郎の次男。5代目社長禮次郎の養子。2012年10月1日から代表取締役会長兼グループCEO。藍綬褒章受章
第11代 中村吉伸 2012年 - 慶應義塾大学工学部 -

腕時計の製品・ブランド[編集]





グランドセイコー SBGW005






セイコーグランドクォーツ






ジョルジェット・ジウジアーロ






マリンマスターSBDX001


自社ブランド[編集]

グランドセイコー
クレドール
ガランテ
アストロン
プロスペックス スーパーランナーズなど
セイコーファイブ
プレザージュ
ルキア
ブライツ
スピリット
ドルチェ&エクセリーヌ
ティセ
メカニカル
セイコープルミエ
セイコー・スペクトラム
ワイアード
アルバ
ソーマ (セイコーインスツル→セイコーネクステージ→プロスペックスやアシックスと同じセイコーウォッチ)

クレドール、ワイアード、アルバ、ソーマを除く製品の文字盤にはSEIKOのロゴが入る。

ライセンスブランド[編集]

アニエスベー
マッキントッシュ フィロソフィー
カバンドズッカ
ミッシェル クラン
アナスイ
イッセイ ミヤケ
ツモリ チサト
ジル スチュアート
アシックス(セイコーネクステージ→セイコーウォッチ)

(アシックスのライセンス契約前の2000年代はナイキのライセンスでセイコーインスツルが製造・販売)

販売終了した過去のブランド[編集]

スーパー
ユニーク
マーベル
ロードマーベル
*ローレル
クロノス
クラウン
ゴールドフェザー
チャンピオン
ライナー
スポーツマン
キングセイコー
スカイライナー
ディズニータイム
セイコーマチック
スポーツマチック
マチックシルバーウェーブ
マチックウィークデータ
マチックスリム
スポーツマチック5
ワールドタイム
ロードマチック
プレスマチック
5スポーツスピードタイマー
5アクタス
タイムソナー
セイコーソーラー
セイコーエンジェル
セイコービーナス
セイコーバーディー
サルビア
ベルフィーナ
レディセイコー
ファインセイコー
クイーンセイコー
ハーモニー
スポーツレディ
マチックレディ
コーラス
シャリオ
トモニー

CM[編集]

日本最初のラジオCM(時報)[編集]

日本最初のラジオCM(時報)は、当時の精工舎の午前7時の時報であった[7]。1951年(昭和26年)9月1日に本放送開始直後の中部日本放送(現・CBCラジオ)で放送された。

その内容は、精工舎から中部日本放送に提供された時計の予報音楽(「チンカラコンカラ」というようなリズミカルな音)に続いて通知音が鳴り、「精工舎の時計が、ただ今、7時をお知らせしました」というものだった[8]。

日本最初のテレビCM[編集]

日本最初のテレビCMも、当時の精工舎の時報であり、1953年(昭和28年)8月28日に本放送開始当日の日本テレビで放映された。当時の放送関係者の証言によると放送機材の操作に慣れていなかったため、フイルムが裏返しだったので音がまったく出ず、音なしの状態で30秒間放送された(いわゆる放送事故)。当時のフィルムの場合、映像の横に音を再生するためのサウンドトラックがあり、フィルムが逆向きになると音が再生されなかった。なお、時報音はフィルムと関係なく挿入されたため正確に出た。

この放送事故については、「3秒で放送中止となった」ということが定説とされていたが、これは間違いである[9]。

ちなみに、同日の午後7時の時報は無事に放映され、これが現存する日本最古のテレビCMである。翌日の正午、テレビCM第1号になるはずだった正午の時報も無事に放映された。

内容[編集]
午後7時の時報編右上に「JOAX-TV」「日本テレビ」の字、中央に精工舎の社章と英字ロゴタイプが表示され、「こちらは日本テレビでございます」と女性のナレーション。社章とロゴが「精工舎の時計」というテロップに変化する。ニワトリが置き時計(コメットフラワー)のゼンマイを巻くアニメーションが流れる。同時に「時計のゼンマイは、一定の時刻に静かに一回お巻き下さい」とナレーション。ゼンマイを巻いたニワトリが時計の文字盤と顔を合わせると、文字盤が顔に変わって笑顔で笑う。最後に時報メロディが流れ、「精工舎の時計が7時をお知らせ致します」というナレーションと共に、7時を指している精工舎の時計が次々と映されて(最後は銀座和光の時計台)締め括られる。なお、午後7時の時報は後にTBSテレビに移り、1980年代まで続いた。TBSテレビで放映されたものは、通常のスポットCMに7時の場所にオレンジ色で点滅するランプが設置されている、ブルーバックのアナログ時計が7時を指すまで映るものであった。正午の時報編7時編と同じく中央に社章・英字ロゴタイプが表示され「こちらは日本テレビでございます」とナレーション。社章・ロゴが「時計はセイコー」というテロップに変化する。ラジオの上に置き時計が置かれている映像が映され「時計をラジオやテレビの上に置かないように致しましょう」とナレーションが入る。次にテレビの内蔵部品が映され「ラジオやテレビは磁気を帯びている為、時計の時刻が磁気によって不正確になる」といった内容を実験映像やナレーションで解説する。最後に時報メロディが流れ、「精工舎の時計が正午をお知らせ致します」というナレーションと共に、正午を指している精工舎の目覚まし時計を映しながら「精工舎の目覚時計」のテロップで締め括られる。
提供番組[編集]
ゆく年くる年(全民放テレビ局同時ネット) - 1956年(昭和31年)-1988年(昭和63年)まで提供。2008年(平成20年)にはFMラジオ放送(ただし、TOKYO FM制作・JFN系列局のみ)で復活。
ミクロイドS(NETテレビ) - 1973年(昭和48年)に放送された一社提供アニメ。冠協賛題名「セイコー・プレイハウス」が付いており、オープニングキャッチも存在した。なお前番組『デビルマン』や次番組『キューティーハニー』も同じかは不明。
セイコーホームシアター"S"(NETテレビ→テレビ朝日) - 一社提供の海外ドラマ枠。『ロックフォードの事件メモ』などを放送。
サウンド・イン"S"(TBS) - 一社提供の音楽番組。1974年(昭和49年)-1981年(昭和56年)。なお2014年(平成26年)9月28日には復活特番『サウンド・イン"S" 音楽のじかん』を放送したが、この時も一社提供だった。
SEIKOワールドドキュメント(日本テレビ) - 一社提供。
SEIKOグルメワールド 世界食べちゃうぞ!!(日本テレビ) - 一社提供。
TIME is LIFE〜トキメキの時〜(BS-TBS) - 一社提供
松下奈緒 Sound Story(TOKYO FM)- 一社提供
JET STREAM(TOKYOFM制作・JFN系列38局フルネット)-日本航空との2社提供。
SEIKOプロ野球フラッシュ “ニッポン放送ショウアップナイター最前線”(ニッポン放送)
SEIKO ハロー!ミュージック・シティ(東海ラジオ放送)- 1977年度[10]と1978年度[11]のナイターオフ期間中に、(東海ラジオを含む)全国9局ネットで放送[12]

広告出演者[編集]
現在大谷翔平 - ASTRON
武藤嘉紀 - PRESAGE
天海祐希 - GSレディス
綾瀬はるか - LUKIA(2014年9月~)
佐々木希 - TISSE(2009年~)
過去ダルビッシュ有 - GrandSeiko
武藤嘉紀 - BRIGHTZ
菅野美穂 - LUKIA(2008年~2010年)
黒木メイサ - LUKIA(2011年2月~2012年9月)
武井咲 - LUKIA(2012年10月~2014年8月)

関連項目[編集]
株式会社和光(銀座和光) - 子会社。銀座の時計台ビルで有名。
後楽園球場
東京ドーム(同業であるカシオ計算機はフェンス広告に掲載)
明治神宮野球場
007 - ジェームズ・ボンドの秘密兵器として『007 ユア・アイズ・オンリー』や『007 オクトパシー』などに出てくる。
東京オリンピック (1964年)(オフィシャルタイマー)
札幌オリンピック(同上)
バルセロナオリンピック(同上)
リレハンメルオリンピック(同上)
長野オリンピック(同上)
ソルトレイクシティオリンピック(同上)
東京ディズニーリゾート(公式スポンサーであり、以下の施設を提供していたが、2006年(平成18年)9月3日付で契約を解消した。) 東京ディズニーランド - ニューセンチュリー・クロックショップ(現、ハリントンズ・ジュエリー&ウォッチ)
東京ディズニーシー - ロミオ・ウォッチ&ジュエリー(現、ヴィラ・ドナルド・ホームショップ)

スーパーアグリF1チーム(公式パートナー)
世界陸上競技選手権(オフィシャルタイマー、1987年大会以降2013年大会まで13大会連続担当。2015年大会から2019年大会も担当予定) 世界陸上大阪(2007年開催)

スーパー陸上→ゴールデングランプリ川崎(セイコーが冠協賛)
トゥールビヨン〜時の仕掛人〜 (2008年、BSジャパンで放送の機械式腕時計の専門番組)
小泉吉宏 - 同社グループの企業イメージCM「一秒の言葉」のコピーを担当した。
三田会同社の服部礼次郎元社長、会長が逝去するまで20年以上連合三田会の会長を務めた。
山縣亮太
明石市立天文科学館

参照[編集]
1.^ セイコー クオーツアストロン 35SQ(エプソン マイルストンプロダクツ)
2.^ SII Makuhari Building
3.^ アニュアルレポート2006(PDF版,2.7MB) 47ページ「大株主との関係について」を参照
4.^ 「工場」軽視が招いたセイコーの落日 日本経済新聞、2010年5月18日
5.^ a b “【ドラマ・企業攻防】名門セイコーの“病巣” 血族たらい回しで統治機能マヒ”. MSN産経ニュース. (2010年5月15日). オリジナルの2010年5月16日時点によるアーカイブ。
6.^ 服部謙太郎
7.^ 時報を除いた日本最初のラジオCMは、新日本放送(現・毎日放送)のスモカ歯磨のCMである。詳しくは、コマーシャルメッセージを参照。
8.^ 検証した内容を記したサイト、中部日本放送ホームページ
9.^ CMのCMキャンペーン テレビ元年、CMスタート
10.^ “はるかなる南部”というサブタイトルがつけられていた
11.^ “ラテンの熱い風”というサブタイトルがつけられていた
12.^ 出典・『東海ラジオ放送二十年史』p236

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、セイコーホールディングスに関連するメディアがあります。
セイコーホールディングス株式会社




カテゴリ: セイコー
日本の持株会社
日本の時計メーカー
日本の精密機器メーカー
東京都中央区の企業
日本の多国籍企業
東証一部上場企業
老舗企業 (明治創業)
1917年設立の企業





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ヴァシュロン・コンスタンタン





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ヴァシュロン・コンスタンタン(Vacheron Constantin )は、スイスのジュネーヴを本拠地とする高級時計メーカー。バセロン・コンスタンチンとも表記されている[1]。

パテック・フィリップ、オーデマ・ピゲと共に世界三大高級時計メーカーの一つとされている[2]。トゥールビヨンを始めとする複雑な機構を持つ機械式時計のほか、宝石を多用した宝飾時計で知られる。現在はスイスのリシュモングループの傘下となっている。



目次 [非表示]
1 歴史
2 代表モデル
3 脚注
4 外部リンク


歴史[編集]
1755年 - ジャン=マルク・ヴァシュロン(Jean-Marc Vacheron )によって創業。継続的に時計を製造してきたメーカーとしては世界最古とされている。ヴァシュロンが24歳の折、時計工房を開き、1755年9月17日に一人の見習い職人を雇う。
1760年 - ジャン=マルク・アブラアム(Jean-Marc Abraham )ヴァシュロンと妻ジュデイトの間に生まれる。父同様時計職人を志す。
1787年 - ジャック・バルテルミ(Jacques Barthelemy )アブラアムと妻アンの間に生まれる。類い稀な才能を発揮し、現在のヴァシュロン・コンスタンタンの礎を築く。繊細かつ大胆なアイデアを用い、ミニッツリピーター等の複雑時計の製作が得意であった。
1819年 - ヴァシュロンの孫であるバルテルミは企業運営に長けたフランソワ・コンスタンタン(Francois Constantin )を共同経営者に迎えることによりヴァシュロン&コンスタンタン (Vacheron et Contantin)と社名を変更する。優れた営業マンでもあったフランソワは世界各地を行商し、ヨーロッパ・アメリカ・アジアへも進出を果たす。
1839年 - 機械技師ジョルジュ=オーギュスト・レショー(Georges-Auguste Leschot )が経営に参加、画期的な「パンタグラフ」を発明し、時計作りに革命をもたらす。
1880年 - 組織を株式会社とし、シンボルマークである「マルタ十字」を商標登録。時計に使用される部品の形が「マルタ十字」形をしていたことに由来する。
1881年 - ヴァシュロン・コンスタンタンはチャールズ皇太子と結婚するダイアナ妃に特別に設計したレディ・キャラのモデルを製作。
1906年 - ジュネーブ、ムーラン通りに初のブティックを開店。
1935年 - エジプト王への贈呈品として、世界で最も複雑な820のパーツを使用したグランド・コンプリケーション時計を製作。
1938年 - ジャガー・ルクルト社と業務提携をし、共同企業である工業製品商事株式会社(SAPIC)を設立。
1955年 - 創業200周年を迎えたこの年、厚さ1.64mmという世界で最薄の機械式ムーブメントを発表。
1970年 - 社名から"&"が省かれ、ヴァシュロン・コンスタンタンとなる。
1979年 - 計118個、総カラット数130カラットのダイヤを使った「カリスタ」発表。製作に6000時間かかり、当時としては最高値がついた。
1998年 - ジュウ渓谷に複雑時計の製造から組み立て、自社ムーブメントの開発製造などを行うヴァシュロン・コンスタンタン・ヴァレ・ド・ジュウを設立。
2004年 - ジュネーブ近郊プラレワットに新規に工場を設立。メゾン・ヴァシュロン・コンスタンタンが新装オープン。
2005年 - 創業以来営業を継続している時計メーカーとしては最長の創業250周年を迎え、記念モデル5種を発表。

代表モデル[編集]
パトリモニー
トラディショナル
マルタ
オーヴァーシーズ
1972
ヒストリークシリーズ
メティエダール・コレクション
ケドリル
キャラ

脚注[編集]
1.^ "Constantin"の部分はコンスタンティンとも表記されたことがある。
2.^ 並木浩一 『腕時計一生もの』 光文社新書刊、205頁。

外部リンク[編集]
ヴァシュロン・コンスタンタン




カテゴリ: 懐中時計
腕時計
スイスの時計メーカー
リシュモン



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オーデマ・ピゲ





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オーデマ・ピゲの時計
オーデマ(オドマール)・ピゲ(Audemars Piguet 発音例 、略称AP)は、スイスの高級時計・宝飾品メーカー。パテック・フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタンとともに世界三大高級時計メーカーの一つに数えられている[1]。本社はジュー渓谷のル・ブラッシュ(Le Brassus、ヴォー州)にある。

1875年、ジュール=ルイ・オドマール(Jules-Louis Audemars 、1851年-1918年)とエドワール=オーギュスト(オギュスト)・ピゲ(Edward-August Piguet 、1853年-1919年)によって高級時計ムーブメント製作会社として設立。その後自社ブランドの時計の製作を始め、トゥールビヨン、ムーンフェイズなど複雑な機構を備えた高級時計メーカーとして知られるようになった。代表的モデルとしてロイヤル・オークがあり、その他楕円形ケースのミレネリーなどが存在する。

パテック・フィリップ同様、創業以来製造したすべての時計の修理を保証しているほか、本社のあるジュウ渓谷にあった現存しない時計会社の懐中時計の修理も受け持っている[2]。



目次 [非表示]
1 ロイヤル・オーク
2 パートナーシップ 2.1 アンバサダー

3 資本
4 脚註
5 外部リンク


ロイヤル・オーク[編集]





ロイヤルオーク・クロノグラフ
代表的なモデルとして、ロイヤル・オークと呼ばれるスポーツウォッチがある。ステンレス製の八角形のベゼルとケース、裏蓋が貫通して固定され、ネジ底が剥き出しとなっている八本のネジが特徴的である。さらに、文字盤には格子状に溝を刻んでいる。名前及びベゼルの形状は、イギリスのプリンス・コンソート級装甲艦・ロイヤル・オーク(HMS Royal Oak)の舷窓にちなむ。

この時計はジェラルド・ジェンタがデザインを手がけ、クォーツショック直後の1972年にデビューした。ロイヤル・オークのデザインは、たった一日でデザインしたと言われている。「鋼へのオマージュ」というキャッチフレーズと共に、『スポーティー・ラグジュアリー』というコンセプトで発売された。ステンレス製の「高級時計」は当時例がなく、衝撃的なデザイン、39mmという当時としては大きいサイズ(今では「デカ厚」と呼ばれる大型の時計が広く市民権を得ている)とともに受け入れられ大ヒットし、世界中に多くのファンを持っている。

2005年には自社製のムーヴメントであるCal.3120を搭載したリニューアルモデルが発売された。2012年には、ほぼ1972年のオリジナルの文字盤を再現しつつムーブメントを薄型にした復刻モデルも発売されているが、他のモデルよりも高額となっている(2012年時点で183万7500円)[3]。

また派生モデルとしてクロノグラフ機能を持つ「ロイヤルオーク・クロノグラフ」、クロノグラフ機能を持ち耐磁防水性能をアップさせた「ロイヤルオーク・オフショア」などがある。

パートナーシップ[編集]
チームアリンギ - アメリカスカップに出場するチームアリンギのスポンサーを務め、コラボレーションモデル「ロイヤルオーク・オフショア ポラリス アリンギ」「ロイヤルオーク・オフショア レディ クロノグラフ」をリリースしている。
マセラティ - イタリアの自動車メーカー、マセラティとパートナーシップを締結し、同社のGTレース出場マシン、MC12のオフィシャルスポンサーともなっている。コラボレーションモデルは「ミレネリー デュアルタイム マセラッティ」「ミレネリー MC12 トゥールビヨンクロノグラフ」がある。
クイーンエリザベス2世カップ - 1999年よりクイーンエリザベス2世カップのスポンサーになり、香港ジョッキークラブと共催している。
アーノルド・シュワルツェネッガーは熱心なファンとして知られ、自身が主演した映画『エンド・オブ・デイズ』『ターミネーター3』のコラボレーションモデルを製作し劇中に登場させている。

各国の代理店及び現地法人にアンバサダーの認定を任せているため、ローカルスターの個人モデルが豊富に存在する (日本では*魔娑斗 )

アンバサダー[編集]
ルーベンス・バリチェロ
ヤルノ・トゥルーリ
セバスチャン・ブエミ
ミハエル・シューマッハ

資本[編集]

いわゆる有名時計ブランドでは非常に珍しく創業以来創業家による経営が続いているが、資本投下を行なっていたジャガー・ルクルトがリシュモンに買収されたことからリシュモングループとの交流が深く、今でもジャガー・ルクルトの株式は一部持ち続けている。またムーブメントの開発と製造を行う専門メーカー、ルノー・エ・パピ(Renaud et Papi )を傘下に収めている。

脚註[編集]

1.^ 並木浩一 『腕時計一生もの』 光文社〈光文社新書〉、2002年、207頁。ISBN 4-334-03148-X。
2.^ 付録『【ブランド別 完全カタログ VOL.1】オーデマ ピゲ』P.7、「時計Begin 2014 Winter」、世界文化社
3.^ オーデマ ピゲ/ロイヤル オーク 復刻モデル、『クロノス』2012年9月号

外部リンク[編集]
公式ウェブサイト




カテゴリ: 懐中時計
腕時計
スイスの時計メーカー





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ウブロ





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Hublot SA


企業形態
完全子会社

業種
時計製造

設立
1980

本部
スイス・ニヨン

代表者等
カルロ・クロッコ (創立者)
Ricardo Guadalupe (CEO)

製品
腕時計

売上高
増加 €262.6 million (2012)

株主
LVMH Moët Hennessy • Louis Vuitton S.A.

ウェブサイト
www.hublot.com
テンプレートを表示





ウブロの初期のエレガント・クロノグラフ。ラバーベルトだが、ベゼルはビス留めではない
ウブロ(Hublot )はスイスの高級時計メーカーである。会社名の由来はフランス語の「舷窓」であり、舷窓同様にビスで留めたベゼルを特徴としている。



目次 [非表示]
1 来歴
2 関連書籍
3 出典
4 外部リンク


来歴[編集]

1979年、ニヨンでイタリアの時計・宝石メーカービンダグループ(英語版)創業者一族のカルロ・クロッコ(Carlo Crocco )[1]により創立。翌1980年に従来はなかった金及びステンレスのケースと天然ゴムのラバーベルトとを組み合わせた腕時計「クラシック」でバーゼルデビュー[2]。当初スイスの時計業界からは異端扱いされたものの、イタリアのファッション界で受け入れられたのを皮切りにヨーロッパの王族などへ次第に支持を広げていく。なお、機械式時計より衝撃に強いという理由から当初のモデルはすべてクォーツ時計だった[2]。また、ラバーベルトはカット不可であり、客は店で複数用意されたベルトの中から自分の腕に合ったサイズのベルトを選ぶ必要があった(現在はバックルの改良により解消されている)。

しかし、コレクションが限られていたこと、機械式時計を避けていたことなどが災いして経営難に陥り、2004年にブランパンの再建を手掛けたジャン=クロード・ビバーがCEOに就任し、翌2005年から『フュージョン(融合)』のコンセプトの元、異なる素材を組み合わせた「ビッグ・バン」シリーズを発表、現在まで続く主力商品となる(この時初めて機械式時計を採用した)。2008年にクロッコはチャリティー活動に専念するためにLVMHに会社を売却[1]。2010年には自社製ムーブメントUNICOを開発。ビバーは2012年に会長に就任し、リカルド・グアダルーペがCEOに就任して現在に至る。さらに、第一作を発展継承させた薄型の「クラシック・フュージョン」(旧・「トラディション」)も主力の一つとなっている。

F1( - 2012年)、FIFAワールドカップ、UEFA EURO、ICCクリケット・ワールドカップの公式タイムキーパー、世界野球ソフトボール連盟のオフィシャルスポンサーなど、スポーツ大会を多く支援している。2014 FIFAワールドカップではウブロのロゴが入った腕時計をデザインした交代選手ボードが使用された。

2010年にはF1界のドン、バーニー・エクレストンを(それも強盗事件により同社の時計を奪われた直後で、右目に青あざが残る状態で)自社の広告に登場させ話題を呼んだ[3]。

2011年からはフェラーリと提携し、コラボレーションモデルを発表している[4][5]。

現在ではアイルトン・セナ[6]、蜷川実花[7]、荒井俊介、香川真司[8]、ウサイン・ボルト[9]、ディエゴ・マラドーナ[10]らとのコラボレーション・モデルを発表している。2014年にはブランドアンバサダーとしてペレを起用している[11]。

関連書籍[編集]
篠田哲生「成功者はなぜウブロの時計に惹かれるのか。」、幻冬舎、2012年 ISBN 4344022939

出典[編集]

[ヘルプ]

1.^ a b “LVMH to Buy Hublot to Expand Array of Watch Brands”. ブルームバーグ. (2008年4月24日) 2010年3月7日閲覧。
2.^ a b ウブロ クラシック・フュージョン③、クロノス、2016年11月号
3.^ バーニー、青あざで広告に。奪われた時計の魅力を宣伝 - オートスポーツWeb・2010年12月8日
4.^ “BASEL WORLA 2012 最新作 満を持してフェラーリコレクションが待望のデビュー。 ビッグ・バンフェラーリマジックゴールドビッグ・バンフェラーリチタニウム”. Gressive. (2012年3月) 2013年10月10日閲覧。
5.^ “2013年 ウブロ新作 MP-05 ラ・フェラーリ 01”. Gressive. (2013年8月6日) 2013年10月10日閲覧。
6.^ “「ウブロ」とアイルトン・セナのコラボウォッチ登場。ミニチュアヘルメットも付属”. FASHION HEADLINE. (2013年7月9日) 2013年10月10日閲覧。
7.^ “「ウブロ」が蜷川実花とのコラボウォッチ発表。伊勢丹新宿店で先行販売”. FASHION HEADLINE. (2013年6月11日) 2013年10月10日閲覧。
8.^ “香川真司とウブロのコラボウォッチ「アエロ・バン レッドデビル26」が登場”. OPENERS. (2013年4月15日) 2013年10月10日閲覧。
9.^ “ウブロから「キング・パワー ウサイン・ボルト」が250本限定で登場”. OPENERS. (2012年7月4日) 2013年10月10日閲覧。
10.^ “ウブロ あのディエゴ・マラドーナとのコラボ・モデル”. OPENER. (2012年3月14日) 2013年10月10日閲覧。
11.^ サッカーの王様、ペレもアンバサダーに!──ウブロとワールドスポーツのいい関係 - GQ Japan・2014年6月17日

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、ウブロに関連するカテゴリがあります。
公式ウェブサイト
HR Pictures
Collection novelties
Hublot Watch Reviews and News
Swiss Made Hublot




カテゴリ: スイスの時計メーカー
1980年設立の企業
LVMH
腕時計





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オメガ





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曖昧さ回避 この項目では、腕時計ブランドについて説明しています。ギリシャ文字については「Ω」を、その他の用法については「オメガ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

オメガ
Omega SA

Omega Logo.svg

企業形態
非公開 (スウォッチ・グループの子会社)

業種
腕時計製造

設立
1848

創業者
ルイ・ブラン

本部
スイス、ビエンヌ

代表者等
Nicolas G. Hayek, Chairman
Stephen Urquhart, President

製品
時計

株主
スウォッチ・グループ

ウェブサイト
omegawatches.com
テンプレートを表示





シーマスター・クロノグラフ
オメガ(OMEGA、Ω)は、世界的に有名なスイスの高級腕時計メーカーである。現在はスウォッチ・グループに属している。



目次 [非表示]
1 歴史
2 キャリバー
3 モデル 3.1 コンステレーション
3.2 デ・ビル
3.3 シーマスター
3.4 スピードマスター 3.4.1 アメリカ航空宇宙局公認
3.4.2 ウルトラ警備隊正式採用
3.4.3 ミハエル・シューマッハ


4 公式計時 4.1 夏季オリンピック
4.2 冬季オリンピック

5 関連項目
6 外部リンク
7 脚注


歴史[編集]
1848年6月 - 23歳のルイ・ブラン(Louis Brandt )がラ・ショー=ド=フォンにて懐中時計の組み立て工房を開いた。
1877年 - ルイ・ブランの息子ルイ=ポール・ブラン(Louis-Paul Brandt )が"Louis Brandt & Fils"設立。
1879年 - ルイ・ブランが死去、セザール・ブラン(César Brandt )が経営に参加した。
1882年 - 本社を現在地のビールに移転。
1894年 - 有名なキャリバー「オメガ」を製作、後にこれをメーカー名とした。
1903年 - ルイ=ポールとセザールが亡くなるとポール=エミーユ・ブラン(Paul-Emile Brandt )が後を継いだ。
1930年 - ティソ等とSSIHグループを結成する。
1965年 - 「スピードマスター」がアメリカ航空宇宙局の公式腕時計として採用され、その耐久性の高さを世に知らしめた。
1980年 - 日本企業のセイコーによる買収騒動が持ち上がりスイスの国会で騒動と成る
1983年 - ASUAGグループ(ロンジン等)と合併し、スウォッチグループの前身であるSMHグループを結成する。
1999年 - 独立時計師のジョージ・ダニエルズが開発した「コーアクシャル」と呼ばれる新機構を採用し、腕時計界に衝撃を与えた。機械式時計の心臓部である調速機構との動力伝達を果たす、脱進機機構(アンクル爪、ガンギ歯)における摩擦を大幅に低減し、約10年間オーバーホールなしでも精度を保つことができる。

キャリバー[編集]

ブランド・社名にキャリバー名にちなむ「オメガ」を用いたことに象徴されるように、古くから多数の自社開発キャリバーを世に送り出した。過去には手巻きのCal.30系[1]、自動巻のCal.550系[2] 等自社設計の名機を輩出しており、一時期はムーブメント全体を赤銅色のメッキ仕立てとした美しい仕上げも特徴になっていた。

現在では高級時計ブランドであっても、ムーブメントを自社製造していない時計メーカーも多く、オメガも1970年代以降はETA製ムーブメントを多く用いるようになったが、シーマスター・アクアテラ等に使用されているCal.8500シリーズのムーブメントは、地板や装飾も含めてオメガによる100%自社開発のムーブメントである[3]。

モデル[編集]

第二次世界大戦後は、特定のコンセプトを持つ製品群に包括するモデル名を与えるようになった。「シーマスター」「スピードマスター」はそれぞれ防水型やクロノグラフのネームとして、「コンステレーション」「デ・ビル」は高級機やドレスウォッチのネームとして、いずれも長年用いられている。1964年からは、従前特に「OMEGA」以外のネーム表記がなかった普及型モデルにも「ジュネーヴ」 Genève の愛称を与えていた時期があった[4]が、この伝統的な廉価帯ラインは1970年代で途絶えている。

コンステレーション[編集]

コンステレーション(Constellation )とは英語で星座の意。1952年に発売された。文字盤6時位置にある星と、裏蓋の天文台が目印[5] である。COSCのクロノメーター検定に合格した機械を積んだ高級ラインであり1960年代の日本では高級時計の代表的存在であった。クォーツショック後一時全てクォーツモデルになっていたが最近再び一部自動巻の機械式が発売されるようになっている。

デ・ビル[編集]

デ・ビル(De Ville )はフランス語で「街角」との意[6]。1967年発売。ドレスウォッチ、ドレッシーなカジュアルウォッチをラインナップしてきた。もともとはシーマスターの薄型バージョン向けダブルネームとして1963年から発売された「シーマスター・デ・ビル」が元であるが、ここからドレスウォッチ的な性格を強めたモデルとして「デ・ビル」が独立して生まれた。モデルによってはコーアクシャル機構を採用し劣化の低減に成功している。

シーマスター[編集]





「シーマスター」007限定
シーマスター(Seamaster )は防水時計のブランド「マリーン」から発展した。1948年発売。当初は通常オメガ製品のうち、後年における日常生活防水レベルの防水機能を備えたものに与えられたネームで、非防水モデルとのデザイン差はあまり大きくなかったが、1950年代後期以降は防水性能を大幅に強化したヘビーデューティなモデルも開発されるようになり、以降このネームを持つシリーズには、極めて多彩なバリエーションがみられる。多くの製品の裏面に、防水を象徴する伝説上の海獣・シーホースの刻印が入るが、「プラネット・オーシャン」などのシースルーケースの製品にはシーホースは見られない。

プロフェッショナルモデルは手動式のヘリウムエスケープバルブを搭載することでヘリウム飽和潜水時の風防の破損を防いでいる。バルブを開放した状態でも5気圧の防水性能を持っているが、水に濡れる際はバルブは閉めておくほうが望ましい。裏蓋には波模様とシーホースが彫られている。アメリカズカップモデルやジャック・マイヨールモデルなどの限定モデルがある。「アクアテラ」はヘリウム・エスケープ・バルブと回転ベゼルが排除され、ドレスウォッチとして使用できるようになった。そのため、飽和潜水には対応していないものの、150mの防水性能を持っている。2220以降のモデルではいずれの個体にもコーアクシャル機構を採用しており、簡易メンテナンスで飽和潜水が可能なモデルも登場している。クロノグラフもラインナップされており、「プロフェッショナル(ダイバー300)」、「プラネット・オーシャン」、「ブルヘッド」に採用されている。通常のクロノグラフは水中では使用できないが、シーマスターのクロノグラフは水中でも操作できるようになっている。

1990年代後半にはオメガマチックとよばれる自動巻発電機構を搭載したクォーツも登場したが、現在では生産されていない。 映画『007』シリーズ(第17作目『ゴールデンアイ』から第22作目『慰めの報酬』)でジェームズ・ボンド役のピアース・ブロスナン及びダニエル・クレイグが着用したダイバーズウォッチとして知られている。しかし007の原作に出て来るのはロレックスである。

スピードマスター[編集]





スピードマスター・プロフェッショナル




スピードマスター・プロフェッショナル
スピードマスター(Speedmaster )の原型は「シーマスター」に手巻きのキャリバー321を搭載した「シーマスター・クロノグラフ」であり、裏蓋のシーホースにその名残を伺うことができる。1957年に「スピードマスター」となった。アメリカ航空宇宙局採用を機に1966年「スピードマスター・プロフェッショナル」と改名し、1968年には機械がキャリバー861に変更された。1997年には機械がキャリバー1861に変更され、現在でも市販されている。堅固なモデルとして知られるが、多重ケースによってショックを吸収できることと、自動巻き機構や日付表示が搭載されない等クロノグラフとしては機構が非常にシンプルであることによると考えられる。無重力状態でガラスが破損し空間に破片が飛び散ることを防ぐためにプラスティック製の防風を採用している。防風がプラスティック製であることと、竜頭とプッシュの構造上、防水性はほとんど期待できない。近年100m防水となっているブロード・アローも同様である。[7]。機械はアルベール・ピゲ設計のヌーベル・レマニア製。

後にエタ製またはフレデリック・ピゲ製自動巻きムーブメントが搭載され「プロフェッショナル」より一回り小振りな「スピードマスター・オートマチック」が追加された[8]。またアメリカ航空宇宙局と共同開発したクォーツ式「スピードマスター・プロフェッショナル・モデルX-33」も発売されている。

「プロフェッショナル」・「オートマチック」ともに非常に限定モデルが多い。「プロフェッショナル」の場合、誕生した年より何十周年か経過すると「○○周年記念モデル」、各ロケット、スペースシャトルの打ち上げた年より何十周年か経過すると「○○(シャトル名)号○○周年記念」、変わったところでは「スヌーピー」「銀河鉄道999」等とコラボレートしたモデルも存在する。「オートマチック」の場合、下記の「M・シューマッハモデル」や「マルイ限定モデル」等が存在する。

2007年には誕生50周年を記念して1stモデルを復刻したが、ムーブメントも初期のキャリバー321を忠実に再現したものとなっている。また、この年はチャリティーオークションにてデッドストックかつスウォッチ・グループの保証付きの1stモデルを出品している。

アメリカ航空宇宙局公認[編集]

1965年にアメリカ航空宇宙局は宇宙空間でも使用に耐える腕時計を選定するため時計店の店頭で各社各種の時計を購入[9] して耐熱性、耐寒性、耐衝撃性など様々な試験を行ない、この結果「スピードマスター」のみが合格したため「スピードマスター」はアメリカ航空宇宙局の公認クロノグラフとなった。

アメリカ航空宇宙局がスピードマスターを選定したと発表があった後、代々の重役を国防省からの天下りで構成していた当時のアメリカ大手時計メーカーであったブローバより「国家的プロジェクトにはアメリカ製品を使うべきではないか」とのクレームが入り、ブローバの技術陣が特別に1つのみ製作したクロノグラフとスピードマスターによる再選定を行ったが、結果はスピードマスターの勝利であった。なおも食い下がる元海軍提督のブローバ社長に対し選定委員は「あなたの会社の製品ではアメリカの威信を守ることは出来ません」と選定終了を宣言している。しかし当初は無重力下で通常の機械式時計がどう動作するか分からなかったため、コクピットクロックは音叉によって制御されるブローバ製の電気時計「アキュトロン」が採用された。

アポロ計画でも使用され、1969年には月面に降り立った最初の腕時計という栄誉を獲得、それ以後裏蓋には "FIRST WATCH WORN ON THE MOON" の文字が刻まれている。1970年アポロ13号が月に向かう途中で酸素タンクが爆発するという大事故に遭遇し航法用コンピュータが使用不能になったが「スピードマスター」を用いてロケット噴射時間の制御を行い全員無事生還を果たしたこと[10] でさらなる信頼を得た。また、スペースシャトル計画の船外活動時において、この機種以外の使用は認められていない。ただし1971年アポロ15号による月面探査の際には宇宙飛行士デイヴィッド・スコットはNASAの使用規則を守らず(正確には使用していたスピードマスター・プロフェッショナルが故障した為)、ウォルサムの時計を使用した。その他、オメガはブローバの音叉ムーブメントキャリバー1255を搭載したモデル「スピードマスター・スピードソニック」を1973年に、「スピードソニック・クロノメーター」を1975年に販売している[11]。

ウルトラ警備隊正式採用[編集]

日本の特撮ヒーロー番組『ウルトラセブン』に登場する地球防衛軍の精鋭部隊ウルトラ警備隊の隊員に正式採用されている描写がある。[12]

ミハエル・シューマッハ[編集]

F1ドライバーのミハエル・シューマッハが以前からオメガの大ファンであることをテレビ番組で知ったオメガの社員が彼に個人スポンサーのオファーをし、契約された。その後もシューマッハはスピードマスターを愛用しているだけでなく、現役時代には勿論、引退後(2010年より復帰)もその偉業を称えて記念限定モデルがリリースされている。

公式計時[編集]

下記以外にも多数のスポーツ大会の計時を担当している。またパラリンピックやFINA、全米プロゴルフ協会、LET、EAA、IAAFダイヤモンドリーグ、IBSFの公式計時も行っている。

夏季オリンピック[編集]
1932年ロサンゼルスオリンピック - 一企業が全計時を委託される初のオリンピックとなり、ヌーシャテル天文台で検定された30個のクロノグラフを用意した。
1936年ベルリンオリンピック - 185個のクロノグラフを時計職人ポール・ルイ・ギニャール(Paul-Louis Guignard )がスーツケースに入れて持ち込んだ。
1948年ロンドンオリンピック - 1946年に開発された写真判定用カメラ「レースエンド・オメガ・タイマー」(Racend OMEGA Timer )を使用した。
1952年ヘルシンキオリンピック - クォーツ式で1/100秒を計測でき、史上初の電子計測機器である「オメガ・タイム・レコーダー」を開発、使用した。
1956年メルボルンオリンピック - 競泳計時を半自動で行う「スイムエイト・オ・マチック」(Swim Eight-O-Matic Timer )を使用した。
1960年ローマオリンピック
1968年メキシコシティオリンピック - オリンピック史上初めて全種目で電子計測タイムが公式タイムとして認定された。競泳において水しぶきに反応せず選手のタッチには反応し計時を止めるタッチパッドを使用した。
1976年モントリオールオリンピック
1980年モスクワオリンピック - 1977年に開発され競泳計時を全自動で行う「スイム・オ・マチック」(Swim-O-Matic )を使用した。
1988年ソウルオリンピック
2008年北京オリンピック
2012年ロンドンオリンピック
2016年リオデジャネイロオリンピック
2020年東京オリンピック - 予定[13]。

冬季オリンピック[編集]
1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック
1948年サンモリッツオリンピック - 1946年に開発された写真判定用カメラ「レースエンド・オメガ・タイマー」(Racend OMEGA Timer )が使用された。
1956年コルティナダンペッツォオリンピック - スキー競技にスターティングゲートが使われるようになり、計時とも連動された。
1964年インスブルックオリンピック - ロンジンと共同で"Swiss sports timekeeping"として参加。
1968年グルノーブルオリンピック
1976年インスブルックオリンピック
1980年レークプラシッドオリンピック
1984年サラエボオリンピック
1988年カルガリーオリンピック
1992年アルベールビルオリンピック
2006年トリノオリンピック
2010年バンクーバーオリンピック
2014年ソチオリンピック
2018年平昌オリンピック - 予定。

関連項目[編集]
クロノグラフ
天賞堂 - かつて銀座本店にはオメガのマークが描かれ「オメガビル」とも呼ばれた。
ニコラス・G・ハイエックセンター - 銀座にあるスウォッチ・グループジャパンの店舗兼本社ビル。当ビル2階にオメガショップ、5階にメンテナンス等を受け付けるカスタマーサービスがある。

外部リンク[編集]
公式ウェブサイト

脚注[編集]
1.^ 1939年に最初のスモールセコンド型を発売、翌1940年にセンターセコンド型追加。インカブロック耐震機構付となった1943年以降は260/280番台(スモールセコンド/センターセコンド)ナンバーを与えられ、改良を重ねつつ1966年まで生産された長寿シリーズ。第二次世界大戦中の軍用腕時計から初期のコンステレーションにまで搭載され、1940-1950年代のオメガの基幹キャリバーであった。スイスの天文台で実施される精度検定において、腕時計キャリバーに認められる最大サイズ・直径30mmの限界一杯に作られ、「30mm」の別称でも呼ばれる。スモールセコンド式ベースのやや古い設計だが堅実で合理的な構造と、大型テンプ等の相乗効果で安定性や整備性に優れ、高度に調整された個体は実際に多くの精度コンクールで優秀成績を収めた。
2.^ 1959年発売。1955年発売のCal.490系(初の全回転ローター自動巻。オメガ初の自動巻は1943年発売のCal.330系であったが当時はまだ半回転のハーフローターで効率に難があり、初の全回転の490系でもまだ改良の必要があった)に続く、オメガにとっての決定版となった自動巻キャリバー系統で、以後1960年代の発展型Cal.561~565や、ローターを外して手巻き専用とし、30mmシリーズの実用後継となった600番台のような派生版を輩出。クロノメーターモデルも多数作られた。
3.^ http://blog.excite.co.jp/i-watch/9722182/
4.^ シンプルなデザインのケースで、文字盤6時側にサンセリフ書体の「Genève」表記が施されただけのそっけない外観であったが、搭載キャリバーはCal.550系・600系など高級機と共通の、買い得な性能を持つ製品であった。
5.^ 以前は時計の検定を天文台で行っていたことによるが、天文台で検定した機械そのものを搭載しているわけでなくイメージ。
6.^ 英語の悪魔(Devil )とはスペルが異なる。
7.^ 初期の製品には6気圧の防水性を備えたものも存在した。
8.^ オートマチック・タイプはNASAより公式時計としての採用を受けていない。
9.^ 「店頭で購入した」のではなく、各時計メーカーないしその代理店に対して仕様書を提示し、選定のための時計を公式に調達したと当時の担当官の証言がある(世界文化社「時計Begin」Vol.50、pp.28-29)。
10.^ この時の状況は後に『アポロ13』として映画化されている。
11.^ 2007年『20世紀の記憶装置「オメガ・スピードマスター」』ワールドフォットプレス
12.^ 第17話「地底GO! GO! GO!」でモロボシダンの右手にスピードマスターが着けられている。(一般的に腕時計を着ける左手にはビデオシーバーを着けているため)ただしウルトラセブンにはキリヤマ隊長の腕時計が写るシーンもあるが、その時計はスピードマスターではない。
13.^ http://www.omegawatches.jp/jp/news/international-news/international-news-detail/2405 The Official Timekeeper of the 2020 Olympic Games congratulates Tokyo, the Host City 2013年9月9日



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腕時計





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シチズン プロマスター(アナログ式腕時計)




ディジタル式の腕時計(カシオ 普及品)




革製バンドの腕時計(タイメックス)




ジラール・ペルゴがドイツ海軍将校用に製造した史上初の量産型腕時計




布製バンドの腕時計(第一次世界大戦期の軍用保護カバー付き)




クロノグラフ((もともと機械的に実現した)針表示によるストップウォッチ機能を搭載。シチズン製)




横から見たところ、金具や二重のベルトが特徴




分解した腕時計
腕時計(うでどけい)は、ベルトによって手首に巻くことで携帯できる時計である。



目次 [非表示]
1 概説
2 歴史 2.1 略式年表
2.2 腕時計の誕生
2.3 初期の腕時計
2.4 自動巻腕時計
2.5 日本の腕時計
2.6 精度向上と電気動力化
2.7 クォーツ腕時計
2.8 クォーツショック
2.9 ディジタル腕時計
2.10 機械式の復権と日本メーカーの凋落
2.11 新たな腕時計の模索
2.12 電波腕時計
2.13 衛星電波腕時計
2.14 時計付き携帯電話
2.15 試験会場への持ち込み禁止

3 防水腕時計 3.1 ねじ込み式竜頭
3.2 Oリング防水
3.3 ダイバーズウォッチ

4 宝飾腕時計
5 視覚障害者用時計
6 複雑腕時計
7 ディジタル化による付加機能
8 性差・着用方法
9 ブレスレットとベルト 9.1 ブレスレット
9.2 ベルト 9.2.1 天然素材
9.2.2 その他の素材

9.3 バックル
9.4 その他

10 出典
11 参考文献
12 関連項目
13 外部リンク


概説[編集]

ベルト(帯、バンド)に時計本体が結合・固定され、これを手首に巻いた状態で携帯でき、かつ視認できる小型の時計である。

英語では懐中時計(英語: pocketwatch)も含んでウォッチ(英語: watch)、あるいは特に区別する場合はリストウォッチ(英語: wristwatch)と言う。日本語では「時計」で総称されているが、英語ではこれら以外の置時計や掛時計といった身につけない時計はクロック(英語: clock)であり、日本でも業界ではもっぱらこの英語における分類に準じて扱われている[1]。

19世紀以降、携帯用の時計として一般的であった懐中時計は、時刻を読もうとするたびにわざわざポケットから取り出す(場合によってはさらに、風防ガラスを保護するための金属製の蓋を開ける)時間のかかる動作をしなければならなかったが、手首に巻いておけば、即座に時刻を読み取れるという利便性がある。また行動中に懐中時計を視認する場合、手のひらに持って視認する必要があり、時間確認の間は時計を持った手がふさがってしまうが、手首に巻いておけば視認の動作は一瞬であり、いつでも両手の手・指が全部使える。ただし、邪魔にならないような形で腕に時計を巻きつけるためには、時計を充分に小型化する必要があり、それは決して容易ではなかった。懐中時計に代わって本格的な普及が始まったのは20世紀に入ってからである。

当初は先行した懐中時計同様、ぜんまいばねを動力源とし、ヒゲゼンマイ・天符・ガンギ車・アンクルなどから成る脱進機を計時機構とする機械式時計であった。機械式腕時計は、懐中時計の生産で先行したスイスなどの国々が世界的な市場を占有し、1970年代までの主流であった。

これに対し、1960年代に腕時計として実用化された水晶発振計時のクォーツ式は、より高精度であり、また日本のメーカーの活動によって短期間で比較的安価に量産が可能となったことから、以降は圧倒的に多く普及することになった。21世紀初頭現在でも、大衆向けの実用腕時計の駆動方式はクォーツ式が一般的で主流である。ただし、旧来のぜんまい動力で動く機械式時計は、製造に手間がかかり製造コストが高く、結果としてわざわざ機械式を用いることは「希少性」を感じさせるので、現在では主として(実用性を主眼としない)「高級価格帯の製品」の機構として用いられている。なお、世界的には電池入手が容易でないなどの理由から機械式の腕時計が専ら用いられている地域も存在する。

最初は単に時刻を示す機能しかなかったが、その後さまざまな機能を付加させる試みが行われた。例えば、ストップウォッチ機能の付加(「クロノグラフ」)、月齢や潮の満ち干を表示するもの、等々である。防水性を高める努力も行われ、ついには潜水用の腕時計も登場した(「ダイバーズウォッチ」)。

使う人により、どのような意図で腕時計を用いるかは異なる。時刻や時間を知るために用いるのが基本ではあるが、たとえば登山家・ダイバー・スポーツマンなどのためのモデルは、単なる時刻・時間の表示機能の他に高度な耐候性・耐久性・付加機能の付いた実用品である。他人に見てもらうためのファッション(服飾)アイテム、一種の装身具として用いる人もいる。

時代が進むにつれ腕時計の大衆化と必需品化が進行し、20世紀末期には、先進国で職業を持つ人々の多くが腕時計をつけているような状況であった。近年では時計機能を内蔵した携帯電話やスマートフォンが普及したことで、携帯できる時計の機能はそれで済ませ、腕時計を着用しない人が増え、販売数は減少傾向にある。

歴史[編集]

略式年表[編集]
1790年 - ジュネーブの時計商ジャケ・ドロー&ルショーのカタログに腕時計が記載される。どのような物かは不明[2]。
19世紀初頭 - 小型の時計が取り付けられた装身具などが登場しはじめる。
1806年 - 現存する最古の腕時計(ジョセフィーヌの時計)が製作される。完成年は不明[3]。
1810年 - ナポリの王妃がアブラアム=ルイ・ブレゲに腕に装着可能な時計を注文、2年後に完成。
1879年 - ジラール・ペルゴが軍用品として腕時計を製作。
1900年 - オメガが世界初の一般向け腕時計を発表[4]。
1902年 - ベルヌーイ法による人造ルビー製造が実用化。それまで天然宝石(でも品位の低い屑石)の加工に頼っていた懐中時計・腕時計の軸受材が品質の安定した人造宝石に移行、コスト低減と品質向上の効果を得る。
1906年 - カルティエの『サントス』1号完成。1911年、男性用に販売され人気となる[5]。
1913年 - 服部時計店(現セイコーホールディングス)が日本初の純国産腕時計『ローレル』を発売[6]。
1926年 - フォルティスが世界初の自動巻き腕時計を発表。イギリスのオイスター社の防水式「オイスターケース」がロレックスの時計に搭載され定番となる。以後、より簡易な方式の防水時計も各国で作られるようになる。
1934年 - スイスで、テンプの芯(天芯)を受石ごとバネによる浮動支持とした腕時計耐震機構「インカブロック」(Incabloc)が実用化。落下等の衝撃による、時計の天芯折れ故障を減らすことに成功。以降、類似の浮動式耐震機構が多くの腕時計に導入される。
1957年 - ハミルトンが世界初の電気式腕時計『ベンチュラ』を発表。
1960年 - ブローバが音叉式腕時計『アキュトロン』を発表。
1969年 - オメガの『スピードマスター』が月で使用され、世界で初めて地球外天体で使用された腕時計となる[7]。 12月[8] - 服部時計店が世界初のクォーツ式腕時計『アストロン』を発表。

1970年 - ハミルトンが世界初のディジタル表示の腕時計『パルサー』を発表。
1990年 - ユンハンスが世界初の電波式腕時計『メガ1』を発表[9]。
2011年 - シチズンが世界初の衛星電波式腕時計『エコ・ドライブ サテライトウエーブ』を発表[10]。

腕時計の誕生[編集]

腕時計の最古の記録はジュネーブの時計商ジャケ・ドロー&ルショーが1790年のカタログに記載されたものと言われている[11]。また、現存する最古の腕時計はパリの宝石商が1806年に製作した、時計を組み込んだエメラルドのブレスレットとされている。1810年には時計細工師のブレゲがナポリの王妃(カロリーヌ・ミュラ)のために、金髪と金で編んだベルトで腕に装着できる卵型の時計を製作して2年後に完成させた(現在は行方不明)。このように宝飾品として製作された例は以前からあったがほとんどが一点物であり、普及したものはなかった。

腕時計が製品化された契機は、軍からの需要である。懐中時計を片手に砲撃のタイミングを計測していた砲兵が手首に懐中時計をくくりつけて使用する工夫から始まったとされている。ドイツ軍がこのアイデアの製品化を時計メーカーに打診している。1879年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世がドイツ海軍用としてジラール・ペルゴに腕時計を2,000個製作させたという記録が残っている[12]。この時計は網目状の金属製カバーを備えていた。

その他草創期の使用例としては1899年のボーア戦争でイギリス軍将兵が懐中時計を手首に革ベルトで装着した例がある。当時はホレイショ・キッチナーの名を取り「キッチナー・ベルト」と呼ばれた。

初期の腕時計[編集]

オメガは世界に先駆けて1900年に腕時計を商品化し、1902年には広告を打っている。しかし当時は女性用懐中時計の竜頭位置を横に変えて革ベルトに固定しただけのものでデザインの無骨さから、一般に普及することはなかった。その後腕時計専用のケースとムーブメント開発が行われるようになったが、依然として男性用は懐中時計が主流で、腕時計は正式な存在とは見なされなかった。

特定ブランドの腕時計として最初に人気製品となったのは1911年にフランスのカルティエが発売した角形ケースの紳士時計「サントス」である。「サントス」の原型は、ルイ・カルティエが友人の飛行家で富豪のアルベルト・サントス・デュモンに依頼され、飛行船操縦中の使用に適した腕時計を製作したものであった。後年その洗練されたデザインがパリの社交界で話題となり、市販されるに至った。「サントス」はスポーツ・ウォッチの古典となり、21世紀に入った現在でもカルティエの代表的な製品の一つとして市販されている。

第一次世界大戦は腕時計の普及を促す契機となり、男性の携帯する時計は懐中時計から腕時計へと完全に移行した。戦後には多くの懐中時計メーカーが腕時計の分野へ転身した。

第二次世界大戦以前からの主要な腕時計生産国としては、懐中時計の時代から大量生産技術と部品互換システムが発展していたアメリカ合衆国のほか、古くから時計産業が発達したスイス、イギリス、ドイツなどがあげられるが、後にイギリスのメーカーは旧弊な生産体制が時流に追いつかず市場から脱落し、ドイツのメーカーは廉価帯の製品を主体とするようになった。アメリカのメーカーも1960年代以降に高級品メーカーが衰亡してブランド名のみの切り売りを行う事態となり、正確な意味で存続するメーカーは大衆向けブランドのタイメックスのみとなった。

スイスでは時計産業が膨大な中小零細企業群による分業制に基づいて形成されており、廉価品から高級品まで広い価格帯の製品を供給することができた。業界全体の連携が進み、1920年代以降は産業防衛目的のカルテル構築が本格化、1934年にはスイス連邦政府が政令による時計産業保護(ムーブメント部分のみの輸出に起因する国内時計産業の空洞化防止や、他国の時計産業伸長を防ぐ目的の時計製造機械の輸出管理等)に乗り出した。スイス時計産業の独特な構造は1960年代までスイス時計の国際競争力を維持し、最盛期には自社でムーブメントを製造できる一貫生産メーカー(マニュファクチュール)のほか、多数のムーブメント専業メーカーに支えられた有名無名の膨大な時計ブランド(エタブリスール)を擁した一方、業界全体の近代化では後れを取る結果となった。

なお、スイスメーカーのムーブメントを部品として輸入して、ケース製作と最終組み立てのみ輸入国で行うノックダウン生産手法の一種「シャブロナージュ」(chablonnage)は、関税抑制の目的で懐中時計時代の19世紀末から見られ、腕時計主流の時代になっても盛んに行われた。20世紀に入ってからはアメリカの大手時計メーカーの一部が、スイスに自社現地工場を置いてムーブメント生産を行い、人件費を抑制(当時、大量生産技術をもってしてもアメリカ本国の人件費はすでに高くついていた)しつつスイス時計業界・スイス政府の利益逸出政策を回避する動きも生じた。





ジャガー・ルクルト製自動巻腕時計の内部
自動巻腕時計[編集]





セイコー・プレスマチックのムーブメント。上部に回転式ローターが見える
自動巻腕時計(Automatic watch)とは、時計内部に半円形の錘(ローター)が組み込まれており、装着者が腕を振ることにより錘が回転し動力のぜんまいを巻き上げるものである。錘を仕込んだ自動巻機構自体は懐中時計用としてスイスのアブラアン=ルイ・ペルレ(英語版)により1770年頃に発案されていたが、ポケットに収まった安定状態で持ち運ばれる懐中時計よりも、手首で振られて慣性の働きやすい腕時計によりなじむ技術であった。それに対してブレゲは振り子による自動巻き「ペルペチュエル」を開発したが、構造が複雑だったため一般には普及せず、19世紀の懐中時計のほとんどは鍵巻き及び、パテック・フィリップの創始者の一人であるアドリアン・フィリップ(英語版)が1842年に発明した竜頭による手巻きであった。

最初の実用的な自動巻腕時計となったのはイギリスのジョン・ハーウッド(英語版)が開発した半回転ローター式(ローターの片方向回転時のみでぜんまいを巻き上げる)で、1926年にスイスのフォルティスから発売された。続いてより効率に優れる全回転式ローター自動巻(ローターの回転方向を問わず歯車機構の組み合わせで一定方向の回転力を取り出し、ぜんまいを巻き上げられる)がスイスのロレックスで1931年に開発され、同社は「パーペチュアル」の名で市販、オイスターケースと呼ばれる防水機構とともにロレックスの名を広めた。その後も各種の全回転ローター自動巻システムが考案され、現在の自動巻腕時計では全回転ローター式が一般化している。また、ローターの形状もペルレの時代の半円状から、外周部に金などの重金属を使用したり中抜きした形状にするなどして回転効率を向上させている。

自動巻腕時計の多くは竜頭を用いてぜんまいを手巻きすることもできるが、構造を簡素化する目的で自動巻専用としたものもある。自動巻は装着されている間ぜんまいの力が適度な程度に蓄えられ、手巻き式に比べて精度が高くなる傾向がある。身に付けていない場合にはワインディングマシーンにセットしておくことでぜんまいを巻き上げておけるため、機械式腕時計の収集家がその種の装置を用いる例が見られる。

日本の腕時計[編集]

日本では1913年、服部時計店が国産初の腕時計「ローレル」を発売しているが、その7石ムーブメントは懐中時計との共用品であった。サイズの制約が厳しい腕時計の技術でスイスやアメリカの製品に比肩することは容易でなく、日本製腕時計への評価は当の日本でも第二次世界大戦後まで決して高くなかった。1957年時点でも日本の腕時計市場ではスイス製品が大いに幅を利かせ、スイス時計は年間で約200万個程度が流入していたが、そのうち正規ルートで輸入されたのは30万個程度であとの大部分は密輸入だったという[13]。

それでも1950年代以降、日本の腕時計の技術は着実に進歩して国内の廉価帯市場では輸入品を圧するようになり、1960年代以降はカメラと並ぶ主要な輸出商品となった。1955年には国産初の自動巻腕時計「セイコーオートマチック」が発売され、その後も「グランドセイコー」、「シチズン クロノメーター」など、スイス製に匹敵する精度の国産時計が登場した。1964年には東京オリンピックの公式計時機器として海外メーカーを抑えセイコーが採用された。セイコーは電子計時を採用し、オリンピックで初めて計時に関してノートラブルを実現した。これを契機に日本製腕時計が世界的に認められるようになる。

日本の主要な腕時計メーカーは、電卓分野からエレクトロニクス全般に成長した総合メーカーであるカシオ計算機を除くと、すべて懐中時計や柱時計の分野から参入した企業である。セイコーとシチズン時計、カシオの3社が主要大手メーカーである。機械式腕時計時代の国産第3位であったオリエント(吉田時計店→東洋時計が前身)は業績不振から現在はセイコーエプソン傘下にて存続する。リコーエレメックスは旧・高野精密工業の後身で、1957年から「タカノ」ブランドで腕時計を生産したが、中京圏に本拠があったため1959年の伊勢湾台風で大被害を受けて業績悪化、1962年にリコーに買収され、のち腕時計ブランドもリコーに変更した。

精度向上と電気動力化[編集]

機械式の腕時計には振り子の代わりとなるテンプが組み込まれており、その振動数が高ければ高いほど時計の精度は上がる傾向がある。並級腕時計のテンプは振動数が4 - 6回/秒のロービートだが、高精度型腕時計では8 - 10回/秒の多振動となっておりハイビートとも呼ばれる。現代の機械式時計のうちスイス製の多くはハイビートであり、また日本製でも上級品はハイビートが多い。ただしハイビート仕様とすると部材の疲労や摩耗が早まり、耐久性では不利である。

電池エネルギーで作動する腕時計はアメリカのハミルトンが開発し、1957年に発売した「ベンチュラ」が最初である[14]。これは超小型モーターで駆動する方式で、調速の最終段階には機械式同様にテンプを使っていた。ボタン状の小型電池を使う手法は、以後の電池式腕時計に踏襲されている。

1959年にはやはりアメリカのブローバが音叉式腕時計「アキュトロン」を開発した[15]。超小型の音叉2個を時計に装備して、電池動力で振動を与え、音叉の特性によって一定サイクルの振動を得る。この振動を直接の動力に、一方向のみへ駆動力を伝えるラッチを介して分針時針を駆動するものである。振動サイクルは毎秒360回とクォーツ腕時計登場の前では最高水準の精度であったが、ブローバが技術公開やムーブメント供給に積極的でなかったこともあり1976年には生産を終了している。

クォーツ腕時計[編集]

「クォーツ時計#歴史」も参照

クォーツ時計自体は1920年代に発明されていたが、当時は能動素子に真空管を使用していたため、タンス並に大きな据え置き式時計となり、しかも高価なことから、天文台等の研究機関や放送局における、極めて精度の高い計時手段を要する需要でわずかに利用されただけだった。クォーツ時計が携帯可能なサイズとなって一般に広く使われるようになるには、集積回路が安価に利用できるようになる1960年代を待たなければならなかった。

ブローバのアキュトロンに危機感を抱いたセイコーは「遠からず水晶時計の時代が来る」と確信し、1959年にクォーツ腕時計の開発プロジェクトをスタートした[16]。

1967年、世界初のアナログ回路を用いたクォーツ腕時計のプロトタイプが登場した:スイスのCentre Electronique Horloger (CEH) によるBeta 1[17]、および日本のセイコーによるアストロンのプロトタイプである。

1969年[18]12月[19]25日にセイコーは世界初の市販クォーツ腕時計「アストロン」を発売した[20]。当時の定価は45万円で当時42万円だった大衆車トヨタ・カローラよりも高価であった[21][22]。振動数の高さは圧倒的で、機械式はおろかブローバの音叉式「アキュトロン」をもはるかにしのぐ日差±0.2秒以内[23]、月差±3秒以内[24]という高精度を実現した。銀電池で1年以上駆動する[25]。

ウォッチに限らずクロック等、あらゆるクォーツ時計に共通のことであるが、水晶発振子の周波数には、単純な2分周の繰返しで1秒を得られるなど扱いやすい32,768Hz(=215Hz)がもっぱら使われている。

クォーツショック[編集]

クォーツ腕時計は、機械式やそれ以前の各種電池式に比べ圧倒的に誤差が少ないこと、セイコーが特許の公開(英語版)を行ったため各社が製造に参入し急速にコスト削減(英語版)が進んだことから、1970年代に市場を席巻した。なおスイス側から見てスイス国内の時計生産はセイコーにおけるクォーツ時計の量産により瀕死の状態まで追い詰められたため、これを「クォーツショック」と呼んでいる。

ディジタル腕時計[編集]

アストロン発売と同時期の1970年に、初の、文字表示式のいわゆるディジタル時計式の腕時計すなわちディジタル腕時計、アメリカのハミルトンの「パルサー」が発売された。しかしパルサーは発光ダイオード(LED)を表示器に使用していたため実用性に問題があり、実用的なディジタル腕時計の実現はその後の液晶表示器(LCD)の導入以後である。当初は物珍しさもあり極めて高価な価格設定の製品とされた。だがすぐに、可動部品が皆無な構造で大量生産に適するという電子機器の常で低価格化が促進され、現代では一般にアナログ式より廉価な存在となっている。

その後アラーム機能、ストップウォッチ機能など、腕時計の高機能化と低価格化が同時に進み、かつて高級品であった腕時計は、子供でも買えるような身近な存在となって消耗品化した。それ以前のような定期的な分解掃除が不要となり、在来型機械式時計を取り扱う技術者(時計師)を擁する時計店が日本全国で3万軒、廃業の縁に立たされたともいう。

機械式の復権と日本メーカーの凋落[編集]

1980年代に入ると、精度ではクォーツに劣るものの熟練工によって作り上げられる機械式の腕時計の良さが再評価され始め、スイス製の高級機械式腕時計が徐々に人気を取り戻してきた。

クォーツ時計登場以降、欧州では機械式時計のメーカーやムーブメント製造を行う専門メーカーの再編と淘汰が進み、コストカットの観点から部品の製作・加工に自動化設備が導入され、世界的な規模でムーブメントの共有化が進んだ。その結果、スイスのエタがヨーロッパの機械式腕時計業界へのムーブメント供給で大きなシェアを占めるようになった。このため、高級ブランドは大衆ブランドと同型のムーブメントを共用しつつ、ケーシング(精度、仕上、耐久性、デザイン等を決定する最終組立)による差別化に技術とコストを集中できる状況となった。

一方でマニュファクチュールと呼ばれる、一部の特殊なパーツを除きムーブメントの開発・製造から組み立て、仕上げまでを一貫して行えるメーカーも存在する。

時計製造を専門としない無名のアッセンブリーメーカーがアジア製の廉価なクォーツムーブメントをやはり廉価なケースに収めて実売1000円 - 3000円程度の格安価格で流通させる事例は、1980年代以降の日本でも一般化した。この種の無名な廉価時計は中国などで組み立てられるものが多く、外観こそ粗末だが実用上支障ない精度と必要充分な防水性を備えているため、世界的に量販価格帯を席巻した。

このようにして手軽かつ高機能なクォーツ時計と、高級な工芸品・嗜好品の機械式時計という位置づけで棲み分けがなされるようになった。

スイス製の機械式腕時計が右肩上がりの成長を始めるのと同時に日本製のクォーツ式腕時計の業績は急激に悪化し、さらにアジア製のクォーツ時計との価格競争に敗れ、大幅にシェアを奪われた。しかも日本メーカーは自らが生み出したクォーツ技術により、1970年代以降世界的に認められていた機械式時計技術を持つ職人をほとんど失っており、苦境に立たされた。

新たな腕時計の模索[編集]

1980年代なかばから、完全にコモディティ化した方式の針式や液晶ディジタル表示の腕時計に変わる、新たな付加価値を模索する動きが始まった。以下に各社の動向などを記す。

セイコーは復権をかけ、高級機械式腕時計として1960年代に名声を博した「グランドセイコー」などを復活させるなど、機械式腕時計に再度力を入れた。機械式ばかりではなく、ビスカススイープ・キネティック・スプリングドライブなど新方式の研究も進め、実用化している。2000年代に入ってからはクレドールブランドの超高価格帯製品「スプリングドライブ ソヌリ」などや「セイコー・スペクトラム」のような新コンセプトのモデルも作っている。

ビスカススイープはクォーツ腕時計で音叉時計のようなスイープ運針を[26]、ダンパとばねにより実現した方式であったが、採用したムーブメントは1988年の5S21と90年の5S42にとどまった。

キネティック(AGS)は1988年にセイコーが発売した、世界初の自動巻き発電クォーツ腕時計「セイコー オートクオーツ」のムーブメントに使用された方式である[27]。発売時は機構名をAGS(Automatic Generating System)としていたが1997年にキネティックに変更された。キネティックは自動巻き時計と同様にローターを内蔵し、腕の振りによって発生したローターの回転を歯車で約100倍に増速し発電した電力をキャパシタに蓄える電池交換不要のクォーツ腕時計である。装着していない時には省電力のため針の動きが自動的に停止し、再び装着され振動が与えられるとそれを感知して自動的に現在時刻に復帰するオートリレー機能を組み込んだ「キネティックオートリレー」、小の月だけでなくうるう年においても正しい日付を示すパーペチュアルカレンダーの「キネティックパーペチュアル」、手巻き充電にも対応し、パワーリザーブ表示機能を持つ「キネティック・ダイレクトドライブ」もある。

スプリングドライブは1999年にセイコーがリリースした[28]、機械式ムーブメントに水晶振動子を使用した調速機構を組み込み、動力源にぜんまいを使用しながらクォーツ時計と同等の高精度を実現したものである[29]。手巻きあるいは自動巻きによって巻き上げられたぜんまいは針を動かすと同時に発電を行い、その電力によって水晶振動子を備えた調速機構を動作させる[30]。このため機械式調速機構で使用されるテンプや、クォーツ時計で使用される電池が不要である。セイコーではこのスプリングドライブを「メカニカル式とクオーツ式に並び立つ第三の駆動機構」と位置づけている[31]。

シチズンの「エコ・ドライブ」は光発電によって駆動する。また外気温と装着者の体温の差を利用しゼーベック効果によって発電した電気エネルギーを動力源にする「エコ・ドライブ サーモ」の腕時計もあった(現在、エコ・ドライブ サーモを適用した腕時計は販売していない)。

カシオ計算機は「腕時計は床に落とせばたやすく壊れる」という常識に反し、2〜3階から落としても壊れないという耐衝撃性能を備えたタフな腕時計、G-SHOCK(Gショック)を1983年から発売した。このGショックはその頑丈さを買われ、過酷な状況にある湾岸戦争やイラク戦争などの戦場で兵士たちに愛用されていたという。最初はディジタルウォッチのみの展開であったが、1989年にはアナログ(デジアナ)ウォッチもラインナップに加えた。日本ではそうした堅牢性を重要視される事は殆ど無く耐衝撃を考慮したやや厚めのサイズと無骨なデザインということもあって発売早々ヒットとはいかなかったが、90年代に映画作品などで登場したり(販売推進部の策として、登場させたり)、また商品収集ブームも視野に入れ、「限定商品」を多数投入する販売推進策も採用し、それによって一人が多数購入するようにしむけた結果、販売数の大躍進に至った。





G-SHOCKの大ヒットした限定品の一例。初代デジアナモデルをベースにスケルトンである。


スウォッチは、安価なクォーツ時計に鮮やかな色彩、有名アーティストによるデザイン、少数限定販売という付加価値を与えることでコレクションアイテムとしての性格を備え、ユーザーの支持を集めた。ディジタル表示腕時計の生産に踏み切った際は、ニコラス・ネグロポンテの協力を得てインターネットタイムを提唱したが普及には至っていない。

2010年頃において、壁時計では秒針の音を避けるなどの目的でスウィープ運針のものも多いが、クォーツ腕時計は、セイコーの超高級ラインのスプリングドライブ機を除き全て秒刻みの運針であった(壁時計ではリズム時計工業がサイレントステップという新しい方式を発表している(製品はシチズンブランド))。シチズンの技術により傘下のブローバから、毎秒16回駆動のクォーツ腕時計が発売された。シチズンとブローバは以前に音叉式腕時計で提携し、ブローバからの技術導入でシチズンが国産化した、という経緯がある。

また、機械式腕時計における、脱進機の新機構の考案も続いている。スイスの老舗メーカーであるユリスナルダンが2001年に発表した「フリーク」は新しい脱進機の導入により、潤滑油を不要としている。オメガはジョージ・ダニエルズが発明した「コーアクシャル」と呼ばれる新機構を導入し、機械式時計の心臓部である調速機構との動力伝達を果たす脱進機機構(アンクル爪、ガンギ歯)における摩擦の大幅な低減に成功している。さらに近年では「フリーク」「コーアクシャル」に追随するように独自の脱進機を開発したり、ガンギ車やアンクル、ヒゲゼンマイにシリコンや新たな特殊合金などの先端素材を採用したりして、オイルフリーや精度向上を目指す動きもあり、さながら脱進機革命とも呼ぶべき状況が生まれつつある。

2013年5月のBaselworld(バーゼル・フェア)において、スウォッチはSistem51を発表し[32]、同年末頃発売を開始、日本では翌14年春頃から販売している。Sistem51は通常10万円以上するような機械式自動巻き腕時計と同程度の性能を持ちながら、スウォッチの発表によれば完全機械化された製造工程と「51」の由来である部品数など現代的な再設計により[33]、スウォッチの他のクォーツ式と同様のファッショナブルなスタイリングと同程度の価格帯における新しいコンセプトとしての機械式を提案した腕時計である(トラディショナルなスタイリングで廉価な機械式としてはセイコー・ファイブなどがある)。

電波腕時計[編集]

1990年、ユンハンスが世界初の電波式腕時計『メガ1』を発売した[34]。1993年、シチズンは世界初の多局受信型電波時計を発売した。電波式腕時計は、2000年代に入ってから売れ行きを伸ばしている。

電波時計は、標準電波を受信することにより時刻を自動的に補正する。基本的にはクォーツ方式で時を刻むが、一日に数回、原子時計で管理された標準電波を送信局から受け取り、自動的に正しい時刻に修正するため、電波を受信できる環境にあれば誤差が蓄積せずいつまでも正しい時を刻むことができる。

衛星電波腕時計[編集]





「GPSハイブリッド電波ソーラー」腕時計(カシオ)
2011年、シチズンが世界初の人工衛星を使った衛星電波式腕時計『エコ・ドライブ サテライトウエーブ』を数量限定で発売した[10]。また、2012年にはセイコーがGPS衛星を使った衛星電波式腕時計『アストロン』を発売した[35]。

2014年7月にはカシオから、衛星電波または地上標準電波どちらかを受信して時刻修正する世界初[36]の機能『GPSハイブリッド電波ソーラー』を搭載したG-SHOCKが発売[37]され、10月にはフルメタルボディーのOCEANUSにも搭載された[38]。

電波時計と違い、送信局を経由して時刻修正することが不要となり、屋外で位置情報が受信できる環境にあれば現在地時刻を取得できることが可能となる。

時計付き携帯電話[編集]

時計付きの携帯電話の普及により、手首の腕時計を見るのでなく、懐中時計のように、携帯電話を取り出して時間を確認するという、20世紀初頭の時代へ逆行するような現象も一般化しつつある。日本では、「腕時計を身に付けている時でも、ほとんど携帯電話で時刻を確認している」という人がほぼ半数を占めるという調査結果もある[39]。

試験会場への持ち込み禁止[編集]

Apple Watchなどのウェアラブルコンピュータ(スマートウォッチ)の登場によりイギリスのロンドン大学ではあらゆる腕時計について、携帯電話と同様に会場に持ち込まないよう通達を出し、かわって試験中の時間確認のための置時計を購入する予算を組んだ。日本でも、日本英語検定協会が実施したIELTSのテストで、腕時計の全面的な持ち込み禁止のほか、受付時にメガネの確認を行うという、スマートウォッチはもちろんスマートグラスにも対応したルール改定を行った[40]。

防水腕時計[編集]

ムーブメントを水分から保護する仕様のケースを装備した腕時計を防水腕時計と呼ぶ。現在では一般に市販されている腕時計の多くが、何らかの防水仕様を備えている。規格については一般用耐水時計の規格として、ISO 2281/JIS B 7021 に記されている。古い防水時計では "Waterploof"ないしはそれに類する表記がされている事例が見られるが[41]、今日の防水時計はいずれも "Water Resistant" またはそれを略した"Water Resist"等が表記に用いられる。 

腕時計の防水機能は、「気圧」もしくは「水深 (m/ft)」で表される。基本的には、小雨に打たれたり日常の水仕事で水がかかっても大丈夫というレベルの「日常生活防水」(3 - 5気圧防水)、水泳や潜水などで着用する10 - 20気圧防水、そして本格的なダイビングに使用される潜水用腕時計(数百メートルから極端なものでは一万メートル防水も)までさまざまなレベルがある。 表示の見方については注意を要する。「3気圧防水」と言っても、「水深30メートルまで潜っても大丈夫」というわけではない。この気圧は、静止した状態でこの水圧に耐えられるという意味であり、3気圧防水程度では水泳等の使用は保証されない。水深で表される場合には実際に表記どおり潜ることも可能な性能を持つが、メンテナンスを怠ると性能を充分に発揮できずに浸水する場合があるので、注意が必要である。

防水強度表


使用例

飽和潜水用
300m防水

空気潜水用
200m防水

日常生活強化
20気圧防水

日常生活強化
10気圧防水

日常生活強化
5気圧防水

日常生活
防水

非防水

JIS B 7023 / JIS B 7021 による規定 2種潜水時計 1種潜水時計 2種防水時計 2種防水時計 2種防水時計 1種防水時計
雨や手洗いの際の水しぶきに耐えうる程度の使用












水仕事(炊事・洗濯)に耐えうる程度の使用










ヨット・ボート等のマリンスポーツ、釣りなど船上作業。プール等での軽い水中使用








競泳、素潜り・シュノーケリング等の浅い水中での使用






スキューバダイビングなど空気潜水での使用




飽和潜水での使用



ねじ込み式竜頭[編集]

この種の時計は第1次世界大戦前後に出現しており、初期の発想としては、ガラスののぞき窓と竜頭操作用のねじ込み蓋を備えた別体ケースに腕時計を入れ、ケースごとベルトで装着するものがあった。これは防水性は確保できるがかさばって使いにくく、体裁も悪かった。

早い時期に近代的な防水構造を採用した代表例は1926年のロレックスである。オイスター社が開発した削り出しによる一体構造の「オイスターケース」方式を採用したもので、腕時計本体のケースにねじ込み竜頭を備え、従来よりコンパクトでスマートな防水時計を実現した。1928年にはロレックスを装着した女性記者メルセデス・グライツがドーバー海峡横断遠泳に成功、ロレックスの防水性を広く喧伝した。

Oリング防水[編集]

ねじ込み式竜頭は原理自体は理想の方法だが、ぜんまい巻き上げや時間合わせで頻繁に竜頭を使うと、摩耗して気密性が下がる弱点がある[42]。それに代わる簡易な手段として裏蓋や竜頭部分のパッキンにOリングと呼ばれるゴムリングを使い防水性を確保する手法が広まった。リングの個数を増やせば気密性が高まり、またリングの老化で気密性が下がってもリングの交換で復旧できる。あわせてケース材質をさびにくいステンレス製とすること、頻繁な開閉を考慮せずともよい裏蓋部分を極力扁平なねじ込み蓋にして密閉性を高める手法も一般化した。

Oリング方式は第二次世界大戦中には連合国側で通常型の軍用時計に広く使われ、戦後は大衆時計にまで普及した。ねじ込み式竜頭と併用してより厳重に防水する手法も行われており、現在ではもっとも一般的な防水法である。だが初期のOリング式防水時計は現代で言う「日常生活防水」レベルの防水性能がほとんどであったため、日本でも大衆向け価格帯の分野に防水時計が出現した1960年代前期に、メーカーの宣伝とも相まって、ユーザーが防水性を過信して着用したまま入浴や水泳を行い、水の侵入で時計を故障させるトラブルが続出したことがある。

一部のメーカーは耐久性の要求される時計について、一種の多重ケース構造に近い手法とOリングの併用で気密性をさらに高める方法を採った。「オメガ・シーマスター」シリーズの高性能版はその代表例である[43]。

クォーツ時計では廉価に電池交換を請け負う店舗が(専門の時計店以外にも)広く存在するが、この際に防水Oリングの組み込み、再組立てが時計メーカーでの生産工程同等に厳密になされるかは(一部例外を除いて)確証できない。従って、電池交換の際に「電池交換後は防水機能を保証できない」とする時計店もあるが、電池交換時に新品Oリングと無料交換する店もある。

時計専門店であれば電池交換時にOリング交換はもちろんのこと、防水検査も実施される。ただし、有料オプションの場合もある。

メーカーでの電池交換は、例えばカシオではOリング交換と防水検査は必須となっておりこれらを省くことはできない。

ダイバーズウォッチ[編集]

詳細は「ダイバーズウォッチ」を参照

夜光塗料を塗布した文字盤を装備して暗い水中でも視認でき、ねじ込み式竜頭やOリングなどで防水機能を確保することで、水深100m以上の水圧に耐えられる「ダイバーズウォッチ」は、1930年代に軍用向けに出現した。潜水時間を管理する安全上の理由からも夜光防水時計は必須だったのである。オフィチーネ・パネライのダイバー用大型腕時計はその初期の例であるが、本格的な普及は第二次世界大戦後である。1943年にジャック=イヴ・クストーが考案したアクアラング装置が戦後に広まり、スキューバダイビングが容易になったことが普及の契機と見られる。

宝飾腕時計[編集]

美術工芸品としての腕時計もある。材料に金や銀などの貴金属をふんだんに用い、ルビーやダイヤモンドといった宝石を散りばめた華美な装飾品としての腕時計である。極端なものでは、風防に数カラットの大粒ダイヤモンドを用いるなど、数億円の腕時計まで存在する。メーカーで製造されるものもあるが既存の時計を加工して作る場合もあり、アフターダイヤなどと呼ばれて区別されることもある。

こうした時計は、クオーツ式ではなく機械式であることが多い。

視覚障害者用時計[編集]

視覚障害者が時間を確認できるように、指で直接針や文字盤を触れるようにした腕時計。文字盤には突起が設けられており、時間を確認する時には、文字盤を覆っているカバー部分を開いて指で触れるようになっている。無論通常の腕時計としても使用可能である。手法自体は先行して出現していた視覚障害者用の懐中時計からの踏襲である。

またこのような腕時計とは別に、音声で時刻を知らせるディジタル式の視覚障害者用時計も存在する。

複雑腕時計[編集]

時刻表示に加えてさまざまな機能を有するアナログ式腕時計のことを「複雑腕時計」あるいは単に「複雑時計」と呼ぶ。機械式腕時計のトゥールビヨン、ミニッツリピーター、永久カレンダーは評価が高く、非常に高価である。一方で永久でないカレンダー機能、サン&ムーン表示及び電子音の時刻音(リピーター、ソヌリ、アラーム)機能はこれに含めないことが多い。単純なカレンダーや電子アラームを除いては、実用よりも趣味性が強いものである。
クロノグラフ時刻を表示する機能に加えストップウオッチの機能も組み込んだ時計のことをいう。
詳細は「クロノグラフ」を参照
ムーンフェイズ




セイコー5自動巻のムーンフェイズ月の満ち欠けを表す機構。太陰暦の名残りであるが、間接的に海の満ち引きを表し、漁業、海運、貿易及び天体観測、占術などの分野で月齢は重要な指標とされる。オーソドックスなデザインは文字盤に空けられた半円の窓内で円盤に描かれた月が見え隠れすることで満ち欠けが表現される。円盤には2つの月が描かれ59日で1回転する。このアイデアは18世紀の天才時計師アブラアム=ルイ・ブレゲの発明である。月の満ち欠けの1周期は平均29.530589日であるため965日で約1日の誤差が生じるが、特に精巧なものではより誤差を少なくしたものがある。このデザイン以外には、デイトカレンダーに似たシャッター表示式、複数の月が描かれた盤面上を月齢針または月盤で示すポインター表示式、金と黒に塗り分けられたボールが回転するもの等がまれに存在する。24時間計のバリエーションとして、ムーンフェイズと同じような外観で円盤には太陽と三日月が描かれたものがあるが、これは24時間で1回転し昼夜の区別をする「サン&ムーン」機能と呼ばれている。プラネタリウムムーンフェイズ以外で、天体の運行を追尾する腕時計をプラネタリウムあるいは天文腕時計と呼ぶ。占星術の道具であるアストロラーベを自動表示をするもの、惑星の位置を表示するもの、月食や日食を予告するもの、月の位置を表示するもの、星座を自動で表示するものなどが存在する。機械式で有名なメーカーはユリスナルダン、クォーツ式を手がけるメーカーとして、シチズンやアストロデアが挙げられる。




トゥールビヨントゥールビヨンアブラアム=ルイ・ブレゲが発明した技術で、脱進機に掛かる重力による誤差を補正するため、脱進機を回転させて重力の影響を分散する機構である。本来時計本体に固定されている部品を回転させるために非常に複雑な機構と高度な技術が要求され、一時は「世界でも製造できる職人は10人以下しかいない」等と言われたが、香港で量産化されるなどの動きもある。
詳細は「トゥールビヨン (時計)」を参照
リピーター時計の側面のレバーを引くと、鐘の音色や回数で現在時刻を知らせてくれる機構。機械式腕時計でこれを実現するためには非常に高度な技術が必要とされる。分単位まで時刻を教えてくれるミニッツリピーターの他、5分単位までを教えてくれるファイブミニッツリピーター、15分単位までを教えてくれるクォーターリピーターも存在する。
詳細は「リピーター (時計)」を参照
ソヌリ毎時ゼロ分になるとその時刻の数だけ鐘を鳴らして時報する機構。さらに15分単位で時報するものをグラン・ソヌリと呼ぶ。時報と同時に文字盤などに配されたカラクリ人形などのギミックが作動するオートマタと組み合わされることもある。カレンダー日(デイト)及び日と曜日を示すもの(デイデイト)が一般的で、日・曜日・月を示すものはトリプルカレンダーと呼ばれる。数字による表示方法と盤面上を針(ポインター)で表示する方法がある。大型の日付針(デイトポインター)が時分針と共にセンターに配置されたものは識別のため針先が三日月型をしている。月、日、曜日、暦年が表示でき、4年に一度の閏年でも、2月末日から3月1日にかけての手動による日付補正の必要がないカレンダー機構を永久カレンダー(パーペチュアル)と呼ぶ。なお、閏年の2月末のみに日付補正が必要なセミ永久カレンダー、毎年の2月末のみに日付補正が必要な年次カレンダーも存在する。
ディジタル化による付加機能[編集]

機械式時計と比較して、ディジタル時計には時間計測(ストップウォッチ)、カレンダ、アラームといった機能の他電卓やゲームといった計時とは関係のない機能の付加がはるかに容易であり、初期の頃からそういった付加機能付きの製品があった。さらに、各種センサー類を取り付けることによって、従来の時計とは異なる機能(気温、気圧測定、電子コンパスなど)といった、いわゆる「ディジタルガジェット」的機能が付け加えられた。

性差・着用方法[編集]

腕時計は利き腕と反対側の腕に着用することが多い。また女性の場合、盤面を腕の内側に向けて着用する例も比較的多いが、男性においてはまれである。女性用腕時計は男性用腕時計に比べて小型に設計されているが、中には必要以上に小型化されている例もある。男性用サイズと女性用サイズの中間的なサイズの腕時計はボーイズサイズと呼ばれる。

なお腕時計成立の経緯から腕時計登場当初は懐中時計に比べて略式とみなされ、礼装時に着用しないものとされてきたが、現在ではそのようなことは言われなくなった。

ブレスレットとベルト[編集]

腕時計が普及し始めたのは女性のアクセサリーとしてであり、ブレスレットに時計のケースを取り付けたものが原点である。それに次いで実用的な道具として腕時計は強度と装着感が要求され、革ベルトにワイヤーを通してワイヤーの両端をケース本体に溶接するスタイルが生まれた。しかしベルトの損傷時などに取り外しが不便であることから、バネ棒をベルトの接合部に通しておき、このバネ棒をラグにはめ込むスタイルが確立し、現代まで続くことになる。これと併行してコマをつないで装着感と強度を両立させたブレスレットも登場・発展していき、やはりバネ棒を介してラグにはめ込むスタイルが採用された。NATOストラップのように引き通し式のベルトをバネ棒に直接通すベルトも存在する。

ブレスレット[編集]

ブレスレットの素材は比較的安価でメンテナンスが容易なステンレスが現在の主流である。その他金や鉄に鍍金したもの、チタニウムなどの金属がよく使用されている。まれに貝や骨、アクリル樹脂などのブレスレットも存在する。ブレスレットの形状には次のようなタイプと、特徴がある。ブレスレットはピンを調整することで腕周りを調整することができるのでベルトと比べて大きいサイズの腕時計を身につけられる。
ソリッドブロック1個の金属塊から削りだされるブロックタイプのコマを、お互いにピンやネジで留める。比較的高価であるが、耐久性は高い。ロールブロック1つの金属板に、もう1つの金属板を巻き付けて、ブロック状に仕上げる。ソリッドブロックに比べると安価。加工が巧みで、一見してソリッドブロックのように見えるものもある。メッシュキメの細かい帯状のパーツを絡み合わせて作られる。加工が難しく廃れていたが、装着感に優れクラシカルなことから近年人気が復活してきている。アジロ「コ」状のコマを噛み合わせるように重ねて連結する。手の込んだ作りであるが、近年はあまり見られなくなった。S字S字型のプレートを板バネを介して連結し、伸縮する構造となっている。サイズ調整の面倒が少なくて済むが、可動部が多く手入れが面倒だったりプレートの間に体毛を挟みやすいなどの欠点もあり、やはり近年はあまり見られない。
現在の主流は、ケースと同素材のソリッドブロックか、ロールブロックである。横へ単連から10数連まで、ブロック=コマをピンやネジで繋ぎ留める。コマ数が多いほど、可動部分が多いために柔らかで装着感も良く、豪華な外観になるが、コストや手入れのし易さ、強度などの理由で、3連から7連が主流である。人間工学を駆使した独自の形状により、装着感を向上させるなどの工夫を施すメーカーもある。

ベルト[編集]

高級時計の場合、ベルトは伝統的に爬虫類、ほ乳類の動物の天然皮革が用いられる。一般論として、耐水性や見た目の豪華さで爬虫類の皮革が高級とされるが、装着感や安価という点では、ほ乳類の皮革が勝る。そのためカーフ革に高級感を持たせるために鰐皮のような紋様を型押ししたり、爬虫類系のベルトにカーフやラバーなどの裏打ちをすることが多い。いずれにしても表面は見た目の良い素材や部位を使用し、裏面は柔らかな素材や部位を用いて縫い合わせるのが一般的である。装着感を良くするためなめし方に工夫するメーカーもある。また、この縫い合わせの糸のカラーがデザインのエッセンスとなる場合もある。近年では人造皮革が採用される例もある。ベルトはピンが存在しないので、ブレスレットと違い腕割りのサイズ調整が難しく、腕周りになるべく近いサイズを身に付ける必要がある。サイズによってはブレスレットの腕時計より小型の腕時計に為ることも少なくない。正装ではベルトの方が向いている。

欧米と比較すると、日本では革ベルトよりもメタルブレスレットが好まれる傾向にある。これは、日本では夏場の蒸し暑い気候により、多く汗をかくため、革ベルトがへたりやすいことが、大きな理由だと考えられる。

ダイバーズなどのスポーツモデルでは耐久性を重視して単一成型のラバーやポリウレタンが用いられることが多い(耐久性があるとはいえ、数年使用すると経年変化で分解してしまう)。近年では、ウブロを皮切りとして高級時計でもラバーベルトを採用するメーカーが増えている。

天然素材[編集]
爬虫類クロコダイル
アリゲーター
リザード(トカゲ)
パイソン(ニシキヘビ)
哺乳類カーフ(子牛)
コードバン(馬の臀部)
バッファロー(水牛)
カンガルー
ピッグスキン(豚)
鳥類オーストリッチ(ダチョウ)
魚類シャーク(鮫)
ガルーシャ、スティングレイ(エイ)
植物系デニム生地(綿)
サテン(絹)

その他の素材[編集]
ラバー
ポリウレタン
人造皮革
面ファスナー
カーボン(炭素繊維)
ナイロン

バックル[編集]

用語としては「尾錠」「クラスプ」とも呼ぶ、ベルトやブレスの留め金。一般的には、次のタイプが多い。
穴留め式革ベルトやゴムベルトで多用され、ピンをベルトに空いた小穴に通して固定する。ピンが幅広な場合には「タン」(舌)と呼ぶこともある。三つ折れ式上板、中板、下板の3枚のプレートを蝶番で繋ぐ。下板に中板を被せ、その上にさらに上板を包み込むように被せて、金具で固定する。観音開き式(両開き式)1枚のプレートの両端に、ジョイントのプレートを繋ぎ、さらにそこへ上板をつないだバックル。2枚の上板を、下部の1枚プレートの両側からセンターへ被せるようにして留める。スライド式留め具の片方のストッパー板を起こすとスライド可能となって長さ調節ができる簡易バックル。長さ調節の際にコマを外す必要がなく専用工具も必要ない。クォーツ時計と共に普及した。中折れ式(二つ折れ式)蝶番でつないだ2枚のプレートを開閉して、相手側の尾錠を咥えて装着する。
その他[編集]
NATOストラップ引き通し式のベルトをバネ棒に直接通すベルト。ベルトが垂れない様に金具が付属しているのが特徴。服の上から装着できるようにベルトが長く作られており、余った場合は二重に折り返すことでサイズの調整が可能。由来はこのタイプのベルトをNATOが使用しているところから。原型は第二次世界大戦中のイギリス軍用時計ベルトで、1973年にNATOの装備品規格として「G1098」のコード名で採用、2013年に一部規格改定が行われている。2013年以降の制式品はナイロン素材のみ(それ以前は皮革もあり)だが、構造をコピーして市場に流通している製品の素材はナイロン、綿、皮革など様々で、長さも手首専用に短く作られている事例が多い。レザーブレスウォッチ皮革のブレスレットに革のベルトを合わせた、装飾を兼ねたベルト。
なお、金具にリリース用のボタンを設けたり、さらに小型の押さえ板を設けて、不意の脱落が起こりにくいようにするものもある。またバックル内に収納された板を引き出してブレスの長さを伸ばすことが可能な、エクステンション方式と呼ばれるものもある。バックルだけを保管しておき別のブレスレットやベルトに用いる方法がある。

出典[編集]

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1.^ たとえば、「シチズン」ブランドのクロック事業を担っているのは「リズム」だ、といったように。
2.^ 中央公論社『時計の社会史』
3.^ 中央公論社『時計の社会史』
4.^ Marco Richon『OMEGA SAGA』Chap.7
5.^ WATCH WIKI "SANTOS" [1]
6.^ 沿革|セイコーホールディングス株式会社
7.^ Marco Richon『OMEGA SAGA』Chap.7
8.^ 『時計史年表』p.180。
9.^ WATCH WIKI "MEGA1" [2]
10.^ a b “世界初、人工衛星から時刻情報を受信する光発電時計「エコ・ドライブ サテライト ウエーブ」” (日本語). シチズンホールディングス (2011年6月15日). 2013年6月23日閲覧。
11.^ 中央公論社『時計の社会史』
12.^ 『軍用時計物語』
13.^ 長尾善夫・木村好孝『戦後の国産腕時計』(1994年 トンボ出版)p28での長尾の記述による。
14.^ 『世界の特選品 時計大図鑑』p.133。
15.^ 『世界の特選品 時計大図鑑』p.133。
16.^ 『世界の特選品 時計大図鑑』p.133。
17.^ “From the roots until today's achievements..”. Federtywfdywoiration of the Swiss Watch Industry. 2007年12月6日閲覧。
18.^ 『世界の特選品 時計大図鑑』p.134。
19.^ 『時計史年表』p.180。
20.^ セイコー クオーツアストロン 35SQ(エプソン マイルストンプロダクツ)
21.^ 『世界の特選品 時計大図鑑』p.134。
22.^ 『時計史年表』p.180。
23.^ 『時計史年表』p.180。
24.^ 『世界の特選品 時計大図鑑』p.134。
25.^ 『時計史年表』p.180。
26.^ 『ビスカススイープシステムの開発』NAID 110002775858
27.^ SEIKO TECHNOLOGY
28.^ SEIKOのニュース - セイコーウオッチ株式会社
29.^ マリーンマスタープロフェッショナル スプリングドライブ搭載モデル(プロスペックス「海」) プロスペックスについて - セイコーウオッチ株式会社
30.^ 1575万円の複雑時計に癒される - 日経ものづくり - Tech-On!
31.^ SEIKOのニュース - セイコーウオッチ株式会社
32.^ http://news.mynavi.jp/news/2013/05/17/090/
33.^ http://www.swatchgroup.com/en/services/archiv/2013/swatch_sistem51
34.^ WATCH WIKI "MEGA1" [3]
35.^ “世界初。全世界39のタイムゾーンに対応。ソーラーGPSウオッチ<セイコー アストロン>衛星シグナルをキャッチし、地球上どこでも現在時刻をすばやく取得” (日本語). セイコーウオッチ (2012年3月5日). 2013年6月23日閲覧。
36.^ ソニー×カシオ! 世界初「GPSハイブリッド電波時計」のキーデバイスに迫る!|マイナビニュース(2014年3月26日付 マイナビ)
37.^ ハイブリッドの“G-SHOCK”を発売 - 2014年 - ニュースリリース(2014年6月25日付 カシオ計算機)
38.^ ASCII.jp:カシオ計算機、世界初フルメタルGPS電波やBluetooth腕時計(2014年9月3日付 ASCII.jp編集部)
39.^ 腕時計を着けていても、半数が「携帯電話で時間を確認」 - japan.internet.com デイリーリサーチ
40.^ “Apple Watchが世界を変えた?試験会場への腕時計持ち込み禁止が世界で広まる”. INTERNET Watch (2015年3月23日). 2015年8月18日閲覧。
41.^ 時計の防水に関する本体記載の表現はかつて統一されていなかった。シチズンの場合、先行して導入した耐震機構を「パラショック」と名付けたため、その後に開発された1960年代の防水時計で「パラウォーター」"Para Water"を呼称していた時期がある。
42.^ ロレックスが腕時計業界でもいち早い1930年代初頭、高効率の全回転式自動巻き機構を実用化した動機には、ぜんまい巻き上げによる竜頭の摩耗を回避し、防水性能を長期維持する意図があった。このため防水型の古典的な自動巻きロレックスは、厚みのある自動巻き機構を収める目的で、「バブルバック」と通称されるほどのかなり厚手な構造になっている。
43.^ オメガの「シーマスター」シリーズは1948年から市販されているが、当初は単純に「防水モデル」を意味するネームであり、1960年代以前は「日常生活防水」レベルの初歩的な防水モデルも含まれていた。従って、すべてのシーマスターが多重ケース構造を用いているわけではない。

参考文献[編集]
笠木恵司、並木浩一 共著『腕時計雑学ノート』、ダイヤモンド社。
「こんな時代だからあえてメカ回帰」『D&M 日経メカニカル』2002年7月号、日経BP社、75 - 101頁。
二宮健二著『世界各国要覧と最新統計』、二宮書店。
今井今朝春著『軍用時計物語』光文社文庫
別冊家庭画報『世界の特選品 時計大図鑑』世界文化社
『時計史年表』河合企画室

関連項目[編集]

ウィキメディア・コモンズには、腕時計に関連するメディアがあります。
時間
時計
懐中時計
世界時計
GPS腕時計

外部リンク[編集]
腕時計デザインの変遷 特許庁



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腕時計
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ダニエル・ウェリントン





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https://www.danielwellington.com/jp/




DW-Classic Petite
ダニエル・ウェリントンもしくはダニエルウェリントン(Daniel Wellington )は、2011年に創設されたスウェーデンの時計メーカーである。ムーブメントはシチズン・ミヨタ製、組み立ては中国。日本総代理店は大阪府に本社を置く株式会社ビヨンクール[1]。

概要[編集]

ダニエル・ウェリントン社の創業者であるフィリップ・タイサンダーが、旅行中に気品溢れるイギリス人男性のダニエル・ウェリントンと出会い、ウェリントンがNATOストラップのヴィンテージ時計をはめていたことに触発され、時計メーカーを立ち上げたという[2]。会社名のダニエル・ウェリントンは、このイギリス人男性の名前であるダニエル・ウェリントンにちなむ。

ダニエル・ウェリントンのエンブレムはダニエルを表す鏡文字のDとウェリントンのWを組み合わせたものである。また、時計の特徴として、エンブレムの下に社名のDaniel Wellingtonが加わるのみで、ムーブメント表記や防水表記など文字盤にはなく、シンプルな表示構成となっている。この他、外装の特徴として、ステンレスブレスレットの設定がなくすべてのモデルでNATOストラップもしくは皮ベルト仕様となっている。

前述のようにムーブメントはシチズンミヨタ製、組み立ては中国、NATOストラップおよび皮ベルトの製造も中国で行われており、スウェーデンの時計メーカーではあるものの、スウェーデン製というわけではない。

脚注[編集]

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1.^ ビヨンクール会社概要
2.^ ブランド名に隠された物語

外部リンク[編集]
ダニエル・ウェリントン日本語版公式ページ




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ハミルトン (時計)





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1913年2月の広告
ハミルトン(Hamilton Watch Company)はアメリカ発祥で、現在はスイスのスウォッチ・グループ傘下の腕時計ブランドである。生産モデルは女性用宝飾腕時計からミリタリー風の男性用腕時計まで幅広い。



目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク


概要[編集]

一般的な時計メーカーとは異なり、中小の時計企業の合併により誕生したのが特徴である。

社名は、発祥の地ランカスターの土地の元の所有者で、ペンシルベニア植民地総督及びフィラデルフィア市長も務めたジェイムズ・ハミルトン (ペンシルベニア植民地総督)(英語版)にちなむ[1]。

最初に生産された懐中時計である「ブロードウェイ・リミテッド」(the Broadway Limited)は鉄道に正確さをもたらした時計として知られている。以後、ハミルトンは鉄道用時計のメーカーとして有名になり、1930年に民間航空会社ができると、航空用時計としても採用された。

第2次世界大戦中は、アメリカ軍へ船舶用の特殊時計「マリンクロノメーター」を生産し、軍用時計としての地位を確立した。

1966年のスタンリー・キューブリック監督の2001年宇宙の旅をはじめ、メン・イン・ブラックやイントゥ・ザ・ブルーなど、数多くの映画に自社製品を積極的に登場させている。中でも、1961年公開のブルー・ハワイでは、エルヴィス・プレスリーが「ベンチュラ」(Ventura)を着用し、また、撮影後も愛用したと言われている。なお、これら70本以上の映画は公式サイトの「MOVIE STAR WATCHES」のページで紹介されている。

歴史[編集]
1874年頃 - アメリカのペンシルベニア州ランカスターにアダムス&ペリー時計製造会社(Adams & Perry Watch Manufacturing Company)が設立された。 
1877年 - アダムス&ペリー時計製造会社を母体にランカスターペンシルベニア時計が設立。
1879年 - 再編成されてランカスター時計(Lancaster Watch Company)となる。
1886年 - キーストンスタンダード時計(Keystone Standard Watch Company)に買収される。
1890年 - キーストンスタンダード時計が倒産。
1892年 - キーストンスタンダード時計の資産を元にハミルトン時計(Hamilton Watch Company)が設立される。同年オーロラ時計(Aurora Watch Company )を買収し1893年に懐中時計の生産を始める。
1910年 - 軍の時計納入業者となる。
1917年 - 女性ペンダント時計用の0サイズムーブメントを使用し、第一次世界大戦に向かう兵士の為にハミルトン最初の腕時計であるカーキ(Khaki )の生産を開始。
1927年 - アメリカ有数の時計会社、イリノイ時計(Illinois Watch Company)を買収。
第二次世界大戦時 - 一般用の時計生産を停止し全ての施設で軍用時計を生産、100万個以上が海外に届けられた。
1957年 - 世界初の電池で動く腕時計「ベンチュラ」(Ventura)を発表(ただし、後年の電池式時計の主流であるクォーツ時計ではなく、動力源としてぜんまいの代わりに超小型電気モーターを採用してはいたが、機械式時計と同様のテンプを調速に用いる過渡的方式であった)。三角形にフィンがついた独特のデザインを担当したのはキャデラックなどのデザインを手がけたリチャード・アービブ(英語版)。
1966年 - マイクロ・ローター式自動巻の特許を持つスイスの時計会社、ビューレン(Buren Watch Company)を買収、ハミルトン・ビューレン(Hamilton-Buren)となる。
1969年 - 創業以来のアメリカの工場をすべて閉鎖し、スイスのビールに拠点を移転。
1969年3月3日 - ホイヤー・レオニダス(Heuer-Leonidas 、現タグ・ホイヤー)、ブライトリング、デュボア・デプラの4社共同で史上初の腕時計用自動巻クロノグラフキャリバー「キャリバー11」(Caliber 11)を開発、発表[2]。「クロノマチック」(Chronomatic)に搭載した。同年には遅れてゼニスが「エル・プリメロ」、諏訪精工舎がCal.6139を発表している。
1970年5月6日 - 世界最初のLEDデジタル時計「パルサー」を発表する。
1971年 - ビューレン社へ「ビューレン」の商標を返還。
1972年 - 売れ行きの伸び悩みなどから、正式にビューレン社との提携を解消して工場を清算、社名もハミルトンに戻る。
1974年5月16日 - オメガとティソの合弁会社SSIH(Société Suisse pour l’Industrie Horlogère = 後のスウォッチ・グループ)の傘下に入って現在に至る[3]。

脚注[編集]

[ヘルプ]

1.^ “Brief History: Hamilton Watch Company”. Renaissance Watch Repair. 2015年4月23日閲覧。
2.^ 17.Hamilton Chronomatic
3.^ 公式サイト ブランドの歴史

関連項目[編集]
ハワード (時計)
レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ - 出場するニコラス・イワノフチームのスポンサー

外部リンク[編集]
公式サイト




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カテゴリ: 懐中時計
腕時計
ミリタリーウォッチメーカー
スウォッチ・グループ
アメリカ合衆国の時計メーカー
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オリエント時計





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オリエント時計株式会社
ORIENT WATCH CO., LTD.


種類
株式会社

市場情報
非上場

略称
オリエント

本社所在地
日本の旗 日本
〒160-8801
東京都新宿区新宿四丁目1番6号
JR新宿ミライナタワー29階

設立
1950年(昭和25年)7月13日

業種
電気機器

事業内容
時計およびプリンタ用部品の製造

代表者
川名政幸(代表取締役社長)

資本金
19億3,700万円
(2008年3月31日時点)

売上高
単独:186億79万円
連結:307億1,301万円
(2008年3月期)

総資産
単独:77億1,377万円
連結:148億5,819万円
(2008年3月期)

従業員数
単独:128名 連結:732名
(2008年3月31日時点)

決算期
3月31日

主要株主
セイコーエプソン 100%(消滅時)

主要子会社
ユーティーエス

関係する人物
吉田庄五郎

外部リンク
http://www.orient-watch.jp/
テンプレートを表示

オリエント時計株式会社(オリエントどけい[1])は、かつて東京都新宿区に本社を置いていた日本の企業である。2017年3月31日まではセイコーエプソン株式会社(以下セイコーエプソン)の機能子会社で、連結事業として腕時計の製造、販売を行っていた。そして同年4月1日付を以って親会社のセイコーエプソンに統合される形で法人そのものも解散した。それ以後はセイコーエプソンの腕時計のブランド(ORIENTブランド)として機能している。


目次 [非表示]
1 概要
2 沿革 2.1 東洋時計株式会社
2.2 オリエント時計株式会社

3 関連企業 3.1 秋田オリエント精密株式会社(現・秋田エプソン株式会社) 3.1.1 沿革

3.2 株式会社ユーティーエス 3.2.1 沿革


4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク


概要[編集]

かつてはウォッチ専業メーカーであったが、プリンタ事業や電子機器事業に進出し、2008年3月期には連結売上高の7割近くが時計以外の事業によるものとなっていた。セイコーエプソンによる完全子会社化によりプリンタ事業や電子機器事業は分離され、同社のウォッチ専業となっていた。

ウォッチの分野では、機械式腕時計が全盛だった1970年代前半まで、独特のセンスによる極端に個性的で強烈なデザイン[2][3][4]の腕時計を世に送りだしていた。1970年代にはクォーツ時計の比率を高め、アラーム腕時計「デジタル三世」、低価格腕時計「デジタルエース」などのヒット商品を生みだした。一時は機械式時計の開発を行わなくなったが、1990年代末には機械式時計ブランドの「オリエントスター」を復活させた。安価だが比較的精度の高い機械式ムーブに特徴のあるデザインや、ぜんまい残量を示すリザーブメーターを付けた事から次第に売り上げを伸ばし、2000年代前半には普及機から高級機まで機械式時計のラインナップを揃えた。2004年(平成16年)には1960年代の薄型自動巻ムーブを元に新規の自動巻ムーブを開発し、フラッグシップブランドである「ロイヤルオリエント」を復活、2007年(平成19年)時点では比較的単価の高い機械式時計が主力商品となっており、クォーツの比率は低くなっている。

1978年(昭和53年)にはクロックメーカーの東京時計製造株式会社を買収し、クロック分野に進出したが、後に撤退している。

1980年代はイメージキャラクターに女性アイドル歌手や女性タレントなどを起用しており、岩崎良美、中森明菜、Wink、山田邦子らがテレビCMに出演していた。

2016年9月6日、親会社のセイコーエプソンはオリエント時計の事業再編を検討すると発表。 2017年4月を目処として、国内の販売機能をエプソン販売に、そのほかの機能はセイコーエプソンに統合する見通しとなった[5]。

沿革[編集]

東洋時計株式会社[編集]
(1901年(明治34年) - 吉田庄五郎により、下谷区上野元黒門町(後の台東区上野二丁目)にて吉田時計店が創業される。)1920年(大正9年) - 東洋時計製作所として設立され、置時計の製造を始める。
1934年(昭和9年) - 腕時計の製造を始める。
1936年(昭和11年) - 南多摩郡日野町(後の日野市)に工場を新設する。
戦時中 - 社名を変更し東洋兵器工業株式会社となる。後に東洋時計株式会社へと社名変更する。
1946年(昭和21年) - 労働争議(東洋時計上尾争議)が勃発し、1名が死亡、100名以上[6]が負傷する。

後に東洋時計は事業を停止する。

オリエント時計株式会社[編集]
1950年(昭和25年) - 南多摩郡日野町にて設立される。当時の社名は多摩計器株式会社。東洋時計の日野工場を借り受け、腕時計などの製造を始める。
1951年(昭和26年) - 社名を変更し、オリエント時計株式会社となる。機械式腕時計「オリエントスター」発売。
1952年(昭和27年) - 借り受けていた日野工場が公売にかけられたため、これを落札して自社所有とする。
1953年(昭和28年) - 本店を中央区へ移転する。
1956年(昭和31年) - 本店を千代田区へ移転する。
1961年(昭和36年) - 東京証券取引所第2部に上場する。
1976年(昭和51年) - イメージキャラクターに千葉真一を起用したCMや広告を展開し始める。
1978年(昭和53年) - 東京時計製造株式会社の株式を過半数取得し、子会社とする。
1981年(昭和56年) - 子会社として羽後時計精密株式会社(後の株式会社ユーティーエス)を設立する。
1984年(昭和59年) - 東京時計製造を清算する[7]。
同年 - セイコーエプソン株式会社との合弁により株式会社ソーテックを設立[8]し、IC組立事業に進出する。
1986年(昭和61年) - 子会社として秋田オリエント精密株式会社を設立する。
1997年(平成9年) - セイコーエプソン株式会社に対する第三者割当増資を行い、同社が筆頭株主となる。
1998年(平成10年) - 株式会社ソーテックをセイコーエプソン株式会社へ譲渡する。
2001年(平成13年) - 本社を千代田区の本店所在地へ移転し、日野事業所から撤退する。
2001年(平成13年) - セイコーエプソン株式会社に対する第三者割当増資を行い、52%の株式を取得した同社が親会社となる。旧日野事業所は同社が引き取った。
2003年(平成15年) - 3期連続で債務超過の状態が続いたため、東証2部を上場廃止となる。グリーンシート銘柄として登録される。
2008年(平成20年) - セイコーエプソン株式会社が株式公開買い付けを実施。
2009年(平成21年) - セイコーエプソン株式会社の機能子会社となる。グリーンシート銘柄登録取消、および上場廃止。
2017年(平成29年)4月1日 - 販売部門はエプソン販売へ、その他部門はセイコーエプソンに統合され、法人としてのオリエント時計は事実上解散した。これにより法人としてのオリエント時計は1950年の発足から66年9か月の歴史に幕を下ろすこととなった。

関連企業[編集]

一部のみを記載する。

秋田オリエント精密株式会社(現・秋田エプソン株式会社)[編集]

オリエント時計の子会社であった。かつては腕時計用ムーブメントなどを生産していたが、後にプリンタ部品、水晶振動子の加工、組立が主たる事業となった。2009年(平成21年)4月1日、オリエント時計からセイコーエプソンへの株式譲渡により、エプソンの直接子会社となった。同日付けで秋田エプソン株式会社に商号変更。本社は秋田県湯沢市。

沿革[編集]
1986年(昭和61年) - 設立される。
1999年(平成11年) - 株式会社ユーティーエスから時計事業を譲受する。
2003年(平成15年) - オリエント時計へ時計事業を譲渡する。
2009年(平成21年) - 秋田エプソン株式会社に商号変更。

株式会社ユーティーエス[編集]

オリエント時計の子会社である。シリコンウェハーの加工を主たる事業としている。かつては腕時計の地板、ケース、バンドなども生産していた。本社は秋田県雄勝郡羽後町。

沿革[編集]
1981年(昭和56年) - 羽後時計精密株式会社として設立される。
1986年(昭和61年) - 社名を変更し、株式会社ユーティーエスとなる。
1999年(平成11年) - 秋田オリエント精密株式会社へ時計事業を譲渡する。

脚注[編集]

[ヘルプ]
1.^ 東洋経済新報社『会社四季報 未上場会社版 2007年下期』には「オリエントどけい」と記載されている。一方、日本経済新聞社『会社総鑑 2005年版 上巻 未上場会社版』 ISBN 978-4-532-21065-6 などには「おりえんととけい」と記載されている。
2.^ 森年樹『国産腕時計(11) オリエント』トンボ出版、1999年、25頁より。機械式腕時計のムーブメントで(本来は軸受として)使われる宝石個数が時計のグレード評価目安になっていた1960年代、実用上20石台で十分なところ、装飾以外の意味がない石まで大量に埋め込んだ「100石」「64石」という相当に異様な仕様の高級腕時計「グランプリ」を送り出した(当時のセイコー、シチズンでも最多で39石程度だった)。
3.^ 1960年代後期に発売されたダイバーズウォッチ「キングダイバー1000」は1000m防水を称した製品だが、ケースこそ二重構造であるものの、通常の大深度用防水腕時計に使われているねじ込み式竜頭を採用しておらず、実際に1000m防水の性能があったのか疑問視されている。
4.^ アナログ腕時計のダイヤル面に1ヶ月分の日付表を印字し、窓開けした曜日パネルを回転させることで簡易に万年カレンダーとして機能させるモデル(通称「万カレ」)は、古くから2014年時点に至るまで同社の代表的な名物シリーズである(ダイヤル面のデザインは良くも悪くもきわめてアンバランスなものとなる。他メーカーで真似する事例はほとんどない)。以上のように、あまりに個性的で珍品じみた製品が多いのも特徴である。
5.^ セイコーエプソン. “オリエント時計の事業再編に関する検討開始について”. 2016年10月3日閲覧。
6.^ ただし負傷者数は、当事者発表の人数を足し合わせたもの。法政大学大原社会問題研究所編著『日本労働年鑑 第22集』より。
7.^ 『日経産業新聞』1984年4月14日6面、1984年11月19日9面、1985年1月7日9面より。ただし、オリエント時計株式会社 有価証券報告書には、1983年(昭和58年)に清算された旨が記載されている。
8.^ 株式会社ソーテックは1984年(昭和59年)12月に日野市で設立された。1984年(昭和59年)4月に横浜市で設立されたパソコン専業メーカー「株式会社ソーテック」とは異なる企業である。

参考文献[編集]
オリエント時計株式会社 第83期 有価証券報告書、2008年。
オリエント時計株式会社 第54期 有価証券報告書総覧、大蔵省印刷局、1979年。
森年樹『国産腕時計(11) オリエント』トンボ出版、1999年、25-26頁。ISBN 978-4-88716-107-8

関連項目[編集]

ウィキメディア・コモンズには、オリエント時計に関連するカテゴリがあります。
東京時計製造
セイコーエプソン - 2017年3月末までの親会社

外部リンク[編集]
オリエント時計 - セイコーエプソン株式会社

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ポール・スミス





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曖昧さ回避 「ポール・スミス」のその他の用法については「ポール・スミス (曖昧さ回避)」をご覧ください。



この存命人物の記事には検証可能な出典が求められています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2010年2月)


ポール・スミス
Sir Paul Smith

Designerpaulsmith.jpg
ポール・スミス


誕生
1946年7月5日
イギリスの旗、イギリス・ノッティンガム

職業
ファッション・デザイナー

国籍
イギリスの旗

主な受賞歴
パリ市ヴェルメイユメダル、
テンプレートを表示

サー・ポール・スミス(Sir Paul Smith、1946年7月5日 - )は、イギリス・ノッティンガム出身のファッションデザイナー、また彼の持つファッションブランドである。



目次 [非表示]
1 来歴
2 ブランド 2.1 ブランドの各ライン
2.2 ブランドの沿革

3 ポール・スミスと日本 3.1 店舗

4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク


来歴[編集]

少年時代は自転車競技のレーサーを目指していたが、不慮の事故により挫折した。17歳の時にアートスクールの学生と親しくなり、芸術の世界に魅せられたことが現在の仕事のきっかけとなる。1966年後の夫人で公私共に大切なパートナーとなるロイヤルカレッジオブアートのテキスタイル教師で芸術家のポーリーンと出会う。

1970年ノッティンガムに最初の店を開く。当初はマーガレット・ハウエル、ケンゾーなどの商品を取り扱っていたが、徐々に自らの名を冠した商品も取り扱い始める(この店はロンドンのジョゼフ、ロサンゼルスのマックスフィールドと共に最も早くマーガレット・ハウエルを取り扱った店の一つで、デザイナーのマーガレット・ハウエルとは旧友である。)。

1976年初めてのショーをパリで開催。以降、毎シーズンパリでメンズウェアの新作コレクションを発表している。1980年ニューヨークデザイナーズコレクティブにパリのマルセル・ラサンスなどと共に招聘される。

1984年日本に進出。南青山の骨董通りに路面店を構える。それ以前にも日本では大阪のナカガワクロージング、東京のインターナショナルギャラリービームスなどの専門店で取り扱われていたが、伊藤忠商事との契約に基づき正式に進出したのはこの年からである(同時期に骨董通りにメンズウェアの店を構えたコム・デ・ギャルソンの川久保玲とは親しく、来日の際などにたびたび川久保や青山の店を訪ねるという。日本進出の際には、ラルフ・ローレンなどがあるフロアとコム・デ・ギャルソンなどがあるフロアのどちらに自社の服を置くかで悩んだそうである。)。

1987年ニューヨーク5番街に路面店を構え、ヤッピーと呼ばれた若いエリート層の間で一種のステイタスシンボルとなる。この店の成功は、後に付近のエリアに進出したアルマーニの出店にも影響を与えた。

1991年英国産業デザイナー賞を受賞。1994年エリザベス2世女王より大英帝国勲章(CBE)に叙勲される。

1997年トニー・ブレア首相就任の際に親任式のスーツを担当する(以後、ブレア首相退任までの10年間の長きに渡り公務のスーツを担当した。)。同年、友人でもあるヴァージングループ会長リチャード・ブランソンらと共にブレア政権下の「クリエイティブ産業タスクフォース」のメンバーに選ばれ、クール・ブリタニアムーブメントの一翼を担う。

1998年ロンドンの高級住宅街ノッティングヒルに、念願であった邸宅を改装しビスポーク(注文服)のアトリエを併設した旗艦店「ウエストボーンハウス」を開店。2000年ファッションデザイナーとしてはハーディ・エイミスに続き2人目となるエリザベス女王からサーの敬称で呼ばれるナイトに叙勲される。

“ひねりのあるクラシック”をスローガンとする彼の服飾は伝統的な技術、仕立てと遊び心が共存する個性的なもので、ブランドのシンボルともなっている色鮮やかなストライプ柄や花柄、写真などのプリント技術を応用してメンズウェアに逸早く取り入れるなど、軽やかで色鮮やかな素材や仕立てを伝統的なものに取り入れ、融合させることにより、ジーンズとTシャツに代表されるカジュアルファッションの勢いに押されて低迷しつつあった、ともすれば古色蒼然とした堅苦しい印象を与えがちであった英国の伝統的なメンズウェアに、モダンなファッションアイテムとしての新たな価値を見出すと同時にスーツをはじめとする英国の伝統的なメンズウェアの良さを世界に再認識させた。

彼の感性は服飾の分野にとどまらず、早くから異業種のトム・ディクソンやダイソンなどを取り扱ったり、1995年にファッション・ブランドとして逸早くウェブサイトを開設したり、1998年にはFIFAワールドカップフランス大会イングランド代表チームの公式スーツやローバーの小型車「ミニ」の内外装を手がけるなどして話題となった。2008年からはマンチェスター・ユナイテッドFCの公式スーツを担当している。2011年には映画「裏切りのサーカス」にクリエイティブコンサルタントとして参加。古くから映画やテレビドラマとは衣裳などを通して関わりがあり、メジャーなハリウッド作品からデレク・ジャーマンのエドワード IIのようなカルト作品まで幅広い。2012年にはジョン・ロブやライカとの協業が行われた。

後のイェーガー会長で英国ファッション協会会長のハロルド・ティルマンに見出され、ノッティンガムで自身の店を経営するかたわら、ロンドンの高級専門店ブラウンズのコーディネーター兼デザイナーに就任して3年間同社の買い付けとデザインを担当することから本格的なファッション業界でのキャリアをスタートさせ、膨大なアイデアを書き留めたメモを元に言葉でデザインを伝えて服の製作を行うなど、いわゆる一般的なファッションデザイナーとは異なったタイプの非常に社交的でユーモアセンスにあふれ、かつ、謹厳実直さや礼儀正しさも併せ持つ優れたビジネスマンであり、独創的な店舗の建築デザインへの功績から2007年に英国王立建築家協会(RIBA)の名誉会員に選出されるなど、多才なアイデアマンである。2011年に長年の英国ファッション業界への商業・クリエイティブ両面での貢献から英国ファッション大賞アウトスタンディング・アチーブメント賞を受賞。2012年に長年のパリ・コレクション参加などパリ市への貢献からパリ市ヴェルメイユメダルを受章。

また、ドリス・ヴァン・ノッテン、アレキサンダー・マックイーンなどをデビューからバックアップするなど、後進の育成にも熱心で、彼らやキーン・エトロなどのよき理解者であり、その人柄から「ダディオブファッション」と呼ばれたりもしていた。2007年から2008年にかけてウールマークの新人デザイナー育成プロジェクトをカール・ラガーフェルドやドナテラ・ヴェルサーチらと共に担当したり、ロイヤルカレッジオブアートでファインアートを専攻する学生とノッティンガム・トレント大学で服飾とグラフィックデザインを専攻する学生とを対象にしたポール・スミス奨学金を設けたりしている。

彼の服はデヴィッド・ボウイ[1]、ポール・ウェラーなどのミュージシャン、オスカー授賞式でビスポークスーツを着用したダニエル・デイ=ルイスやゲイリー・オールドマンなどの俳優、画家のデビッド・ホックニーや写真家のマリオ・テスティーノなどの芸術家、デービッド・キャメロン首相やイングランド銀行総裁のマーヴィン・キングなどの政財界人、ダイアナ妃などの王侯貴族、デビッド・ベッカムなどのスポーツ選手、日本では角川春樹や松田翔太など、数多くの著名人に愛用されている。

ブランド[編集]

ブランドの各ライン[編集]
Paul Smith(メンズ、レディス)
メインライン(Main line)と呼ばれるファーストライン。メンズはパリ・コレクション、レディスはロンドン・コレクションで発表されるプレタポルテ。メンズ、レディス共に海外ではイタリア製が中心だが、メンズにおいてランウェイで披露される服に代表されるデザイン性の高い、精緻な縫製技術が必要とされるものの中には日本で縫製された製品が広く導入されている。Bespoke Service(メンズ、レディス)
ポール・スミスの旗艦店であるウエストボーンハウス店に併設されているテーラーなどの技術者が常駐するテーラリングルームと呼ばれるアトリエにて製作されるビスポーク(注文服)のライン。ロンドンの金融街シティにあるロイヤルエクスチェンジ店でもこのサービスの予約をすることができる。2008年にはニューヨークの旗艦店に技術者が渡航して注文会が行われた。ポール・スミスの故郷ノッティンガムの旗艦店でも主に地元の顧客を対象に同種の試みが行われている。Paul Smith COLLECTION
日本限定のプレステージライン。ハイクオリティ、ハンドメイドフィーリング、アーティスティックフィーリングの3つのコンセプトを体現するラグジュアリーなメンズウェア。発足当初は海外のイギリス製のメインラインより更に上質な服を提供するイタリア製中心のラインとしてハロッズなどの限られた店舗で展開されていた。日本においても当初はイタリア製中心であったが、現在は日本製中心で日本限定での展開となっている。海外ではメインライン自体がイタリア製中心になっていったことや、ビスポークのラインが更に上質な服を求める顧客のニーズに対応していることもあり、現在は展開されていない。Individual Order
Paul Smith COLLECTIONに併設されている注文服(パターンオーダー)のライン。Paul Smith LONDON
ロンドンライン(London line)と呼ばれるビジネスシーンでの着用を想定したスーツを中心としたメンズウェアのライン。世界都市における主要なデザイナーズブランドのビジネススーツのレーベルの一つとして広く知られている。The British Collection Paul Smith
Paul Smith LONDONの中でも特に英国的な素材や仕立てに拘ったライン。2013年からロンドン・コレクション:メンに参加し、新作が展示会形式で発表されるようになった。ヨークシャーの生地工場クリソルド社との協業を開始。Paul Smith Exclusive
ニューヨークのバーニーズ・ニューヨーク限定のメンズウェアのライン。アメリカ市場においてメインラインとロンドンラインの中間に位置する。ビジネススーツのレーベルというよりは、メインラインをバーニーズ・ニューヨーク向けにリファインしたようなテイストのデザインが特徴。Paul Smith BLACK
ビジネスシーンでの着用を想定したレディスウェアのライン。PS Paul Smith
カジュアルウェアを中心としたメンズウェアのライン。Paul by Paul Smith
カジュアルウェアを中心としたレディスウェアのライン。Paul Smith JEANS
ジーンズを中心としたメンズのカジュアルウェア。RED EAR
Paul Smith JEANSの中でも特に日本製の高品質なジーンズに拘ったライン。Paul Smith JUNIOR(ボーイズ、ガールズ)
子供服のラインR.NEWBOLD
ポール・スミスの服の一部を製作していた100年以上の歴史を誇るR.NEWBOLDというファクトリーが廃業するのを惜しんだポール・スミスが、そのファクトリーを買い取ったことに端を発するカジュアルウェアのブランド。
ブランドの沿革[編集]
1970年 - 初の店をノッティンガムにオープン
1974年 - バーニーズ・ニューヨークに初めてシャツを販売
1976年 - パリで初めて「ポール・スミス」を発表
1979年 - コベントガーデンにロンドン一号店オープン
1984年 - 青山店オープン
1987年 - ニューヨーク店オープン
1989年 - ハロッズ史上初のコーナー展開による単独店をオープン
1991年 - 渋谷に旗艦店オープン
1993年 - レディスライン「ポール・スミス ウィメン」を発表
1993年 - パリ店オープン
1998年 - ノッティングヒルに旗艦店「ウエストボーンハウス」オープン
1998年 - 「ウエストボーンハウス」にてビスポークサービス開始
2000年 - 香水ブランド「ポール・スミス パルファン」を発表
2001年 - ミラノ店オープン
2005年 - 故郷ノッティンガムに旗艦店オープン
2005年 - ロサンゼルス店オープン
2006年 - 青山に旗艦店「ポール・スミス スペース」オープン
2006年 - ニューヨークのグリーン・ストリートに旗艦店オープン
2006年 - モスクワ店オープン
2006年 - パリの最高級ショッピングエリアであるサントノーレ通りに旗艦店オープン
2007年 - イスタンブール店オープン
2007年 - ヨハネスブルグ店オープン
2007年 - サンクト・ペテルブルグ店オープン
2008年 - ニューデリー店オープン
2008年 - アントワープ店オープン
2009年 - バーニーズ・ニューヨーク限定のPaul Smith Exclusive発表
2009年 - サンフランシスコ店オープン
2009年 - ラスベガスの最高級ショッピングモールであるクリスタルズにラスベガス店オープン
2010年 - 丸の内にメンズの旗艦店オープン
2010年 - 子供服のライン「ポール・スミス ジュニア」発表
2011年 - ソウルに旗艦店オープン
2012年 - アムステルダム店オープン
2012年 - メルボルン店オープン
2012年 - 丸の内店にレディスフロアを増床しリニューアル
2013年 - 「ポール・スミス ジュニア」六本木ヒルズ店オープン
2013年 - 北京に旗艦店オープン
2013年 - ロンドン・コレクション:メンにロンドンラインのThe British Collectionが参加
2013年 - ロンドンのアルバマールストリートに旗艦店オープン

ポール・スミスと日本[編集]

Edit-find-replace.svg この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2013年11月)

日本でのポール・スミスは伊藤忠商事がマスターライセンシーとなり、メンズウェアは伊藤忠商事の事業会社であるジョイックスコーポレーション、レディスウェアはオンワード樫山の二社を中心としたサブライセンシーによってライセンスブランドとして展開されている。海外ではメンズウェアはポール・スミスリミテッド、レディスウェアはオンワード樫山のイタリア現地法人ジボ・コー(Gibo' Co. spa )が製造販売を行っている。

海外で販売されているメンズウェアはかつては主にイギリス製であったが、イギリスの既製服産業の衰退によって90年代以降は徐々にイタリア製のスーツなど重衣料に他国での製造が増え、イギリス、イタリア、ベルギー、ポルトガル、インド、中国などの製品が並存しており、日本からはRED EARのジーンズが輸出されていたが、2006年にはメインラインに日本製の重衣料が導入され、日本製のスーツなどが販売されている。現在ではイギリス製品は生地以外ではビスポーク(注文服)、ニットなど僅かな既製服、靴などに限られてきている。日本ではメンズウェアは主にイタリア製やイギリス製などの輸入生地や日本製の生地を用いて、日本で海外と同じデザインで日本向けのサイズ規格でスーツなど重衣料の製造を行っている。海外同様イギリス、イタリア、インド、中国、ベトナムなどの製品が並存している。それとは別にポール・スミス スペースなどの旗艦店では一部直輸入の海外向けのサイズ規格の製品も販売されている。レディスウェアはイタリア、中国、日本などの製品が並存。海外・日本ともに同一企業による製造販売のため双方の違いがメンズウェアよりも小さくなっている。

海外でのポール・スミスが主に路面店と高級専門店への卸を軸にラグジュアリー市場を想定したミドルエイジ中心の展開(近年のプレタポルテのラグジュアリー化などの影響もあり総じて日本よりも高価である。)であるのに対し、日本でのポール・スミスが主に百貨店のインショップ展開とフランチャイズ契約を軸とした、アッパーミドル層の中でも特に若年層を意識した展開であるなど、双方に隔たりがあるのは、海外との消費傾向の違いやデザイナーズブランドそのものに対する認識の違いもあるが、多店舗展開でオンシーズンのセールを行わずにスーツの販売価格を下げるなどのローカライズ展開を長年行ってきた伊藤忠商事によるブランディングの影響が大きい。なお、伊藤忠商事は2005年にポール・スミスグループホールディングスの株式を40%取得して経営に参画している。伝統的に繊維に強く、世界の一流生地メーカーにウールを提供するグループ企業をオーストラリアに所有するなど、ポール・スミスリミテッドの世界戦略上の重要なパートナーでもある。

店舗[編集]

直営店・FC・卸を含め世界70カ国以上に進出し、数多くの販売拠点を持つが、以下都内路面店のみの記載とする。
ポール・スミス スペース 東京都渋谷区神宮前5-46-14
ポール・スミス 丸の内店 東京都千代田区丸の内3-3-1 新東京ビル1F
ポール・スミス コレクション 青山店 東京都港区南青山6-3-10
ポール・スミス 渋谷店 東京都渋谷区神宮前6-18-13
ポール・スミス ジーンズショップ 東京都渋谷区神宮前5-17-5
ポール・スミス ジーンズ 代官山店 東京都渋谷区猿楽町19-4 CUBE代官山B棟1F
ポール バイ ポール・スミス 代官山店 東京都渋谷区猿楽町26-13

関連項目[編集]

ウィキメディア・コモンズには、ポール・スミスに関連するカテゴリがあります。
パリ・コレクション
ロンドン・コレクション

脚注[編集]

1.^ ポール・スミスが友、デヴィッド・ボウイへの哀悼の意を込めたエキシビション開催 MEN'S CLUB、2016.04.01

外部リンク[編集]
Paul Smith (英語)
Paul Smith (日本語)
Paul Smith BLOG(FIGARO.jp) (日本語)




カテゴリ: イギリスのファッションブランド
イギリスのファッションデザイナー
ノッティンガム出身の人物
1946年生
存命人物






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タイメックス





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Timex Group USA, Inc.

Timex Group logo.svg

種類
子会社

市場情報
非上場

略称
TIMEX,タイメックス

本社所在地
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
コネチカット州 ミドルベリ

設立
1854年

業種
精密機器

事業内容
時計製品の製造・販売

代表者
Cindy Livingston,Paolo Marai (CEO)

従業員数
5000人以上(全世界)

所有者
Timex Group B.V.

外部リンク
www.timex.com
テンプレートを表示

タイメックス(Timex)は、アメリカのコネチカット州に本社を置く時計メーカー。

一般人でも手に入る時計を作るべきだというコンセプトからはじまり、高級ラインからアウトドア用など総合的なラインナップを備えるが、大衆向けの実用モデルを主として生産する。

21世紀初頭時点では、アメリカに実質的な本拠を置くほぼ唯一の時計メーカーとなっている。アメリカ合衆国にはかつて多くの高級時計メーカー・ブランドが存在したが、スイスや日本との競合で敗退、1960-1980年代までに消滅するか他国にブランドを買収されてしまった。タイメックスは唯一米国内に残存した米国系ブランドであるため、自国産を重視する見地から大統領や著名人に多数愛用者がいる。



目次 [非表示]
1 歴史 1.1 懐中時計時代~「ダラー・ウォッチ」
1.2 インガーソル・ウォーターベリー成立と「ミッキーマウス・ウォッチ」
1.3 第二次大戦後の「タイメックス」

2 逸話
3 製品
4 外部リンク


歴史[編集]

タイメックスの歴史には2つの系統がある。ウォーターベリー社(クロックとウォッチ)、インガーソル社である。この両系統が複雑に絡み合っている。

懐中時計時代~「ダラー・ウォッチ」[編集]

1854年、「ウォーターベリー・クロック・カンパニー」(Waterbury Clock Company)がコネティカット州ウォーターベリーで創業。当初は置時計・掛け時計の生産を行っていたが、1877年から懐中時計の生産に着手、1880年には懐中時計部門として別会社の「ウォーターベリー・ウォッチ・カンパニー」(Waterbury Watch Company)が設立された。ウォーターベリーの生産方針は、当時のアメリカで進んでいた大量生産への指向であった。

1881年にニューヨークでインガーソル兄弟によって創立されたインガーソル(Ingersoll)は、アメリカで19世紀後期から勃興していたカタログ通信販売ビジネスを行う企業だったが、1892年からウォーターベリー・クロック(ウォッチ社ではない)に生産を委託し、大量生産による廉価型懐中時計「ユニバーサル」を売り出して成功を収めた。1894年のインガーソルによるウォーターベリー・クロックへの時計発注は50万個に及んだという。

そしてインガーソルから1896年に発売された懐中時計「ヤンキー」は、「ダラー・ウォッチ」の通称のとおり、1ドルという当時としても極めて低価格を実現した。文字盤は紙に印刷して糊付け、内部は簡素なピンレバー式脱進機構で、軸受けにはルビーなどの宝石を一切使わない「0石」の粗製品ではあったが、最低限の実用性と圧倒的低価格を両立させたのである。「ヤンキー」は1898年には年間100万個を売り、当時の大ヒット製品となった。

インガーソルは1905年に自社のイギリス工場を設立して「ダラー・ウォッチ」の現地組み立てを開始、こちらではやはり低価格の「5シリング時計」として成功した。この工場は1930年にイギリス企業に売却されている。

一方、ウォーターベリー・ウォッチは1880年代後期に量産路線で大いに成功を収めたが、1890年代になると経営不振に陥り、1898年にニューイングランド・ウォッチ(New England Watch Company)として再建される。同社は高価格帯へのシフトを図ったものの成功せず、1912年に倒産して操業停止した。

インガーソル・ウォーターベリー成立と「ミッキーマウス・ウォッチ」[編集]

インガーソルはウォーターベリー・クロックへの外注生産を脱するため、倒産した時計会社のトレントン・ウォッチ(Trenton Watch Company)を1908年に買収し「インガーソル・ウォッチ・カンパニー」としてアメリカ本国における時計の自社生産を開始した。続いて1914年には倒産したニューイングランド・ウォッチも買収、1916年には日産16,000個の時計生産能力を備え、懐中時計・腕時計を扱う、低価格時計メーカーとしての規模を拡大する。第一次世界大戦でのアメリカ軍用時計納入にも参加、この過程でラジウムを利用した夜光時計を発売している。

しかし相次ぐ拡大路線に相反し、第一次大戦後のインガーソルは経営難に陥り、1921年に自社も倒産してしまった。これを1922年に買収したのはインガーソルのもとの外注先でニューイングランド社のかつての母体であったウォーターベリー・クロックで、結局会社は「インガーソル・ウォーターベリー」として以後も「インガーソル」ブランドでの時計生産を続けた。

1930年にウォルト・ディズニーとライセンスを結び、1933年に世界初の「ミッキーマウス・ウォッチ」を発売。余剰軍用時計の放出品にミッキーマウスの文字盤を組み合わせた低コストなキャラクター・ビジネスが当たって大ヒットし、大不況下で苦しかった経営を立て直した(タイメックスの日本進出後、同様な日本国内の企画としてムーミンや、カリメロ、フランダースの犬といったキャラクター・アイテムが制作されたこともあり、日本国内のみで販売された)。高級時計メーカーでは考えられないような種類の企画であったが、以後の様々なキャラクタービジネスの先駆例と言える。

1940年、第二次世界大戦によるドイツのノルウェー侵攻に伴い、ノルウェーの大手海運企業フレッド・オルセン社の社主トーマス・オルセンはアメリカに逃れた。オルセンは1941年にインガーソル・ウォーターベリーの経営権を獲得し、自身は会長職に就いたうえで、やはりノルウェーの政治家・実業家であったヨアキム・レームクール(Joakim Lehmkuhl)をインガーソルの社長職に就任させた。レームクールは1974年までインガーソルの経営トップを務めた。

アメリカの第二次世界大戦参戦後は、軍用時計生産のほか、他の時計メーカーと同様に技術力を活かした兵器部品の生産にも携わった。1942年からは時限信管の製造を開始し、連合軍に対する主要供給者となっている。1944年に会社名はユナイテッド・ステーツ・タイム(United States Time Corporation, USタイム)となっている。

第二次大戦後の「タイメックス」[編集]

USタイムはスイスを発祥とする時計メーカーのブランド名であったタイメックス(TIMEX)を買収、第二次世界大戦後の1950年から自社ブランドとした。インガーソルは市場において過去半世紀以上も「ダラー・ウォッチ」に代表される低価格時計の代名詞となっており、販売戦略上不利と考えられたためである。

ヨアキム・レームクールは、戦後の「タイメックス」ブランド発足に際して、単なる大衆時計に留まらない、丈夫で信頼性の高い実用腕時計という販売戦略を採った。合理化設計によって、「ダラー・ウォッチ」同様に軸受の宝石を減らして特殊合金で代替するなどの策を用いつつ、防水機能や耐衝撃機能も組み込み、低価格と頑丈さを両立させた。さらにその頑丈さをPRするため、1950年代には"It take a licking and keep on ticking" のフレーズで「手荒に扱われても動き続ける」ことをアピール、タイメックスの時計をダイビング投入や食器洗浄機投入、電気掃除機に吸い込ませる、モーターボートのスクリュープロペラに括り付けて水中で回すなど、数々の荒っぽい「拷問」にかけて宣伝した。

タイメックスの低価格・質実剛健路線は、高級時計を売りたい宝飾店からは受けが悪かったが、一方でデパートはもとより、ドラッグストアから小さな煙草スタンドのような、従来は腕時計の小売場所と考えられていなかった販売チャネルを開拓することに成功した。

時流に遅れることなく、当時の先端技術であった電池式腕時計も発売。アメリカの高級時計メーカー各社が続々と実質的消滅に追い込まれてブランド売却に至る中で、大衆時計メーカーとしての地力を活かし、アメリカ資本の独立メーカーとして生き残った。1969年には社名もブランド名の「タイメックス」(TIMEX)に変更。翌年にはマルマンを代理店として日本に進出した。

ベトナム戦争時においては「ディスポーサブルウォッチ」と呼ばれる簡素な軍用腕時計を大量生産し、アメリカの各軍に納入している。

1970年代のクォーツショックと日本メーカーの急激な伸びにおされ、70年代から80年代にかけては苦しい経営状態が続いたが、市場に踏み止まった。1986年に現在まで続くスポーツウォッチシリーズであるアイアンマン(IRONMAN)を発売。1992年には文字盤全面が発光する機能の「インディグロナイトライト」を搭載した時計を発売した。現在タイメックス社の時計の約75%以上がこのインディグロナイトライト機能を搭載している。現在ではアイアンマンシリーズ、アウトドア用のエクスペディションシリーズの他に、キャンパー、ウェークエンダー、サファリシリーズなどの三針クォーツウォッチ等を中心に販売している。

逸話[編集]

1980年代以降も正式に存続している唯一のアメリカブランドの腕時計であることから、高級腕時計でないにも関わらず、国産ブランド愛用のアピール目的にビル・クリントン(就任演説で着用)をはじめ、ジョージ・W・ブッシュなどのアメリカの有名人や政府の要人が度々着用していることで知られている。

また一時、アメリカ合衆国を敵視している国際テロ組織アルカーイダのウサーマ・ビン=ラーディンもタイメックスを着用していることが報じられ、意外さで話題になった。

製品[編集]





アイアンマン 8LAP






データリンク 150






デプス ゲージ






ウィークエンダー






ウィークエンダーに搭載されたインディグロナイトライト


外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、タイメックスに関連するカテゴリがあります。
TIMEX




カテゴリ: ミリタリーウォッチメーカー
アメリカ合衆国の時計メーカー
腕時計



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ブライトリング





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ブライトリング・ジェットチームのL-39
ブライトリング(Breitling Montres S.A. )はスイスの腕時計メーカーである。

コクピットウォッチ、クロノグラフ、ストップウォッチを主力として来た結果航空業界とのつながりが強く、無着陸世界一周を初めて成功させたブライトリング オービター 3などの航空イベントやイブ・ロッシーら航空関係者を支援する他、自社でも複数の飛行チームを編成している。



目次 [非表示]
1 チーム 1.1 ブライトリング・ジェットチーム
1.2 ブライトリング・ウィングウォーカーズ
1.3 ブライトリング・レーシングチーム

2 略歴
3 代表モデル
4 クラブ・ブライトリング
5 その他
6 関連項目
7 脚注
8 外部リンク


チーム[編集]





ブライトリング・ウィングウォーカーズ(2011年)




MXS-Rを操縦するナイジェル・ラム
下記以外にも体験搭乗やデモ飛行用にエクストラ社製のEA-300などを有し、スポンサードするパイロットに貸し出している。

ブライトリング・ジェットチーム[編集]

民間最大規模となる7機のジェット機による曲技飛行隊。L-39を利用している。

ブライトリングはスイスのメーカーであるが本拠地はフランスであり、パイロットもパトルイユ・ド・フランス出身者が中心。

ブライトリング・ウィングウォーカーズ[編集]

飛行中のボーイング・ステアマン(複葉機)の上部主翼に固定された女性ダンサーがパフォーマンスを披露する。

ブライトリング・レーシングチーム[編集]

2009年に結成したレッドブル・エアレース・ワールドシリーズに参戦するエアレースチーム。

ナイジェル・ラムとフランソワ・ルボットがパイロットを務める。

ブライトリングはレッドブル・エアレース・ワールドシリーズのオフィシャルタイムキーパーでもある。

略歴[編集]





コスモノートを身につけたスコット・カーペンター1860年1月26日 - 創業者レオン・ブライトリング(Leon Breitling )がサンティミエ(Saint-Imier )にて産まれる。
1884年 - レオン・ブライトリングが時計工房「G. レオン・ブライトリング」(G.Leon Breitling )を開いた。
1884年 - レオン・ブライトリングに息子ガストン・ブライトリング(Gaston Breitling )が産まれる。
1892年 - ラ・ショー=ド=フォンのモンブリラン(Montbrillant )通りに移転し「レオン G.ブライトリング」(Leon G. Breitling S.A. Montbrillant Watch Manufactory )に改名。
1914年8月14日 - レオン・ブライトリング死去。ガストン・ブライトリングが後を継ぐ。
1915年 - レマニア製の16リーニュ 懐中時計用クロノグラフムーブメントを搭載した腕時計を製造。
1927年7月30日 - ガストン・ブライトリング死去、1932年まで社長不在となる。
1932年 - ガストン・ブライトリングの息子ウィリー・ブライトリング(Willy Breitling )が後を継ぐ。
1939年 - イギリス空軍が大量のコクピットクロックを発注。
1942年 - 対数表記の四則演算用の回転計算尺を付けたクロノグラフ、初代「クロノマット」発売。
1952年 - 航空航法用の回転計算尺を付けたクロノグラフ、初代「ナビタイマー」発売。工場をラ・ショー=ド=フォンに残したまま本部をジュネーヴに移転。
1962年 - マーキュリー計画のミッションMA7でオーロラ7号の乗組員スコット・カーペンター(Scott Carpenter )の私物としてコスモノートが宇宙に行った。
1969年3月3日 - ホイヤー・レオニダス(Heuer-Leonidas 、現タグ・ホイヤー)、ハミルトン・ビューレン(Hamilton-Buren 、現ハミルトン)、デュボア・デプラとの4社共同で腕時計用自動巻クロノグラフキャリバー「キャリバー11」(Caliber 11 )を開発、発表。
1975年 - クロノマットにクォーツモデル発売。
1976年 - ナビタイマーにクォーツモデル発売。
1978年 - ブランドをMontres Sicura SAの経営者、アーネスト・シュナイダー(Ernest Schneider )に引き継ぐ契約を交わす。[1]同年、ナビタイマーに発光ダイオードモデル発表。
1979年 - ウィリー・ブライトリング、会社の閉鎖を決定。8月に閉鎖。同年ウィリー・ブライトリング死去。[2]
1982年 - アーネスト・シュナイダーがブライトリング・ジュネーブ(Breitling Genève SA )を設立。[3]Montres Sicura SAの本社工場を改装して、ブライトリングの本社とする。[4]
1983年 - Montres Sicura SAがBreitlingを商標として登録。[5]
1984年 - イタリア空軍の要請に基づき、「クロノマット」の新モデルを発表。
1985年 -「エアロ・スペース」、「オールド・ナビタイマー(手巻)」発表。翌年、自動巻きモデルが発表される。
1993年 - Montres Sicura SAの社名をBreitling AGに変更。[6]
1994年 - アーネスト・シュナイダーの息子セオドア・シュナイダーがCEOに就任。
1997年 - クロノグラフ等複雑系ムーブメントの製造会社であるKELEKを子会社化。[7]
1996年 - 初代クロノマットのデザインを踏襲した「モンブリラン」発表。
1999年 - 全モデルに搭載されるムーブメントの100%クロノメーター化を宣言。
2000年 - KELEKの社名をBREITLING CHRONOMETRIE SAに変更。(KELEK時代とBREITLING CHRONOMETRIE時代で住所に変更なし。[8][9])
2003年 - ベントレーのル・マン復帰に際し、パートナー契約締結。Breitling for Bentleyシリーズ発表。コンチネンタルシリーズの内装にブライトリングデザインのアナログ時計が据えられる。
2009年 - ブライトリング初の完全自社開発・自社製造ムーブメント「キャリバー01」を発表。モデルチェンジしたクロノマットに搭載し発売。自社製キャリバーの開発・製造のために工場「クロノメトリー (BREITLING CHRONOMETRIE)」の南側に新工場を増設した。
2013年5月 - 2012年秋の中国・珠海のエアショー・チャイナへの参加で始まったワールドツアーの一環として、ブライトリング・ジェットチームが来日し、アメリカ海兵隊岩国基地フレンドシップデーと小名浜港でフルショー、神戸港KOBEメリケンフェスタとふくしまスカイパークでフラットショー、横浜港と福島県内各地でフライバイが計画されたが、米国の歳出強制削減によってフレンドシップデー自体が中止になった。小名浜港、横浜港のフライトと福島県内各地の一部のフライトは天候悪化のため中止になった。[1]

代表モデル[編集]
クロノマット(Chronomat 、1942年発売) - 初代モデルは回転ベゼルが計算尺になっている手巻クロノグラフ。1975年にはクォーツモデルが発売されている。1984年に発売されたモデルは回転ベゼルに4つのライダータブが付いた機械式自動巻クロノグラフ。
クロノマット・エボリューション(Chronomat Evolution ) - 回転ベゼルに4つのライダータブが付いた機械式自動巻クロノグラフ、クロノマットの大型ケース版。リューズとクロノグラフ用プッシュボタンはネジ込みロック式で300m防水、18Kゴールドモデルは100m防水。
クロノ・コックピット(Chrono Cockpit ) - 立体的なローマ数字のインデックス、詳細なギョーシェ加工の文字盤が特徴的な機械式自動巻クロノグラフ。100m防水。
クロノマチック(Chronomatic 、1969年発表) - 初代モデルは世界初の自動巻きクロノグラフ。2005年に復刻版として再登場。ケースの左側にリューズが配置されているのが特徴。回転ベゼルはナビタイマーと同様に航空計算尺になっている。
コスモノート(Cosmonaute ) - ナビタイマーの24時間表示版。初代モデルから2000年まで手巻ムーブメントが使用されていたが、2001年以降から自動巻きムーブメントに変更された。





エマージェンシーエマージェンシー(Emergency ) - 121.5MHzの手動型航空機用救命無線機を内蔵し、ケースの右下にある保護キャップのネジを外し、アンテナをいっぱいまで引き出すことによって国際航空遭難信号を48時間発信する。航空法第24条に定める航空従事者かつ電波法第40条に定める無線従事者でなければ購入できない。購入後は航空機局無線設備としての登録を行い、年1回電波法で定める定期検査を登録点検事業者であるブライトリング・ジャパンにて行わなければならない。スティーヴ・フォセットが使用していた[2]。
モンブリラン(Montbrillant ) - 初代モデルは1940年代に製造され、ムーンフェイズやカレンダーを組み込んだドレッシーなモデル。二代目は1995年に18金ローズゴールドケース、シルバーダイアルで発売され後に黒文字盤、及びステンレスケースモデルが追加された小型版の機械式自動巻クロノグラフ。現行モデルは初代クロノマットのデザインを継承する自動巻きクロノグラフとなっている。以前工場があった地、モンブリラン通りより命名される。





ナビタイマーナビタイマー(Navitimer 、1952年発表)- 回転ベゼルが計算尺になっているクロノグラフ。計算尺は、発表当時のアメリカで普及していた航空航法用回転計算尺E6B(英語版)の機能をそっくり移植している。最初のモデルは手巻で、古典的名機であるキャリバー"ヴィーナス178"を使用していた。この時代のモデルを松本零士が愛用し「創造力の源泉となった」と語っている。1969年に自動巻モデルも発表される。一時は超大型の防水モデル、LEDや液晶によるデジタルモデルも造られていたが、1985年に初代モデルの雰囲気を持ち"バルジュー7750"を使用する"オールドナビタイマー"のみのラインナップとなった(現行ではオールドの文字が外されている)。2002年には50thアニバーサリー限定モデルが発売。

クラブ・ブライトリング[編集]





デモ飛行をするEA-300SC『F-HXAL』
ブライトリングジャパンが発行するユーザー特典。国内正規販売店で購入したユーザーにのみ無償提供されるサービスで、オーバーホール料金が通常価格の半額で受けられる他、定期会報やカタログの無料配布、新製品発表イベントである「メンバーズサロン」への招待、東京と大阪にあるスタジオブライトリングに併設されている「メンバーズラウンジ」への入室、オフィシャルサイト内にあるユーザー掲示板「メンバーズルーム」へのアクセスが可能。時計購入時に入会申請すると後日、会員の証であるメンバーズカードが郵送される。あくまで購入時特典であり譲渡は無効とされ、住所以外のユーザー登録情報の変更はできない。

「メンバーズサロン」のフライトイベントでは自社チームの他、ブライトリングがスポンサードする選手が飛行することもある[10]。

その他[編集]





レストアされたロッキード コンステレーションレストアしたロッキード コンステレーションやダグラス DC-3に招待客を乗せて飛行するイベントを行っている[11]。
ワックマン(Wakmann )- 1960~1970年代に存在したアメリカ市場向けブランド。
詳細は「セカンドライン」を参照

アビエーション(Aviation ) - 1980年代初期、既にブランドを売却したブライトリング創業家が未だ保有していた旧製品のパーツをチューリッヒにあったOllech&Wajs社に売却し、そこで組立てられ販売されたモデルに冠されたブランド名。
ジン903(Sinn903 ) - 上記アビエーションと同様に旧パーツはジン特殊時計会社にも売却され、同社の903シリーズとして発売された。現903シリーズはその後継モデル。

関連項目[編集]
007 サンダーボール作戦 - 放射線量を測定できる機能が内蔵されている設定の時計を提供。
レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ - ブライトリング・レーシングチームが参戦する他、室屋義秀など他チームの選手とも個別に契約している。
リノ・エアレース - 参戦はしていないがレースの後援を行っている。

脚注[編集]

ポータル Companies ポータル Companies

1.^ 『TIME OF LEGEND―THE BREITLING INSIDER』P42、2006年、レジスター。ISBN 978-4901638234
2.^ 『TIME OF LEGEND―THE BREITLING INSIDER』P42、2006年、レジスター。ISBN 978-4901638234
3.^ “Breitling Genève SAの会社登録情報”. 2014年5月3日閲覧。
4.^ 『TIME OF LEGEND―THE BREITLING INSIDER』P42、2006年、レジスター。ISBN 978-4901638234
5.^ “スイス連邦工科大学 商標データベース”. 2014年5月3日閲覧。 Marken の Marken Nr 2P-324703 を参照
6.^ “Montres Sicura SAの社名の変更履歴”. 2014年5月3日閲覧。
7.^ “KELEKとは”. 2014年5月3日閲覧。
8.^ “KELEKの企業登録情報”. 2014年5月3日閲覧。
9.^ “BREITLING CHRONOMETRIE SAの企業登録情報”. 2014年5月3日閲覧。
10.^ メンバーズサロン2015
11.^ Breitling DC-3

外部リンク[編集]
Breitling
ブライトリング・ジャパン
ABOUT >> AVIATION 大空への情熱 - 航空関系の情報

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腕時計
懐中時計
1884年設立の企業






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シチズン時計





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シチズン時計株式会社
Citizen Watch Co., Ltd.

Citizen logo.svg
Citizen-tanashi.jpg
シチズン時計本社


種類
株式会社

市場情報

東証1部 7762
1949年5月16日上場


本社所在地
日本の旗 日本
〒188-8511
東京都西東京市田無町六丁目1番12号

設立
1930年5月28日

業種
精密機器

事業内容
各種時計類及びその部分品の製造及び販売
持株会社としてのグループ経営管理等

代表者
戸倉敏夫(代表取締役社長)

資本金
326億48百万円
(2016年3月31日現在)

発行済株式総数
330,353千株

売上高
連結:3,482億67百万円
(2016年3月期)

純資産
連結:2,374億69百万円
(2016年3月期)

総資産
連結:4,064億62百万円
(2016年3月期)

従業員数
連結:17,046名
(2016年3月31日現在)

決算期
3月31日

主要株主
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社 13.79%
日本マスタートラスト信託銀行株式会社 8.67%
日本生命保険相互会社 4.02%
(2016年3月31日現在)

主要子会社
シチズンファインデバイス(株)
シチズン電子(株)
シチズンマシナリー(株)

外部リンク
http://www.citizen.co.jp/
テンプレートを表示

シチズン時計株式会社(シチズンとけい、英称:Citizen Watch Co., Ltd.)は、東京都西東京市に本社を置く日本の精密・電子機器の製造会社であり、シチズングループの中核を成す企業である。関東地方・甲信越地方を中心として世界各地に拠点を構えている。東京証券取引所第一部上場。



目次 [非表示]
1 概要
2 沿革
3 主な製品 3.1 ウオッチ製品 3.1.1 備考


4 関連会社
5 研究・製造拠点
6 主催の賞
7 イメージキャラクター
8 CMソング
9 提供している番組
10 関連項目
11 出典
12 外部リンク


概要[編集]

「シチズン」(CITIZEN)ブランドの時計で知られる他、工作機械の分野でもスイス式自動旋盤を中心とする「シンコム」(Cincom)ブランドで名高い。

かつては腕時計の機械体(ムーブメント)の生産量世界第1位(グループ)を誇り、国内最大手。世界シェアの3割以上を持つ。

新宿区西新宿の新宿三井ビルに本社を置いていたが、2001年(平成13年)に現在地に移転している。工場は本社のある東京都西東京市(東京事業所)と、埼玉県所沢市(所沢事業所)にある。

2005年(平成17年)の会社設立75年を記念して、新しくスローガンとして「CITIZEN Micro HumanTech(マイクロ・ヒューマンテック) もっと小さく、すごくわくわく。」を掲げた。これは、「マイクロ、それは私たちのドメインです」「ヒューマン、それは私たちの理念です」「テクノロジー、それは私たちの基盤です」という会社の3つの理念を形にしていこうという考えから付けられたものである。

また、日本人及び在日外国人の中から、無名ながらも社会的に貢献した市民を一年単位で称えるシチズン・オブ・ザ・イヤーを設立。

ちなみに、同社グループの広告・カタログに掲載される時計が示す時刻は、アナログ式が10時9分35秒、デジタル式が12時38分27秒を基準としている。

沿革[編集]

1918年(大正7年)に貴金属商で貴族院議員の山崎亀吉によって尚工舎時計研究所として創業した。1924年(大正13年)に懐中時計「CITIZEN」を発売し、これが「シチズン」ブランドの発端となった。

シチズンの名は、「市民に親しまれるように」の意味(そもそもシチズンは英語で市民の意味を表している)で山崎と親交の深かった貴族院議員で当時の東京市長であった後藤新平が名づけたとされる。

1930年(昭和5年)には会社組織として「シチズン時計株式会社」が設立され、戦時色の濃くなった1936年(昭和11年)には当時軍需産業の集積地となっていた北多摩郡田無町(現・西東京市)に田無工場が完成した。その2年後の1938年(昭和13年)には軍部の意向による敵性語規制により「大日本時計株式会社」への社名の変更を余儀なくされる。戦後はGHQによる淀川、田無の両工場の賠償施設指定などを乗り越え、いち早く復興を遂げ、セイコーに次ぐ国内第二の時計メーカーとして成長した。1948年(昭和23年)に再び社名を「シチズン時計株式会社」とした。2001年(平成13年)には、東京事業所に本社を移転。2007年(平成19年)4月に「シチズングループ」の純粋持株会社体制へ移行のため、社名を「シチズン時計株式会社」から「シチズンホールディングス株式会社」に変更し、新たに事業子会社として「シチズン時計株式会社」(2代)を設立したが、2016年(平成28年)10月に、「シチズンホールディングス株式会社」が「シチズン時計株式会社」(非上場)及び「シチズンビジネスエキスパート株式会社」を吸収合併し、社名を「シチズン時計株式会社」に戻した。

クオーツ式時計が主流となる以前、電磁テンプ式時計の国産化にいち早く成功した。また米ブローバ社と共に「ブローバシチズン」(現・シチズン電子)を設立し、音叉式腕時計の国産化にも成功している。

なお、2007年(平成19年)にブローバ社を買収すると発表した。さらに、2012年(平成24年)にスイスの時計会社プロサーを買収[1]。同社はムーブメント製造会社ラ・ジュー・ペレと時計メーカーアーノルド&サンズを傘下に持つ。2016年、フレデリック・コンスタントを買収。

主な製品[編集]

現在のシチズングループの時計製品はクオーツ式が主流であり、主にチタン外装や表面硬化技術(デュラテクト)、太陽光発電(エコ・ドライブ)・電波修正などの最新の技術を駆使した機能を備える実用的な製品を開発、販売している。また、実用性より付加価値を重視した製品として、クォーツ式ながらも従来のシチズンの製品ラインアップのコンセプト、デザイン、メカニズムを超越した複雑時計の世界に挑戦したカンパノラ・コレクションも販売している[2]。

時計以外の商品として、工作機械「シンコム」、子会社であるシチズン・システムズが販売する電卓、電子辞書、健康関連商品(血圧計・体温計)などがある。また、かつて一世を風靡したポケットボードはシチズン製である。

ウオッチ製品[編集]
カンパノラ・コレクション
ザ・シチズン
エクシード
アテッサ
プロマスター
クロスシー
オルタナ

などがある。また、その他に「ポール・スミス」等のライセンスウオッチや、第2ブランドの「VAGARY」・「INDEPENDENT」、更に「Q&Q」「FREE WAY」「レグノ(REGUNO)」「ウィッカ(WICCA)」等のブランドで展開するセカンドライン、廉価帯商品も手がけている。







PROMASTER Diver AP0440-14F





ATTESA Jetsetter ATV53-3023



備考[編集]
カンパノラ・コレクションの「茜宙(CTY57-1161)」を、タレントの劇団ひとりが着用している。
映画「デスノート」の中で、主人公・夜神月が、同社のオルタナVO10-5992Fを着用している。

関連会社[編集]





シチズンプラザ(東京・高田馬場)
主な子会社には工作機械メーカーで旧東証二部上場会社の「シチズンマシナリー」、旧JASDAQ上場会社の「シチズン電子」「シチズンファインデバイス(旧社名:ミヨタ)」、未上場ではシチズン平和時計などグループ5社が統合して2013年に設立された「シチズン時計マニュファクチャリング株式会社」や「シチズンマイクロ株式会社」、「シチズン・システムズ」、「シチズンTIC(旧社名:テイ・アイ・シイ・シチズン)」などがある。また、資本関係を持つ関連メーカーとしてクロックメーカーの「リズム時計工業」(東証一部上場)、同社をルーツに持つ電子機器・工作機械・精密機械メーカーの「スター精密」(東証一部上場)がある。

また腕時計(ウォッチ)以外の置時計、壁時計、目覚まし時計、温度湿度計、ストップウォッチの「CITIZEN」ブランド製品はリズム時計工業が企画、製造、販売している。

2004年(平成16年)10月に主要子会社でウオッチの企画・販売を手がける「シチズン商事」を吸収合併した。2005年(平成17年)10月にブランド力を市場に対して最大限に活用するとともに、グループ会社間の団結力を高め、ガバナンス強化の基盤となる連帯意識の高揚を図るため、グループ会社の社名変更を行うとともに、旧上場子会社3社の株式交換による完全子会社化を行った。

また、同グループは時計メーカーとしての側面ばかりでなく、先述の電子機器や、電子部品メーカーとしての側面を持つが、事業再編により2004年(平成16年)に工作機械(精機)事業と時計事業を分社・統合したのに続き、2005年(平成17年)には情報機器・健康関連機器事業及び液晶デバイス事業を統合・分社化した。

これらの他に、新宿区高田馬場にあるボウリング場・アイススケート場などの複合施設「シチズンプラザ」を経営するシチズンプラザ株式会社がある。

研究・製造拠点[編集]
シチズン時計株式会社 東京事業所(東京都西東京市)
所沢事業所(埼玉県所沢市)

シチズンファインデバイス株式会社 本社・河口湖事業所(山梨県南都留郡富士河口湖町)
御代田事業所(長野県北佐久郡御代田町)
北御牧事業所(長野県東御市)

シチズン電子株式会社 本社工場(山梨県富士吉田市)

シチズン時計鹿児島株式会社(鹿児島県日置市)
シチズン夕張株式会社(北海道夕張市)

主催の賞[編集]
シチズン・オブ・ザ・イヤー

イメージキャラクター[編集]

現在
北川景子:xCイメージキャラクター
有村架純:wiccaイメージキャラクター
五郎丸歩:ATTESAイメージキャラクター

過去
篠原涼子:xCイメージキャラクター
ケリー・チャン:xCイメージキャラクター
福山雅治
玉木宏

など

CMソング[編集]
大滝詠一「ムーチュ」「君に夢中」(1974年)- コスモトロン(出演:水谷豊)
白井貴子「Chance!」(1984年)- リビエール
ハイ・ファイ・セット「素直になりたい」(1984年)- リビエール(監督:相米慎二)
爆風スランプ「うわさに、なりたい」(1984年) - 19才リビエール
FANTI「LADY MEMORIES」(1986年)
崎谷健次郎「もう一度夜を止めて」(1987年)- ライトハウス

提供している番組[編集]
匠の肖像
待ッテマシタ!

その他、1970年代前期まで日本テレビの7時・正午・19時の時報時の15秒スポットを担当していたほか、TBSラジオで1976年まで時報CMを、ABCラジオでは平日朝7時の時報CMを長年担当していた。

関連項目[編集]
全米オープン (テニス)・エミレーツ全米オープンシリーズ - オフィシャルタイムキーパー

出典[編集]
1.^ シチズン、スイスの腕時計会社を買収 機械式駆動装置取り込む、日本経済新聞、2012年3月5日、2015年2月26日閲覧
2.^ シチズン公式 2012年BASELWORLD 2012 出展情報 カンパノラ、

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、シチズンの腕時計に関連するメディアがあります。
シチズン時計
シチズンウオッチ オフィシャルサイト
Real Scaleオリジナルサイト




カテゴリ: 製品の画像提供依頼
シチズンホールディングス
日本の時計メーカー
日本の精密機器メーカー
工作機械メーカー
腕時計
西東京市の企業
東証一部上場企業
日本の多国籍企業
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オメガ





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曖昧さ回避 この項目では、腕時計ブランドについて説明しています。ギリシャ文字については「Ω」を、その他の用法については「オメガ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

オメガ
Omega SA

Omega Logo.svg

企業形態
非公開 (スウォッチ・グループの子会社)

業種
腕時計製造

設立
1848

創業者
ルイ・ブラン

本部
スイス、ビエンヌ

代表者等
Nicolas G. Hayek, Chairman
Stephen Urquhart, President

製品
時計

株主
スウォッチ・グループ

ウェブサイト
omegawatches.com
テンプレートを表示





シーマスター・クロノグラフ
オメガ(OMEGA、Ω)は、世界的に有名なスイスの高級腕時計メーカーである。現在はスウォッチ・グループに属している。



目次 [非表示]
1 歴史
2 キャリバー
3 モデル 3.1 コンステレーション
3.2 デ・ビル
3.3 シーマスター
3.4 スピードマスター 3.4.1 アメリカ航空宇宙局公認
3.4.2 ウルトラ警備隊正式採用
3.4.3 ミハエル・シューマッハ


4 公式計時 4.1 夏季オリンピック
4.2 冬季オリンピック

5 関連項目
6 外部リンク
7 脚注


歴史[編集]
1848年6月 - 23歳のルイ・ブラン(Louis Brandt )がラ・ショー=ド=フォンにて懐中時計の組み立て工房を開いた。
1877年 - ルイ・ブランの息子ルイ=ポール・ブラン(Louis-Paul Brandt )が"Louis Brandt & Fils"設立。
1879年 - ルイ・ブランが死去、セザール・ブラン(César Brandt )が経営に参加した。
1882年 - 本社を現在地のビールに移転。
1894年 - 有名なキャリバー「オメガ」を製作、後にこれをメーカー名とした。
1903年 - ルイ=ポールとセザールが亡くなるとポール=エミーユ・ブラン(Paul-Emile Brandt )が後を継いだ。
1930年 - ティソ等とSSIHグループを結成する。
1965年 - 「スピードマスター」がアメリカ航空宇宙局の公式腕時計として採用され、その耐久性の高さを世に知らしめた。
1980年 - 日本企業のセイコーによる買収騒動が持ち上がりスイスの国会で騒動と成る
1983年 - ASUAGグループ(ロンジン等)と合併し、スウォッチグループの前身であるSMHグループを結成する。
1999年 - 独立時計師のジョージ・ダニエルズが開発した「コーアクシャル」と呼ばれる新機構を採用し、腕時計界に衝撃を与えた。機械式時計の心臓部である調速機構との動力伝達を果たす、脱進機機構(アンクル爪、ガンギ歯)における摩擦を大幅に低減し、約10年間オーバーホールなしでも精度を保つことができる。

キャリバー[編集]

ブランド・社名にキャリバー名にちなむ「オメガ」を用いたことに象徴されるように、古くから多数の自社開発キャリバーを世に送り出した。過去には手巻きのCal.30系[1]、自動巻のCal.550系[2] 等自社設計の名機を輩出しており、一時期はムーブメント全体を赤銅色のメッキ仕立てとした美しい仕上げも特徴になっていた。

現在では高級時計ブランドであっても、ムーブメントを自社製造していない時計メーカーも多く、オメガも1970年代以降はETA製ムーブメントを多く用いるようになったが、シーマスター・アクアテラ等に使用されているCal.8500シリーズのムーブメントは、地板や装飾も含めてオメガによる100%自社開発のムーブメントである[3]。

モデル[編集]

第二次世界大戦後は、特定のコンセプトを持つ製品群に包括するモデル名を与えるようになった。「シーマスター」「スピードマスター」はそれぞれ防水型やクロノグラフのネームとして、「コンステレーション」「デ・ビル」は高級機やドレスウォッチのネームとして、いずれも長年用いられている。1964年からは、従前特に「OMEGA」以外のネーム表記がなかった普及型モデルにも「ジュネーヴ」 Genève の愛称を与えていた時期があった[4]が、この伝統的な廉価帯ラインは1970年代で途絶えている。

コンステレーション[編集]

コンステレーション(Constellation )とは英語で星座の意。1952年に発売された。文字盤6時位置にある星と、裏蓋の天文台が目印[5] である。COSCのクロノメーター検定に合格した機械を積んだ高級ラインであり1960年代の日本では高級時計の代表的存在であった。クォーツショック後一時全てクォーツモデルになっていたが最近再び一部自動巻の機械式が発売されるようになっている。

デ・ビル[編集]

デ・ビル(De Ville )はフランス語で「街角」との意[6]。1967年発売。ドレスウォッチ、ドレッシーなカジュアルウォッチをラインナップしてきた。もともとはシーマスターの薄型バージョン向けダブルネームとして1963年から発売された「シーマスター・デ・ビル」が元であるが、ここからドレスウォッチ的な性格を強めたモデルとして「デ・ビル」が独立して生まれた。モデルによってはコーアクシャル機構を採用し劣化の低減に成功している。

シーマスター[編集]





「シーマスター」007限定
シーマスター(Seamaster )は防水時計のブランド「マリーン」から発展した。1948年発売。当初は通常オメガ製品のうち、後年における日常生活防水レベルの防水機能を備えたものに与えられたネームで、非防水モデルとのデザイン差はあまり大きくなかったが、1950年代後期以降は防水性能を大幅に強化したヘビーデューティなモデルも開発されるようになり、以降このネームを持つシリーズには、極めて多彩なバリエーションがみられる。多くの製品の裏面に、防水を象徴する伝説上の海獣・シーホースの刻印が入るが、「プラネット・オーシャン」などのシースルーケースの製品にはシーホースは見られない。

プロフェッショナルモデルは手動式のヘリウムエスケープバルブを搭載することでヘリウム飽和潜水時の風防の破損を防いでいる。バルブを開放した状態でも5気圧の防水性能を持っているが、水に濡れる際はバルブは閉めておくほうが望ましい。裏蓋には波模様とシーホースが彫られている。アメリカズカップモデルやジャック・マイヨールモデルなどの限定モデルがある。「アクアテラ」はヘリウム・エスケープ・バルブと回転ベゼルが排除され、ドレスウォッチとして使用できるようになった。そのため、飽和潜水には対応していないものの、150mの防水性能を持っている。2220以降のモデルではいずれの個体にもコーアクシャル機構を採用しており、簡易メンテナンスで飽和潜水が可能なモデルも登場している。クロノグラフもラインナップされており、「プロフェッショナル(ダイバー300)」、「プラネット・オーシャン」、「ブルヘッド」に採用されている。通常のクロノグラフは水中では使用できないが、シーマスターのクロノグラフは水中でも操作できるようになっている。

1990年代後半にはオメガマチックとよばれる自動巻発電機構を搭載したクォーツも登場したが、現在では生産されていない。 映画『007』シリーズ(第17作目『ゴールデンアイ』から第22作目『慰めの報酬』)でジェームズ・ボンド役のピアース・ブロスナン及びダニエル・クレイグが着用したダイバーズウォッチとして知られている。しかし007の原作に出て来るのはロレックスである。

スピードマスター[編集]





スピードマスター・プロフェッショナル




スピードマスター・プロフェッショナル
スピードマスター(Speedmaster )の原型は「シーマスター」に手巻きのキャリバー321を搭載した「シーマスター・クロノグラフ」であり、裏蓋のシーホースにその名残を伺うことができる。1957年に「スピードマスター」となった。アメリカ航空宇宙局採用を機に1966年「スピードマスター・プロフェッショナル」と改名し、1968年には機械がキャリバー861に変更された。1997年には機械がキャリバー1861に変更され、現在でも市販されている。堅固なモデルとして知られるが、多重ケースによってショックを吸収できることと、自動巻き機構や日付表示が搭載されない等クロノグラフとしては機構が非常にシンプルであることによると考えられる。無重力状態でガラスが破損し空間に破片が飛び散ることを防ぐためにプラスティック製の防風を採用している。防風がプラスティック製であることと、竜頭とプッシュの構造上、防水性はほとんど期待できない。近年100m防水となっているブロード・アローも同様である。[7]。機械はアルベール・ピゲ設計のヌーベル・レマニア製。

後にエタ製またはフレデリック・ピゲ製自動巻きムーブメントが搭載され「プロフェッショナル」より一回り小振りな「スピードマスター・オートマチック」が追加された[8]。またアメリカ航空宇宙局と共同開発したクォーツ式「スピードマスター・プロフェッショナル・モデルX-33」も発売されている。

「プロフェッショナル」・「オートマチック」ともに非常に限定モデルが多い。「プロフェッショナル」の場合、誕生した年より何十周年か経過すると「○○周年記念モデル」、各ロケット、スペースシャトルの打ち上げた年より何十周年か経過すると「○○(シャトル名)号○○周年記念」、変わったところでは「スヌーピー」「銀河鉄道999」等とコラボレートしたモデルも存在する。「オートマチック」の場合、下記の「M・シューマッハモデル」や「マルイ限定モデル」等が存在する。

2007年には誕生50周年を記念して1stモデルを復刻したが、ムーブメントも初期のキャリバー321を忠実に再現したものとなっている。また、この年はチャリティーオークションにてデッドストックかつスウォッチ・グループの保証付きの1stモデルを出品している。

アメリカ航空宇宙局公認[編集]

1965年にアメリカ航空宇宙局は宇宙空間でも使用に耐える腕時計を選定するため時計店の店頭で各社各種の時計を購入[9] して耐熱性、耐寒性、耐衝撃性など様々な試験を行ない、この結果「スピードマスター」のみが合格したため「スピードマスター」はアメリカ航空宇宙局の公認クロノグラフとなった。

アメリカ航空宇宙局がスピードマスターを選定したと発表があった後、代々の重役を国防省からの天下りで構成していた当時のアメリカ大手時計メーカーであったブローバより「国家的プロジェクトにはアメリカ製品を使うべきではないか」とのクレームが入り、ブローバの技術陣が特別に1つのみ製作したクロノグラフとスピードマスターによる再選定を行ったが、結果はスピードマスターの勝利であった。なおも食い下がる元海軍提督のブローバ社長に対し選定委員は「あなたの会社の製品ではアメリカの威信を守ることは出来ません」と選定終了を宣言している。しかし当初は無重力下で通常の機械式時計がどう動作するか分からなかったため、コクピットクロックは音叉によって制御されるブローバ製の電気時計「アキュトロン」が採用された。

アポロ計画でも使用され、1969年には月面に降り立った最初の腕時計という栄誉を獲得、それ以後裏蓋には "FIRST WATCH WORN ON THE MOON" の文字が刻まれている。1970年アポロ13号が月に向かう途中で酸素タンクが爆発するという大事故に遭遇し航法用コンピュータが使用不能になったが「スピードマスター」を用いてロケット噴射時間の制御を行い全員無事生還を果たしたこと[10] でさらなる信頼を得た。また、スペースシャトル計画の船外活動時において、この機種以外の使用は認められていない。ただし1971年アポロ15号による月面探査の際には宇宙飛行士デイヴィッド・スコットはNASAの使用規則を守らず(正確には使用していたスピードマスター・プロフェッショナルが故障した為)、ウォルサムの時計を使用した。その他、オメガはブローバの音叉ムーブメントキャリバー1255を搭載したモデル「スピードマスター・スピードソニック」を1973年に、「スピードソニック・クロノメーター」を1975年に販売している[11]。

ウルトラ警備隊正式採用[編集]

日本の特撮ヒーロー番組『ウルトラセブン』に登場する地球防衛軍の精鋭部隊ウルトラ警備隊の隊員に正式採用されている描写がある。[12]

ミハエル・シューマッハ[編集]

F1ドライバーのミハエル・シューマッハが以前からオメガの大ファンであることをテレビ番組で知ったオメガの社員が彼に個人スポンサーのオファーをし、契約された。その後もシューマッハはスピードマスターを愛用しているだけでなく、現役時代には勿論、引退後(2010年より復帰)もその偉業を称えて記念限定モデルがリリースされている。

公式計時[編集]

下記以外にも多数のスポーツ大会の計時を担当している。またパラリンピックやFINA、全米プロゴルフ協会、LET、EAA、IAAFダイヤモンドリーグ、IBSFの公式計時も行っている。

夏季オリンピック[編集]
1932年ロサンゼルスオリンピック - 一企業が全計時を委託される初のオリンピックとなり、ヌーシャテル天文台で検定された30個のクロノグラフを用意した。
1936年ベルリンオリンピック - 185個のクロノグラフを時計職人ポール・ルイ・ギニャール(Paul-Louis Guignard )がスーツケースに入れて持ち込んだ。
1948年ロンドンオリンピック - 1946年に開発された写真判定用カメラ「レースエンド・オメガ・タイマー」(Racend OMEGA Timer )を使用した。
1952年ヘルシンキオリンピック - クォーツ式で1/100秒を計測でき、史上初の電子計測機器である「オメガ・タイム・レコーダー」を開発、使用した。
1956年メルボルンオリンピック - 競泳計時を半自動で行う「スイムエイト・オ・マチック」(Swim Eight-O-Matic Timer )を使用した。
1960年ローマオリンピック
1968年メキシコシティオリンピック - オリンピック史上初めて全種目で電子計測タイムが公式タイムとして認定された。競泳において水しぶきに反応せず選手のタッチには反応し計時を止めるタッチパッドを使用した。
1976年モントリオールオリンピック
1980年モスクワオリンピック - 1977年に開発され競泳計時を全自動で行う「スイム・オ・マチック」(Swim-O-Matic )を使用した。
1988年ソウルオリンピック
2008年北京オリンピック
2012年ロンドンオリンピック
2016年リオデジャネイロオリンピック
2020年東京オリンピック - 予定[13]。

冬季オリンピック[編集]
1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック
1948年サンモリッツオリンピック - 1946年に開発された写真判定用カメラ「レースエンド・オメガ・タイマー」(Racend OMEGA Timer )が使用された。
1956年コルティナダンペッツォオリンピック - スキー競技にスターティングゲートが使われるようになり、計時とも連動された。
1964年インスブルックオリンピック - ロンジンと共同で"Swiss sports timekeeping"として参加。
1968年グルノーブルオリンピック
1976年インスブルックオリンピック
1980年レークプラシッドオリンピック
1984年サラエボオリンピック
1988年カルガリーオリンピック
1992年アルベールビルオリンピック
2006年トリノオリンピック
2010年バンクーバーオリンピック
2014年ソチオリンピック
2018年平昌オリンピック - 予定。

関連項目[編集]
クロノグラフ
天賞堂 - かつて銀座本店にはオメガのマークが描かれ「オメガビル」とも呼ばれた。
ニコラス・G・ハイエックセンター - 銀座にあるスウォッチ・グループジャパンの店舗兼本社ビル。当ビル2階にオメガショップ、5階にメンテナンス等を受け付けるカスタマーサービスがある。

外部リンク[編集]
公式ウェブサイト

脚注[編集]
1.^ 1939年に最初のスモールセコンド型を発売、翌1940年にセンターセコンド型追加。インカブロック耐震機構付となった1943年以降は260/280番台(スモールセコンド/センターセコンド)ナンバーを与えられ、改良を重ねつつ1966年まで生産された長寿シリーズ。第二次世界大戦中の軍用腕時計から初期のコンステレーションにまで搭載され、1940-1950年代のオメガの基幹キャリバーであった。スイスの天文台で実施される精度検定において、腕時計キャリバーに認められる最大サイズ・直径30mmの限界一杯に作られ、「30mm」の別称でも呼ばれる。スモールセコンド式ベースのやや古い設計だが堅実で合理的な構造と、大型テンプ等の相乗効果で安定性や整備性に優れ、高度に調整された個体は実際に多くの精度コンクールで優秀成績を収めた。
2.^ 1959年発売。1955年発売のCal.490系(初の全回転ローター自動巻。オメガ初の自動巻は1943年発売のCal.330系であったが当時はまだ半回転のハーフローターで効率に難があり、初の全回転の490系でもまだ改良の必要があった)に続く、オメガにとっての決定版となった自動巻キャリバー系統で、以後1960年代の発展型Cal.561~565や、ローターを外して手巻き専用とし、30mmシリーズの実用後継となった600番台のような派生版を輩出。クロノメーターモデルも多数作られた。
3.^ http://blog.excite.co.jp/i-watch/9722182/
4.^ シンプルなデザインのケースで、文字盤6時側にサンセリフ書体の「Genève」表記が施されただけのそっけない外観であったが、搭載キャリバーはCal.550系・600系など高級機と共通の、買い得な性能を持つ製品であった。
5.^ 以前は時計の検定を天文台で行っていたことによるが、天文台で検定した機械そのものを搭載しているわけでなくイメージ。
6.^ 英語の悪魔(Devil )とはスペルが異なる。
7.^ 初期の製品には6気圧の防水性を備えたものも存在した。
8.^ オートマチック・タイプはNASAより公式時計としての採用を受けていない。
9.^ 「店頭で購入した」のではなく、各時計メーカーないしその代理店に対して仕様書を提示し、選定のための時計を公式に調達したと当時の担当官の証言がある(世界文化社「時計Begin」Vol.50、pp.28-29)。
10.^ この時の状況は後に『アポロ13』として映画化されている。
11.^ 2007年『20世紀の記憶装置「オメガ・スピードマスター」』ワールドフォットプレス
12.^ 第17話「地底GO! GO! GO!」でモロボシダンの右手にスピードマスターが着けられている。(一般的に腕時計を着ける左手にはビデオシーバーを着けているため)ただしウルトラセブンにはキリヤマ隊長の腕時計が写るシーンもあるが、その時計はスピードマスターではない。
13.^ http://www.omegawatches.jp/jp/news/international-news/international-news-detail/2405 The Official Timekeeper of the 2020 Olympic Games congratulates Tokyo, the Host City 2013年9月9日



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タグ・ホイヤー





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TAG Heuer S.A.

TAG HEUER logo.svg

企業形態
Wholly owned subsidiary

業種
Watchmaking

設立
St-Imier, Switzerland (1860年)

創業者
Edouard Heuer

本部
スイス、ラ・ショー=ド=フォン

事業地域
Worldwide

代表者等
Jean-Claude Biver, CEO

製品
Watches

株主
LVMH Moët Hennessy ‐ Louis Vuitton S.A. (LVMH)

スローガン
Swiss Avant-Garde since 1860

ウェブサイト
tagheuer.com
テンプレートを表示

タグ・ホイヤー(TAG Heuer)は、スイスの高級時計メーカーである。



目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 代表モデル
4 その他
5 スポンサー活動 5.1 アンバサダー

6 脚注
7 参考文献
8 外部リンク


概要[編集]

ドイツ系スイス人で、ベルン州ブリュック(ドイツ語版)出身のエドウアルト・ホイヤー(ドイツ語版)(1840年 - 1892年)が1860年に設立した。設立当初からストップウオッチや、クロノグラフといったスポーツウオッチの開発に力を注いでおり、クロノグラフの歴史に貢献している。近年では、トゥールビヨンや磁気を利用した新たなムーブメントの開発を行っている。

1985年までの社名はホイヤーであった。クオーツショックで資金難だったところをマンスール・オジェ率いるTAGグループ(現 Techniques d'Avant Garde )からの資金援助を受け、現在の社名に変更。その後1999年9月にLVMHが同社の株式の50.1%を取得し、現在はLVMH傘下となっている。

2003年まではF1の公式計時を担当していたが、同年限りでF1の公式計時から撤退する一方で、2004年よりインディカー・シリーズの公式計時を担当している。

歴史[編集]
1840年2月15日 - ビール近郊のブラグで[1]創業者のエドウアルト・ホイヤー(Edouar Heuer )が産まれた[2]。
1856年 - 創業者のエドウアルト・ホイヤーがサンティミエの時計メーカーLs.Kierneur&Filsに入社[3]。
1859年 - エドウアルト・ホイヤーがスザンナ・マグダレナ・シェルツと結婚した[4]。
1860年 - エドウアルト・ホイヤーによりスイスのサンティミエでエドウアルト・ホイヤー・ウォッチメーカーズ設立[5]。
1861年 - 創業者の長女ルイズ(ルイーゼ)・ホイヤー(Louise Heuer )が産まれた[6]。
1869年 - ビールに移転した[7]。
1871年 - 創業者の長男シャルル(カール)・ホイヤー(Charles Heuer )が産まれた[8]。
1876年 - ロンドンに支社を設立した。
1878年 - ルイズ・ホイヤーが入社した[9]。時計メーカー向けの宝飾加工を行なっていたフリッツ・ラムベレが事業に参加し、ホイヤー・ラムベレ&カンパニー・ビエンヌ&ロンドンを設立[10]。
1882年 - クロノグラフで特許取得[11]。懐中時計のクロノグラフの製造を開始した[12]。ロンドン支店閉鎖[13]。
1885年 - フリッツ・ラムベレが独立し、エド・ホイヤーに商号変更した[14]。
1892年 - エドウアルト・ホイヤー死去[15]。
1896年 - シャルル・ホイヤーの長男シャルル・ホイヤーJr.が産まれた[16]。
1901年 - シャルル・ホイヤーの次男ウベール(フーベルト)・B・ホイヤー(Hubert B. Heuer )が産まれた[17]。
1916年 - シャルル・ホイヤーJr.が入社。世界初の100分の1秒まで計測可能なストップウオッチ『マイクログラフ』を開発。
1920年 - アントワープオリンピックの公式計時を初めて担当。高級ブランドだったユール・ヤーゲンセンを購入した。
1923年 - シャルル・ホイヤーの次男ウベール・B・ホイヤーが入社[18]。シャルル・ホイヤー死去[19]。
1929年 - ホイヤーのロゴが作成された[20]。
1932年 - ジャック・W. ホイヤーが産まれた[21]。
1953年 - 日本で商標登録した[22]。
1964年 - クロノグラフの製造会社レオニダスと合併、正式な社名はホイヤー=レオニダスとなる[23]。
1967年 - 自動巻クロノグラフ、キャリバー11の開発を始めた[24]。
1969年 - 角型時計としては世界初の防水クロノグラフ『モナコ』、世界初の自動巻きクロノグラフ『クロノマチック』などを発表[25]。
1971年 - スクーデリア・フェラーリのF1公式計時を初めて担当、当時のドライバーはクレイ・レガツォーニとジョー・シフェール[26]。スティーブ・マックイーンが映画栄光のル・マン中で『モナコ』を着用し、オーバーオールにホイヤーのロゴをつけて出演した[27]。スイススキー連盟と契約を締結、スイススキーチームがホイヤーのクロノグラフを使用するようになった[28]。
1974年 - シャルル・ホイヤーJr.死去[29]。
1982年 - ピアジェの傘下に入る。4代目ジャック・W. ホイヤーが社長から退任し、創業者一族による経営は途絶えた。ジャック・W. ホイヤーはその後コンピューター関係の仕事に携わった。
1985年 - ピアジェの傘下から離れ、TAGグループからの資金援助を受けて『ホイヤー』から『タグ・ホイヤー』に社名を変更。
1999年 - LVMHの傘下に入る。
2001年 - CEOジャン・クリストフ・ババンの懇請で、ジャック・ホイヤーが名誉会長に就任。
2004年 - インディカー・シリーズの公式計時を初めて担当。
2013年 - ジャン・クリストフ・ババンがブルガリCEOに就任し、代わってステファン・リンダーがCEOに就任[30]。ジャック・ホイヤーが11月17日(81歳の誕生日の前日)を以て名誉会長を退任[31]。
2016年 - イングランド・プレミアリーグの公式タイムキーパーを担当[32]。同リーグに所属するマンチェスター・ユナイテッドFCと公式タイムキーパー並びにグローバルパートナー契約を結ぶ[33]。

代表モデル[編集]
アクアレーサー(Aquaracer )
カレラ(Carrera ) グランドカレラ(Grand Carrera )

エレノア(Erenoa )
F1(1986年発売[34]) - 樹脂を使用したモデル[35]。 F1クロノグラフ

キリウム(Kirium )
リンク(Link )アイルトン・セナが愛用していた「Se/l」コレクションの後継機としてリリースされた。
モナコ(Monaco ) - 1971年映画『栄光のル・マン』中、主役のスティーブ・マックイーンが装着したことで知られる。古くからモータースポーツの計時を担当していたホイヤー社(現在のタグ・ホイヤー)と縁のあるサーキットがモナコであり、そのグランプリに敬意を表し、ホイヤー社は新たなモデルを開発。それがマイクロローターを採用した世界初の自動巻きクロノグラフムーブメント「クロノマティック」を搭載。後に、復刻モデルが多数リリースされ、豊富なモナコ・ファミリーがラインナップされた。
モンツァ(Monza )
フォーミュラ(Formula )
S/el(セル、スポーツ・アンド・エレガンスの略称、1987年発売[36])現在は廃番。リンクに継承された。 S/elレザー(1991年発売[37]) - 革バンドを採用した[38]。
S/elクロノグラフ(1988年発売) - クォーツモデルの一部で1/100秒までの計測が可能[39]。

1000シリーズ(1000Series 、1985年発売[40])
1500シリーズ(1500Series 、1990年発売[41]) - 入門用の手頃な価格のモデル[42]。
2000シリーズ(2000Series 、1983年発売[43]) - 基本ラインでクォーツと自動巻があり、200m防水[44]。現在は廃番。アクアレーサーに継承された。 2000クロノグラフ(1988年発売) - クォーツモデルの一部で1/100秒までの計測が可能。

3000シリーズ(3000Series 、1985年発売[45])
4000シリーズ(4000Series 、1990年発売[46])
6000シリーズ(6000Series 1991年発売[47]) - 最高級ライン[48]。 6000ゴールド(1994年発売[49]) - ケース素材にK18ゴールドを採用、クロノメーター規格に合致した自動巻を搭載する[50]。


その他[編集]

F1にて2015年までマクラーレンチームのスポンサーとして、2016年からレッドブル・レーシングのスポンサー及びルノーエンジンのバッジネームとして長期にわたり活動している関係で、アイルトン・セナ、片山右京、キミ・ライコネンなどF1ドライバーの名前を冠したモデルを多数発売しているほか、F1以外でもタイガー・ウッズの名前を冠したモデルなども存在する。

スポンサー活動[編集]

タグ・ホイヤーは東京・ボストンを除くワールドマラソンメジャーズ全大会、プレミアリーグ(2016-17シーズンより)、リーガ・エスパニョーラ、ブンデスリーガ、Jリーグ、アジアサッカー連盟(AFC)、ジロ・デ・イタリア、FIAフォーミュラE選手権、MXGP、エミレーツ・オーストラリアン・オープン、オーストラリアン・マスターズなどのオフィシャルタイムキーパーとして務めている。またかつてはタイガー・ウッズもこの時計を身につけたが、不倫スキャンダル問題で契約を解除した。また、マリア・シャラポワも2016年3月の緊急会見にてドーピングが報じられたことから、契約を中断した。

アンバサダー[編集]
クリスティアーノ・ロナウド
レオナルド・ディカプリオ
錦織圭
アウディ・スポーツ
オラクル・チームUSA
セバスチャン・オジェ

脚注[編集]

1.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
2.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31。
3.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
4.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31。
5.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
6.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31、p.36。
7.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
8.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31、p.37。
9.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
10.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
11.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
12.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
13.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
14.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
15.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31、p.37。
16.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31。
17.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31、p.38。
18.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.38。
19.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31。p.38。ただしp.37は1920年とする。
20.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.38。
21.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31。
22.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.40。
23.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.40、p.41。
24.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.41。
25.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.41。
26.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.41。
27.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.41、年表では1970年だが栄光のル・マンの公開は1971年。
28.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.41。
29.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31、p.37。
30.^ タグ・ホイヤーの新CEOにステファン・リンダーが就任、2013年5月7日、2013年7月10日閲覧
31.^ 『カレラ完全マスターBOOK2013』P.5
32.^ “タグ・ホイヤー、イングランド プレミアリーグと契約!”. ORICON STYLE (2016年4月27日). 2016年12月24日閲覧。
33.^ “マンチェスター・ユナイテッド、タグ・ホイヤーとパートナーシップを締結”. TAG Heuer (2016年7月24日). 2016年12月24日閲覧。
34.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43。
35.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.135。
36.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43、p.99。
37.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43。
38.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.111。
39.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.105。
40.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43。
41.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43。
42.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.129。
43.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43。
44.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.121。
45.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43。
46.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43、117。
47.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43。
48.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.89。
49.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43。
50.^ 『タグ・ホイヤー物語』p.89。

参考文献[編集]
『タグ・ホイヤー物語』ワールドフォトプレス
『TAG Heuer カレラ完全マスターBOOK2013』、WATCHNAVI2013年夏号

外部リンク[編集]
公式ウェブサイト




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G-SHOCK





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G-SHOCK GW-8900-7JF
G-SHOCK(ジーショック)は、カシオ計算機株式会社が、1983年(昭和58年)から販売している腕時計のブランドである。一般には、「Gショック」とも表記される。



目次 [非表示]
1 概要 1.1 堅牢性
1.2 軍人とG-SHOCK
1.3 映画におけるG-SHOCK
1.4 機能

2 開発の経緯
3 代表製品 3.1 ORIGIN
3.2 Standard
3.3 FOX FIRE
3.4 The G
3.5 Master of G
3.6 Cockpit Series
3.7 BABY-G

4 限定品 4.1 MR-G限定品
4.2 G-SHOCK 25th アニバーサリー 4.2.1 G-SHOCK 25th アニバーサリー 「マスターブルー」
4.2.2 G-SHOCK 25th アニバーサリー「ドーンブラック」


5 脚注
6 関連製品
7 外部リンク


概要[編集]





国際宇宙ステーションにおいてG-SHOCK 5900を着用している宇宙飛行士のトーマス・ライター
「G-SHOCK」の『G』とは、英語: Gravity 「日本語で『重力』の意味」の頭文字から名付けられた[1]。

堅牢性[編集]

G-SHOCKの最大の特徴は、どんな衝撃にも耐える堅牢性で、1981年(昭和56年)に始まる研究開発の目標に「トリプル10」(落下強度10m、防水性能10m、電池寿命10年)を掲げた。外殻から独立した内部機構やポリウレタン製の衝撃吸収材を採用することで目標を達成し、1983年(昭和58年)に初登場した『DW-5000C』以来、全てのG-SHOCKシリーズはこの性能をクリアしている[2]。しかし、ポリウレタン自体が、紫外線を受け劣化・加水分解するため、ケースは10年程度で粉々になることもあるが、近年(1996年頃以降)のモデルでは加水分解が起きにくくなっている。

軍人とG-SHOCK[編集]

こうした特徴は、過酷な環境の代表格である「戦場」で活動する兵士達にも好まれ、アメリカ合衆国軍兵士たちから親しまれている。その代表例として、アメリカ合衆国海軍特殊部隊Navy SEALsによって採用されている[3]。

また、福野礼一郎によれば、世界の特殊部隊隊員の多くが、G-SHOCKを使用しているとのことである[4]。もちろん、特殊部隊以外でもG-SHOCKは普及しており、パイロットや消防士や警察特殊部隊『SWAT隊員』にも、愛用されているという[5]。

映画におけるG-SHOCK[編集]

『スピード』をはじめとする、多数のアクション・戦争映画などでも俳優や、カニエ・ウェスト、エミネム、ジャスティン・ビーバーなどが愛用している[5]。

『スピード』で使用されたDW-5600C-1V(白文字モデル)は、主人公でロサンゼルス市警察SWATの隊員ジャック・トラヴェンを演じたキアヌ・リーブスの私物だったという。また、この映画の大ヒット以降、DW-5600系は『スピードモデル』の別名でも呼ばれるようになった[5]。

また、2011年に放映された、日本のテレビドラマ『家政婦のミタ』でも、主演の松嶋菜々子がこの『スピードモデル』を着用していた。

機能[編集]

G-SHOCKの特徴として耐衝撃機能をはじめ多様な機能を持っている点が挙げられる。具体的には、ストップウォッチやタイマー機能、アラーム機能といったデジタルウォッチの定番機能の他、製品によっては、高気圧防水や防塵、防泥、気圧計、水深測定器、温度計、電波時計、タフソーラー、超硬質コーティング、ワールドタイム表示機能などが採用されている。
SHOCK RESIST耐衝撃機能。G-SHOCK全てに搭載されている。その証明をアイスホッケーでされた経緯がある。WATER RESISTG-SHOCKは基本的に20気圧の防水性能を有する。日本国外向け製品には "200m Water Resist" と記載されているが、本格的な潜水時計はFROGMANシリーズのみ。MUD RESIST防塵、防泥機能。主に、後述のMUDMANシリーズに搭載されている。RUST RESIST防錆機能。主に、後述のGULFMANシリーズに搭載されている。MULTI BAND 5/MULTI BAND 6/GPS時刻補正世界各地の電波時計での、時刻修正機能である。世界各地域で自動的に時刻修正され、狂わずに使用できる。一部のモデルでは、GPS腕時計機能を搭載し「GPSの受信」で、電波時計が受信出来無い地域では、地球上のタイムゾーンを選んで時刻補正する。Tough Solar太陽電池充電機能。TOUGH MVT.一部のアナログ時計に搭載される。
開発の経緯[編集]

1981年(昭和56年)に、カシオ計算機の伊部菊雄が、腕時計を落として壊してしまったことがきっかけとなり、増田裕一(商品企画担当)と伊部菊雄(設計担当)、二階堂隆(デザイン・ネーミング担当)の3人が中心となり、落としても故障しない「常識を覆す腕時計の開発」が開始される。当時、この3人はいずれも20代であった。開発チームは「PROJECT TEAM Tough」と名付けられた。

3階の便所の窓(約10m)からの落下実験等、数々の失敗と試行錯誤を重ねた末に発売されたのが「DW-5000」で、1983年(昭和58年)のことである[6]。その後、G-SHOCKはアメリカ合衆国にも輸出されるようになったが、この時、宣伝文句やテレビCMとして「アイスホッケーのパック代わりにしても壊れない」というキャッチコピーが使用された。

ところが、このテレビCMが『誇大広告ではないか?』との意見が寄せられ、テレビ番組の中で検証されることとなった。結果、ナショナルホッケーリーグのプロホッケー選手によるシュートによっても、機能を喪失しないことが証明され、これをきっかけとして、アメリカ合衆国で人気に火がついた[7]。

また、検証番組ではトラックで踏み潰したらどうなるか?という実験までしたが、それでも壊れなかった[1]。

日本では、1994年(平成6年)公開の映画『スピード』において、キアヌ・リーブスが演じる主人公がG-SHOCKを着用していたことから、人気が高まった[5]。

また、G-SHOCK の模倣品として、"C-SHOCK" や "S-SHOCK" など紛らわしい腕時計が、日本を含むいくつかの国々で出回っていたりしたため、カシオ計算機は、新たに従来の "G-SHOCK" (1992年(平成4年)に商標登録)を除き、 "A-SHOCK" から "Z-SHOCK" までの「アルファベット全部」を、1998年(平成10年)に、日本で商標登録している。

このことは、テレビ番組「トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜」2003年(平成15年)8月13日放送分にて『ABCの歌』に載せて紹介された。また、実際に特許情報プラットフォーム(旧:特許電子図書館)でも『商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務』『類似群コード』にて「第14類 貴金属,身飾品(「カフスボタン」を除く。),カフスボタン,宝玉及びその模造品,宝玉の原石,時計」と確認できる[8]。

代表製品[編集]

[icon] この節の加筆が望まれています。

ORIGIN[編集]





G-Shock DW-5600CG-SHOCKの定番と呼ばれる5000、5600系角型モデル(通称:スピードモデル)[9]や5500系丸型モデル[10]、2代目丸型モデルのDW-5700系モデル(通称:スティング)[11]もこのシリーズに該当する。デザインは、二階堂隆。ヨーロッパでは6900系の丸形モデルもORIGINにカテゴライズされる。1996年に、FOX FIREシリーズとして登場したDW-5600系の復刻モデル(FOX FIRE)、DW-9052(DW-9000系の海外生産モデル)、GW-5000-1JF(MULTIBAND6)、GW-M5600-1JF(MULTIBAND5、初号機のデザインを復刻)、GW-5600J-1JF(5600系で初めて電波受信機能を搭載)などが含まれる。G-LIDEはかつては専用モジュール以外は通称「ジェイソンG」で知られるネグザクスのDW-002系をベースにし、海での利用を考慮することはあまり無かったが現在は5600系も採用しており小型ながらムーンデータ&タイドグラフ表示機能がある。
Standard[編集]
デジタルとアナログ、コンビネーションモデルがある。日本では、6900系丸形モデルはStandardシリーズに含まれ、入門機は通称「三つ目」と言われるFOX FIREシリーズとなる。5500系モデル、7900系モデル、デジタルで品番がMTGで始まるモデル、高輝度LEDをバックライトに採用したGD-100系モデル、GA-110系モデル、2層ウレタンベゼルと蛇腹形状のインナープロテクターにより、耐衝撃性をさらに強化したGXシリーズ等も、これに分類される。
FOX FIRE[編集]





左から長寿モデルDW-5600E、DW-6900B。海外向け長寿モデルDW-6600。発売当初はDW-6600B-1A でG-SHOCK初のEL(エレクトロ・ルミネセンス)バックライトを搭載したことで命名されたシリーズ。6600が登場する前のライトは主に電球やLEDを用いて盤面を単に照らすものであった。このELバックライトは当時では実現不可能であった2色同時発光(Gという文字も赤く浮かび上がる)を実現した。ただし他のシリーズでもELが搭載されるようになったのでELバックライト搭載モデルと言うより入門機としての位置づけである。安価であるためかコラボレーション仕様が非常に多い。全機種ソーラーや電波受信機能は存在しないがデジタルウォッチで可能な限りの遊びの機能(スロットなど)や前述のバックライトでキャラクター表示機能を満載するなど多種多様な機種が誕生したが、現在では長寿モデルであるDW-5600EとDW-6900Bにとどまる。
The G[編集]
標準電波受信機能や太陽電池を内蔵したモデル。上記のORIGINやStandardの一部も含まれる。MR-G・MT-Gには、G-SHOCKでは異色の『りゅうず仕様』も存在する。MR-G
最上級とされるシリーズで、耐衝撃構造をもつフルメタルのケースに、人工サファイアガラスやダイヤモンドライクカーボン (DLC) による超硬質コーティングを施したチタン外装など、高級腕時計の技術を集約。8000/8100シリーズは実売価格が20万円以上であり、G-SHOCKの中で最高額である。後述の限定品は、消費税込み価格が50万円を超える。MT-G
アナログもしくはコンビネーションのモデル。樹脂をメインにステンレスパーツを被せた、ハイブリッド衝撃吸収構造を採用している。GIEZ
アナログムーブメントを搭載した、落ち着いた大人の雰囲気を持ったモデルとされる。ステンレスケースに樹脂のプロテクターを被せた衝撃吸収構造とスクリューバックを採用している。




MR-G MRG-7100BJ-1AJF






MT-G MTG-1000RB-1AJF






GIEZ GS-1300B-1AJF


Master of G[編集]

「FROGMAN」「MUDMAN」「GULFMAN」「RISEMAN」は、G-SHOCKの中でもさらに過酷な状況に耐え得るタフな機能を強化したモデルとして、Master of Gというシリーズ名が付けられた。
FROGMAN (フロッグマン)
ISO規格準拠200m潜水用防水性能を持った、ダイバーズモデル。左右非対称のデザインで、横に向けるとその名の通り蛙の顔のように見えるのが特徴(フロッグマンは本来潜水士のこと)。4代目のGW-200は初代モデル(品番はDW-6300)の復刻版で、太陽光発電のみに対応している。2010年発売の5代目であるGWF-1000系(2代目の復刻モデル)で、FROGMAN初の電波受信(MULTI BAND 6)に対応した。日本国外の一部の国でFROGMANが商標登録されているため、DW-9900系の品番で登場した3代目のモデルは、SEAMAN(シーマン:品番はDW-9950WC)として販売されていた。MUDMAN (マッドマン)
防塵性、防泥性を特に強化されたモデル。2007年07月発売のGW-9000-1JFよりMULTI BAND 5(前述)に対応。GW-9000、G-9010はTOUGH SOLAR仕様で、現行モデルのGW-9010-1JFより、MULTI BAND 6(前述)に対応している。1995年に登場した初代モデル(DW-8400)の時代には、アナログ仕様も存在した(アナログマッドマン、1997年登場。品番はAW-570で、後にマイナーチェンジでGAUSSMAN(ガウスマン:品番はAW-571、耐磁仕様のアナログ)へと名称変更)。また、G-5500やGW-5500のオリジナルであるDW-5500(世界初の防塵・防泥仕様モデル)は、先祖にあたる。GULFMAN (ガルフマン)
海での使用を想定して防水性・防錆性を強化したモデル。外気に触れる金属部分及びボタンシャフトは全てチタン素材を使用し、腐食によるダメージを軽減する仕様になっている。2モデルあり、GW-9100は電波ソーラー対応モデルで、電波時計はMULTI BAND 5(前述)に対応している。G-9100は電波ソーラー非対応だが、ムーンデータ(月齢・月の形表示)、タイドグラフといった、海での使用に必要な機能を備えたモデルとなっている。初代モデル(品番はDW-9300)は、G-SHOCK初のTOUGH SOLAR(太陽光発電)対応モデルである。また、FISHERMAN(フィッシャーマン:品番はDW-8600の初代防水・防錆モデル)は、先祖にあたる。RISEMAN (ライズマン)
圧力センサーと温度センサーが搭載された、ツインセンサーモデル。登山に特化している。同社が発売しているPROTREKシリーズとは違い、方位センサーは搭載されていない。現行モデルは、MULTI BAND 6(前述)に対応している。なお、海での使用に耐えられるが、防水機能は従来モデル同様、20気圧までとなっている。また、G-SHOCK初の圧力センサー・温度センサー搭載モデルであるSKY FORCE(スカイフォース:品番はDW-6500)とその2代目であるSKY FORCE 2nd(スカイフォースセカンド:品番はDW-6700)は先祖にあたる。RANGEMAN (レンジマン)2013年9月発売。





FROGMAN GWF-1000BP-1JF






RISEMAN GW-9200J-1JF






Mudman G9000MS-1


Cockpit Series[編集]
計類盤をイメージしたデザインが特徴で、デジタル・アナログコンビネーションモデルがメイン。Sky Cockpitシリーズでは、耐遠心力を強化している。




Cockpit Series G-540D-2AVDR


BABY-G[編集]
特に女性を意識したファッション性を重視したモデル。「ベイビーG」や「ベビーG」と呼ばれる。BABY-Gが登場する以前は通称ジュニアGの名で、DW-5600系(ORIGINの角型モデルの小型仕様。ライト機能は無く10気圧防水であった。)が販売されていた。ジュニアG同様に10気圧防水とG-SHOCKシリーズと同じく20気圧もラインナップされ耐衝撃も確保されている。完全なるアナログ仕様(リューズ調整式)がG-SHOCKよりも多くラインナップされている。デジタルウォッチの場合はイルカ等のアニメーション表示機能を有する機種もある。
限定品[編集]

1994年には、日本で開催された「国際イルカ・クジラ会議」をきっかけに、イルカとクジラの研究・保護目的として「イルカ・クジラモデル」(通称:イルクジ)や他にも「ラバーズコレクション」(通称:ラバコレ)として、冬季限定で天使と悪魔を象ったペアの G-SHOCK を発売。天使と悪魔をベルト等にプリントするだけでなく通常仕様を変えることのない内蔵モジュールにも変更を加えておりELバックライト発光時にそうしたキャラクターが浮かび上がる機種もある。

以降限定品には、通常と違うバックライト表示を搭載することが多くなる。翌1995年には、日本で大ブームとなり、発売前には店舗でも行列が並ぶほどであった。イルクジモデルはBABY-Gにも数多く存在する。また、復刻モデルも多く存在し、最近再びその傾向が強くなってきている。

代表的な物には、G-SHOCK誕生当時の初代5000系モデルを、内部のモジュール以外全てにおいて完全復刻したモデル(DW-1983-1:1983本の限定生産仕様で、シリアルナンバーを刻印し尚且つ、ローズウッドのスペシャルケースに入れられ販売された。DW-5000-1JR,DW-5025-1JF:G-SHOCK発売前に開発陣が持っていたプロトタイプを復刻させて販売された。)等があり、現在も毎年、新型モデルを企画・限定発売をしている。

Xtreme『エクストリーム』(G-LIDE『ジーライド』の祖先に当たるモデル)や The Gでは、20周年及び25周年記念限定(ベーシックモデルと共通のカラー)、Triple Crown(トリプルクラウン:ハワイで開催されている世界のトッププロによるサーフィンの国際コンテスト)限定モデルなどがある。





AW-500NS-8ET 限定モデルPSC仕様。初代デジアナモデルがベース。


MR-G限定品[編集]

いずれのモデルも税込み定価が50万円を超え、CASIO製腕時計としては破格である。
MRG-8000G-1AJF2008年2月29日発売。G-SHOCK発売25周年記念モデルで、限定200個。MRG-8000B(27万円)をベースに18K素材などを使用。52万5,000円。MRG-8000RG-1AJF同年4月、カシオ6年ぶりのバーゼル・ワールド(バーゼル・フェア)出展記念モデル。限定100個。25周年記念モデルMRG-8000Gの都市コードリングを18Kピンクゴールドに変更。52万5,000円。このモデル以降、毎年バーゼル・ワールド記念モデルを発表する事となる。MRG-8100G-1AJR2009年のバーゼルフェアに出展された、特別仕様品で全世界100個限定品。MRG-8100B(30万円)をベースに都市コードリングに18Kピンクゴールド素材を使用、赤漆風カラーリングを施した、木製のスペシャルパッケージに納められた。57万,7500円。MRG-8100R-1AJR2010年のバーゼルフェアに出展された特別仕様品で、全世界50個限定品。細部のジュラルミン製パーツのカラーリングに、日本の伝統色である深緋(こきひ)を採用。都市コードリングに、京セラ製の再結晶ルビー4.85カラットを使用。G-SHOCKシリーズとしては初の宝石使用となる。57万7,500円。MRG-8100JP-1AJR2011年のバーゼルフェアに出展された特別仕様品で、全世界50個限定品。日本の伝統色である朱色の漆が文字板周囲の都市コードリングに用いられている。サイドボタンには再結晶ルビーが填め込まれている。57万7,500円。MRG-8101JP2012年のバーゼルフェアに出展された特別仕様品で、2012年8月発売予定の全世界50個限定品。黒を基調としており、都市コードリングに黒漆と蒔絵が施されている。63万円[12]。MRG-G1000HT-1AJR 2016年のバーゼルフェアに出展された特別仕様品で、全世界300個限定品。日本の伝統技術である鎚起をベルトとベゼルに用いたモデル。鎚起師である三代目・浅野美芳氏の協力で1本1本手作業で鎚目仕上げを施している。また同時に、MR-G発売20周年記念モデルでもある。75万6000円。
G-SHOCK 25th アニバーサリー[編集]

G-SHOCK 25th アニバーサリー 「マスターブルー」[編集]
GW-9025A-1JF(MUDMAN)
GW-925A-1JF(ガルフマン)
GW-225C-1JF(フロッグマン)

G-SHOCK 25th アニバーサリー「ドーンブラック」[編集]

脚注[編集]

1.^ a b 吉岡綾乃 (2012年10月22日). “G-SHOCK 30TH INTERVIEW:30年経った今だから話せる、初代G-SHOCK開発秘話――エンジニア・伊部菊雄さん (4/5)”. ITmedia ビジネスオンライン 2015年7月29日閲覧。
2.^ G-SHOCK公式サイト/コンセプト
3.^ 『mono』1996-1/15(ワールドフォトプレス社)
4.^ 福野礼一郎『福野礼一郎スーパーカーファイル』双葉社、2008年
5.^ a b c d 吉岡綾乃 (2012年11月21日). “G-SHOCK 30TH INTERVIEW:米国でG-SHOCKブームを仕掛けた男、その4つの視点――伊東重典氏 (1/4)”. ITmedia ビジネスオンライン 2015年8月21日閲覧。
6.^ Erg Design News G-SHOCK記事 2008年12月2日より。
7.^ 間もなく発売25周年 進化を続けるG-SHOCKの最新モデル - 日経BPセカンドステージ
8.^ 商標出願・登録情報 (一覧画面)
9.^ 映画「スピード」で、キアヌ・リーブス演じるSWATのトラヴェン巡査が嵌めていたため、このニックネームがある。キアヌの私物だったとのこと。
10.^ オリジナルは世界初のマッドレジストを搭載モデルで、当時は通常モデルでありながら、約2,000本程しか生産されなかったため、今ではG-SHOCK至上最高のプレミアムモデルとなっている。
11.^ 世界的ミュージシャン、スティングが、ライブなどで着用していたことから、その名を捩った通称で呼ばれるようになり、それが世界的に定着した。
12.^ BASELWORLD 2012 - カシオ、"和"の高級感を伝えるG-SHOCK「MR-G」特別仕様 | 家電 | マイナビニュース(2012年3月10日付)

関連製品[編集]
G'zOneシリーズ - 防水・耐衝撃性能を備えた携帯電話のシリーズ。
エクシリム Gシリーズ - 防水・耐衝撃・防塵性能を備えた、デジタルカメラのシリーズ。
G'z waqe - 耐衝撃・G-SHOCKデザインの目覚まし時計。

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、G-SHOCKに関連するメディアおよびカテゴリがあります。
G-SHOCK - CASIO
BABY-G - CASIO
CASIO G-SHOCK - 公式YouTubeチャンネル
G-Shock ファンウェブサイト(英語) - G-SHOCKに関する多くの情報がある
エルグデザイン - プロダクトデザイナー/二階堂隆のホームページ




カテゴリ: 腕時計
カシオ計算機
日本のブランド
登録商標





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ニクソン (時計メーカー)





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ニクソン (Nixon Inc.) はアメリカのカリフォルニア州エンシニータスにある腕時計メーカー。

サーフ、スケート、スノーの3Sスポーツをする人達のために Andy Latts と Chad Dinenna が1998年秋に10ヶ国以上のボードショップで販売をスタートした。

常にスタイルを持った生活を目指してほしいというコンセプトのもとで時計が作られており、従来のスポーツ系の時計とは一線を画し、ゴム製のバンドのものよりもメタル製のものが多く、デジタルではなく針の時計が多いのが特徴。スポーツに対してだけではなくフォーマルな物、レディースも作られている。

2008年8~10月にかけて、ロゴ字体の変更が行われている。

ニクソンのアイコン[編集]

アイコンには3つの意味がある。下記の通り。
Flame炎。Eternal Flame(永遠に燃え続ける炎)とも言われるほど、時との密接な関係にある。Hour Glass砂時計。上から下へ流れ、そして時間と共に底の部分へたまってゆく砂時計。Wing羽根。Wing of Time(時間に羽根が生え、まるで飛ぶように過ぎていく)と言われている。
外部リンク[編集]
NIXON(ニクソン)オフィシャルオンラインストア(日本語)
Nixon(英語)
ニクソン - BrandHistary




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アメリカ合衆国の時計メーカー



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スント





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リストップコンピューター
スント(よりフィンランド語に近い表記ではスーント、SUUNTO)はフィンランドにある精密機器メーカーである。

創業以来生産している液体封入型のコンパスの他にダイビングなどのスポーツ用や軍用の計測機器、心拍計などの機能を持つ多機能型腕時計[1]を生産している。スント最初の製品はM-311コンパスであり第二次世界大戦中にフィンランド軍兵士を導く役割を果たした。現在、アメアスポーツコーポレーションの子会社であり、関連子会社にウルスクがある。



目次 [非表示]
1 沿革
2 関連項目
3 外部リンク
4 脚注


沿革[編集]
1932年 - トゥオマス・ヴォホロネン(Tuomas Vohlonen )氏が液体封入型のコンパスを発明した。
1935年 - コンパスを生産開始
1936年 - スント社が創設された。
1939年 - 冬戦争が始まりフィンランド国防軍に大量のコンパスと傾斜計を納入した。戦争が終わると国防軍からの発注が劇的に減り、海外に活路を求める。
1965年 - 世界で最初のダイビング用コンパスであるSK-4を発売し、ダイビング分野に参入。
1972年 - フィンランド大統領より年間輸出大賞を授けられる。
1981年 - 当時世界最大のダイビング・ベストのメーカーだったシー・クエスト(Sea Quest )を買収した。
1987年 - SMEダイビング・コンピュータを開発した。
1995年 - ヘルシンキ証券取引所に上場した。
1996年 - スイスのコンパスメーカーであるレクタ(Recta )を買収した。
1999年 - アメア・グループ(現・アメアスポーツコーポレーション)に買収された。

関連項目[編集]
心拍計

外部リンク[編集]
公式ウェブページ(英語/フランス語/ドイツ語/イタリア語/日本語/スペイン語/フィンランド語(自動選択))
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脚注[編集]
1.^ 同社ではリストップコンピュータ(Wristop Computer )と称している。




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